ジャヴォーダン城の死闘 Ⅳ
アイリスはもう動けないだろう。
聖火杖の力は本物だ。
アルバートは余裕綽々の表情の裏で、心底、アダンに悪魔への対抗策を持つスペシャリストがいて助かったと思っていた。
「あっはは……強い、まさか、こんなに凄いなんて……」
「どうも、賞賛は受け取っておこう」
「わたしね、アルバートと戦う事になるのはわかってたわ。あなたが、巨大な組織を作って、力を蓄えてるって聞いて気がついてた」
虚ろな眼差しで、どこか遠くを見ながらアイリスはつづける。昔を思い出しているのか。
「あなたを倒せるだけの力を用意したつもりだったんだけどね……所詮、わたしひとりじゃこんなもんね……」
諦めた者のセリフだ。
しかし、虚な瞳の奥にはまだ意志がある。
何かする気だ。
彼女はまだ諦めてない。
「血命の連鎖よ、連帯にこそあれ」
アイリスが寄りかかっていた壁に、深紅に輝く魔法陣が現れる。壁に付着した血が、みずから意思を持って模様を描いているのだ。
アルバートは何か巨大な魔術のトリガーだと察する。完全にチェックメイトしておいて盤上を返されてはたまらない。
すぐさま聖火杖をめいいっぱいの力で投擲して、アイリスにトドメを刺そうとする。が、身体が思うように動かない。なんだ。なぜトドメを躊躇う?
「別れを怖がるな」
アルバートは自分の顔をぶん殴り、聖火杖を思いきり投げた。
少し遅かった。
紅い輝きが増して、崩れた壁から曇天の空へ光を放っていく。
眩しさに思わず目をつむる。
すると、指を鳴らす音が聞こえた。
「あ」とアルバートが思った時には、彼の身体はとてつもない衝撃波に吹っ飛ばされていた。城壁が割れ、彼は城の外へ叩き出された。
冷たい湿った空気、泥に沈む顔。
濁った思考から、アルバートは再起する。
大粒の雨に打たれてながら、全身に走る激痛を噛み殺して立ちあがる。
この感覚、一度、死んだな。
賢者の石は……確かに消耗してる。
口に入った泥水を、ベッと吐き出して、城壁の穴を見やる。
例の指パッチンか。
前兆がなく、避けれない。
最初の衝撃波より、遥かに強い。
「回避不可能の即死攻撃……」
雨がなければ、滝のような冷や汗をかいてるのが白明となっていた事だろう。
ドラゴンたちが覆い隠す雨天の下、アイリスが壊れた城壁から、のっそりと出てくる。
彼女の右肩は動いておらず、最後に投げた聖火杖によって、致命傷を与えることに成功したとわかった。
しかし、彼女の気勢は衰えていない。
彼女がお腹の前に大事そうに抱えている、赤い卵が、彼女の自信の源であるらしかった。
卵の殻は半透明で、薄く発光しており、内側で胎動している異形が外から見える。
「競い合いは楽しいのに、負けるって、悔しいのね」
アイリスは誰へ向けて言うわけもなく、ボソリボソリとつぶやく。
「本当ならここで終わってもいいと思ってたのよ。でも、今、本当にアルバートの気持ちがわかったわ。……わたしも、存外、くだらない人間ね」
そう言って、アイリスは薄く微笑み、透けている赤い卵を放り投げる。
「血と怪書の細胞スライムに、どうして親和性があったのか……サウザンドラの血が、キメラたちの接合剤として機能したのは何故だったのか」
彼女の肩から腕にかけて刻まれた、移植された【練血式】のうえに、黒い刻印が焼き焦げる煙をあげて、刻まれはじめた。
模様はどことなくアダンの刻印と似ていた。
「血がすべての源へと続いているから。そして、その源とは、この世界にはない、別の世界の源泉のことだからよ」
空中で赤い卵が爆発する。
内側に詰まっていたのは鮮血だった。
卵の大きさからは考えられない、質量を無視した膨大な血量だ。
血の波は、死屍累々三途の河の波となって、第三城壁と、第二城壁の間を津波の如き被害を出しながらいっきに満たしていく。
