復学


 ──2日後


 長い眠りから『朱の令嬢』アイリスが覚醒した報告は、数日で方々へと伝わっていった。


 ジャヴォーダン城では研究者たちが狂喜乱舞し、グリンダリッジ城では主人の目覚めを待ちわびた騎士や使用人たちが連日祝宴を開く。


 そんな祝宴の最中、アルバートは待ち人を迎えに城へとやって来ていた。


「アルバート様だ!? もう迎えに来ちゃったんですか?!」

「なんだ……この部屋は……」


 グリンダリッジ城のある一室に幽閉されていたティナは無事に回収された。


 ただ、聞くところによると彼女が閉じ込められていたのは、フルコースの食事、ふかふかのベッド、温かい浴室まで付いているスイートルームだったようだ。

 メイドたちにお世話される超高待遇っぷり……せっかく迎えに来たのにも関わらず、ティナ、すごく帰りたくなさそうである。

 

「サウザンドラに義理を通すためとはいえ、お前を犠牲にしたことを心配していたのに……」

「アルバート様、すっごい快適でした!!」

「帰るぞ」

「もうちょっとここにいようと思います!」

「目を覚ませ」


 アルバートは、良くしてくれたメイドたちに礼を告げて、駄々をこねて暴れるティナを小脇に抱えて持ち帰るのだった。


「にしても、まさか悪魔がアイリス様の病気を治してくれるなんて! 良い悪魔もいるんですね!」

「そうだな。ごく稀にそういう悪魔もいるのかもしれん」


 ジャヴォーダン城に帰ってきたティナは、久しぶりに起きているアイリスを見て、感極まってわんわんと泣いた。


「アルバートしゃまのこと、ずっとずっと思っててくださって、ありがとうございまひゅ……っ! ティナは心配してたんですよ、このままずっと目覚めなかったらどうしようって……っ!」

「お礼を言うのはこっちよ。ティナ、今までアルバートを支えてくれてありがとうね」

 

 アイリスにそう言われると、ティナは再び源泉から吹き出したような涙を流すのだった。


 アルバートは生温かく2人のやりとりを見守る。まるで、かつてのアダン屋敷での日々が戻って来たかのような感覚を覚えていた。


 ──1ヶ月後


 方々にアイリス復活の噂が伝わり、しばらく経ったある日のこと。


 少しずつ春の香りがしはじめた、アルバート湖のほとりの小屋に2人と1匹の姿があった。


 小屋の近くには、木のベンチと机が設置されており、湖に面する湖畔には桟橋が掛けられ、船がぷかぷかと揺れている。


 ここの空気は、長閑そのものだ。


 木づくりの机で向かい合って座るのはアルバートとアイリス。すぐ横には、年齢不詳なエドガーの残した愛犬、黒犬パールが眠りこけている。だいぶ高齢らしく最近は眠ってばかりだ。


 このあくびが出るほど穏やかな日に、アルバートとアイリスは、結婚へ向けて準備をしはじめていた。


 2人とも立場があるため、国内外から客人を呼ばなくてはならず、準備は難航の一色を見ていた。


 そのため、2人はまず簡単なことから決めることにしていった。


「式はどっちの城であげ……ようか?」


 アルバートはパールを撫でながら、まだ慣れない、ぎこちないタメ口で、アイリスに聞く。


「ジャヴォーダンで良いんじゃない?」

「でも、慣例的に歴史ある城のほうが好まれると″思いますけど″」

「ぶっぶー、アルバートさん、減点です」


 アイリスは怪しげな笑顔をうかべ、ペンで手元の紙切れに棒線をひとつ追加する。ただいまカウントは7つだ。


 敬語は禁止なのである。


「思うよ」

「でも、サウザンドラはわたしが最後なんだし、ここで血は途絶えるのよ? 直系刻印だってもう無いんだし、このままアダンに統括されるなら、ジャヴォーダン城でいいと思うわ」