アルバートはすぐさま、近場に水面を作ると、転移魔術で第三城壁の上へと逃げた。
「魔力量が膨れあがったか。見たことのない魔術、アイリスはいったい何をしたんだ」
城壁の上から、赤い河へ視線を向ける。
河の中では何かが蠢いていた。
すぐにそれは悍ましい化け物だとわかった。
「っ」
「あ、ァア、ア゛……ッ!!」
煮えたぎる沸騰した血の河の中で、その化け物は必死に天へと手を伸ばしている。
あるいら、アルバートを引き摺り下ろそうとしているのだろうか。
「観察、記録……不可か」
アルバートは遠目から観察を試みたが、すぐにあきらめた。
あのモンスターが個体ではないからだ。
多数の個体から形成される群体モンスターの観察記録には、相応の時間を必要とする。
戦闘の最中、そんなことに集中力を割くのは愚かなことだった。
「折り重なる尸の数多あれはもしかして」
地獄の怨嗟のなさ、業火に身を焼かれた様々な生物の、骨の皮だけを残した死骸たちが、融合し交わり、一つの恐怖として成立している。
数多の生物の体から構築されているソレは、まだ肉体を構築している段階であるようで、すこしずつ肉体を変形させていた。
やがね、それは三つ首を持ち、口から血と溶岩を垂れ流す、悍ましい猛犬の怪物となった。
その姿に、アダンの没落と、学会の創世記を支えた、自身のケルベロスの姿を重ねずにはいられない。
否、あれこそが地獄の番犬なのだろうか。
アルバートは険しい顔をする。
「マスター」
第三城壁のうえ、アルバートの隣に白装束に身を包んだ少女が、音もなく現れた。
髪を頭の真ん中で、黒と灰色の2色にわける彼女は、ユウの双子の妹のリンである。
「守護結界が悲鳴あげてます。何かしたんですか、マスター」
守護霊に関する諸研究を行う研究室の室長でもあり、かつジャヴォーダン城の警備主任でもあるリンは、城の防衛を維持する立場にある。
転移魔術を行えないようにする、禁域の魔術もアルバートが使えない代わりに、彼女が城に張っている。
ユウとは違い、魔術の才能アリと見込まれたためゆえの大役だ。
「俺じゃない」
「あれを召喚したのはマスターでは? あれが現れた瞬間、結界がきしみはじめましたけど」
「……。禁域の魔術は保たれているのか」
「そっちは大丈夫でしょう。たぶん」
「たぶんか。まあいい。それで、守護結界はあとどれくらい持つ?」
「6秒くらいでしょうか。おそらく」
自信はなさげだ。ただ嘘を言ってるわけではないようだ。緊急事態にリンも焦ってるらしい。
「守護結界は最も維持されなくてはならない物理的な壁だ。アイリスの走力を考えれば、その重要性はわかるだろう。何としても保たせろ」
「無理です。あ、今崩壊しはじめました」
「クソ」
「……で、マスター、あれは?」
リンは第三城壁から、異形の化け物を見下ろす。
「知らん、知らんが……地獄には命が無限に湧き出ずる血の河があると聞く」
アルバートが興味を抱くモンスターの系統には偏りがある。まず、アダンの使役術が得意とする獣系モンスター。
そして、もうひとつが不死を司るアンデット系モンスターだ。
アルバートは、目の前の現象を、かつて熱心に調査した記憶を引っ張りだし説明を試みる。
「血の河……この河を登り源にたどり着くと、地獄を抜け出せる──とかいう試練の一つらしい」
「血の河? なんの話です?」
「御伽噺、あるいは伝承の類さ。血の魔術がどうしてあれほど強大な力を、世界から約束されているのか、前々から不思議に思って調べてたんだ。モンスターの強化のために」
「血の魔術の強さは、血が深淵により近い触媒だからでは」
「その理由だ。なんで深淵に近い。理由があるはずだ」
アルバートは血の河を見下ろして「今わかった気がする」と小さな声で言った。