「でも、アダンはあくまで領地がないですから、領地として使えるグリンダリッジのほうに本拠地を移動するのもやぶさかじゃ──」

「ジャヴォーダン城の方がいいわよ。その方が絶対いいわ」


 勢いに圧倒され、アルバートは押し黙る。


 近頃、彼は、アイリスの言う事がすべてが正しく思えて仕方なかった。


 そのため「確かに」とだけ肯定をする。


 結婚式はジャヴォーダン城であげる事になりそうだ。

 

 そんなこんなで話を詰めていると、ふと、淡い赤眼と、深紅の瞳が交差した。


 1秒、2秒……見つめ合う。

 

「……アイリス、最近、気がついたんだ」

「なーに?」

「ふとした時、視線が合うと、なんだか変な気持ちになるって」

「そう? わたしはならないけど。ふふ、アルバートったら、うぶなのね」

「それはどうだろう。君のほうこそ平静を装ってる他方で、心拍数は上がってるようだけど」

「……っ、ちょっと、その本閉じなさいよ」


 【観察記録】を極めたアルバートは、アイリスのステータスを常に確認可能だ。確認できる項目は、心拍数、脈拍、呼吸、体温、ホクロの数など多岐にわたる。高次元のストーカーだ。

 

 慌てた様子のアイリスは、パタンと勢いよく本を閉じ、湖に放り捨てる。ボシャーン。


「ま、まま、まったく! 本当に油断も隙もあったもんじゃないわ! なんて邪悪な魔術なのかしら」


 顔を真っ赤にしたアイリスは、慌ただしくぱたぱたと顔を手で仰いだ。


「熱い″ですか?″ 雨でも降らせて気温下げましょうか?」

「はい、また減点。というか、魔力の無駄遣いはやめてよね」

「……確かに。言う通り″です″」

「減点。あららー、これでリーチですなー」


 紙切れに9本の線が溜まっていた。


 アルバートはムッとして、表情をキリッと引き締める。

 

「なにを。まだまだ余裕だ。このアルバート・アダンはピンチになってからが強いからな」

「ふふん。次のデートは学校で決まりね」

「まだ復学もしてないのに気が早いことだ」

「すぐにするもの。問題ないわ」


 そう言って胸を張るアイリスの笑顔を見ていられることに、アルバートは確かな、幸せというものを感じるのだった。


 ──2ヶ月後


 協会歴1762年、春。


 ドラゴンクラン大魔術学院のキャンパス内には、アルバートとアイリスの姿があった。


 今日の授業はもう終わっているにも関わらず、2人は仲良く手を繋いで敷地内をブラブラしていた。


 とはいえ、アルバートの方はあまり乗り気ではなさそうだ。


「どうして、こんな公衆の面前で手を繋がないといけないんだ。理解に苦しむ行動だ」

「デートだからよ。それに、こうやって周りに教えておかないと、他の女の子が寄って来ちゃうでしょ?」

「寄ってくるか。俺は学院で一番孤独と言っても過言じゃないんだ」


 アルバートは遠巻きに見てくる女子学生へ視線を向ける。女子学生はビクッとして、頭を勢いよく下げて謝り、慌てて走り去っていった。


「ほらな。なにせ『学会長』だ。怖いに決まってる」

「そうなの? みんな見る目ないのね」

「……普通の感覚だろう」

「まあいいけど。アルバートを好きなのはわたしだけで良いわ。わたしだけのアルバートなんだから。もし寄ってくる女の子がいても、ついて行ったらダメなんだからね」


 アイリスはそう言うと、繋いでいた手を引き寄せて、アルバートの腕に抱きつく。

 押し当てられ形をふにゃーっと変える双丘の触感に、アルバートの心臓は跳ね上がった。


「当たってる当たってる……!?」

「当ててるのよ」

「な、なに? な、なん、なんだその技、どこで身につけt──」


 狂瀾怒濤。

 余裕という言葉を忘れてしまったアルバートの姿は、この後、何日もからかわられる事になった。


 

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