「血の河、地獄の底の底に形成された、沈澱した命によって生まれた自然オブジェクト。地獄からの抜け道。そして、死者を現世へ還さないための番人がいる。あれは……もしかしたら、世界のルールを形成するクラスの化け物なのかもしれない」
「なるほどですね。善性の霊で構築した守護霊たちの結界が吹っ飛ばされちゃうわけです」
アルバートは天を仰ぐ。
守護結界への被害から、あれが地獄からやってきた悪性の霊の王である可能性は高い。
アンデットの王という言葉では形容しきれない。
学会が目指す研究の、一つの到達点だった。
アイリスは血の繋がりをたどり、地獄の一部を人間世界に召喚した、アレを招き入れた。
「限定空間、いや、世界の侵食か。この世界に地獄の一部を、そのまま上書きしてる」
恐ろしい規模の魔術だ。
「さて、どうしたものか」
もし本当に地獄に自然発生的に生まれた神話級の怪物ならば、学会でもあれを倒せるキメラがいるかわからない。
ともかく、生半可な攻撃じゃ意味がない。
「ははは、面白い。ちょうど火力を持て余してたところだ」
「マスター?」
「リン、守護霊で俺たちを守れ」
「? どういう──」
「″霊峰葬式″を使う」
「ッ?! ここに撃つんですかーーッッ?!」
アルバートが急かすと同時、血の河のケルベロスの身体が変形し、人型の鬼へと変わった。
20mもの高さになった血の河の巨人は、数多生物の遺骸でできた棍棒を手に持った。
そして、天を見上げ、アルバートとリンへ狙いを定める。跳躍。血の河に余波で穴を開けて、全身から血と溶岩と怨嗟を垂れ流しながら、ひとっ飛びで第三城壁の上へとやって来る。
アルバートはリンの肩を抱き寄せる。
リンは主人が狂ってしまったと思いながらも、本当に奥の手を使うのだとわからせられた。
涙目になりながら、焦燥感に駆られるままに、白い狼の守護霊を召喚し、ちいさな守護結界で、主人と自身を守る。
守護結界は魔術のなかでも有用な防御策だ。
霊的な事象からなる盾ゆえ物理現象に強く、純魔力の盾とは比べ、高い耐久性を保てる。
弱点といえば──悪性の霊的な攻撃だ。
「マスター、これ間に合わないッ!」
リンは今すぐにでも逃げたかったが、アルバートにガシッと肩を掴まれているので、それもできない。
血の河の巨人が、目の前にやってきた。
ああ、死んだ──リンはあまりの恐怖に気を失いそうになった。
躊躇なく振り上げられる棍棒。
きっと、あれにぺちゃんこに潰される。あるいは蒸発して跡形もなくジャヴォーダン城と共に消える。
あんな大量破壊術式から、守護結界で身を守れるわけがない。
───────────────────
──ジェノン鉱山頂上付近
雪が降り積もるこの山頂。
手が届きそうな空と、白銀の雪化粧にそぐわない豪華な椅子が置いてある。
座するのはアルバート。
雪山のなか、長い眠りから目を覚ました彼は、ハッとして、急いで命令を下す。
「うぅ、寒いな」
アルバートは自分に降り積もった雪を払って、指で輪っかをつくると、それを覗き込んだ。
「術式展開。活動限界拡張版コア換装済みタナトス再起動、霊峰葬式発射準備」
雪山のうえに隠されていた学会の巨神兵が、体内の炉心の魔力を高めていき、砲口たる口を大きく開けて、ジャヴォーダン城へ狙いをつける。
タナトスの視線の先。
嵐の真ん中のジャヴォーダン城。
第三城壁と第二城壁の間に、猛熱と蒸気に包まれた赤い光が見えている。
あそこら辺だ。
挙動を悟られても嫌なので、近くを飛んでいるドラゴンたちはあえて避けさせない。
「距離2,970、角度よし──撃て」
ただ一言で山頂を覆う雲が晴れる。
世界を焼き尽くす神の熱線。
遥か離れた巨城へとまっすぐに伸びていた。
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