アイリスの決意と記憶司法裁判所


 ──2日後


 窓の外の雨音が鳴り止まない。

 渦巻く心境に良く似た天気だ。


 この日、『朱の令嬢』アイリスは、グリンダリッジ城の自室で執務に向かっていた。一世一代の責任を背負いながら、ただいま、手紙をしたためているところである。


「親愛なるバンデッド・クセルストン様へ──」


 筆記術が得意なアイリスは、その優美な文字で『烈火の魔術師』バンデット・クセルストンへ、今回の裁判で助勢の申し出を書き綴る。


 代々『烈火の魔術師』を襲名するクセルストン家は、名家25家のなかでも存在感の強い魔術家だ。

 火属性式魔術の開祖であり、彼らの発明した属性魔術が、今日の詠唱者たちの使う魔術の基礎となっていると言っても過言ではない。


 まさしく、最も普及した魔術を発明した魔術家だ。

 

「──道を見失っている彼へ、正義を下す選択をなされる事を期待しています」


 アイリスは強めの言葉で手紙をしめくくる。


 数時間休まず筆を走らせつづけた後、アイリスはようやくペンを置いた。


 込み上げてくるのは、ため息ばかり。


 暗い窓の外を見つめれば、2日前の記憶が蘇った。


 父、フレデリックに言われた怪物学会の極悪非道な行い。


 アルバート率いる怪物学会が、フレデリックら魔術協会の視察団をジャヴォーダン城に招き入れたのは、視察団の無慈悲な暗殺が目的であったという。


 フレデリック以外の視察団は行方不明だ。


 極めつけは、フレデリックを暗殺し損ねたからと、アルバートが、この非道な責任を魔術協会に擦りつけようとしているとのこと。


 フレデリックは怒りを抑えられないと言った口調で、これらの事実を、ジャヴォーダンからの帰りの馬車で、アイリスに伝えていた。


 黙って聞いていたアイリスが、この話を信じたかと言うと……実はまるで信じていなかった。


 これほど紳士的なでない事を、あのアルバートがする訳がない。


 それだけの確信していた。


 だが、それだけではなかった。

 『血の一族』は一枚岩ではない。

 当然、中にはフレデリックよりアイリスへの忠誠が厚い者たちいる。

 

 そして、それは『修羅の六騎士』、鬼席たちの中にも及ぶのだ。


「お父様は誇りを失ってしまった……やっぱり、お母様の一件依頼おかしくなってしまったのかしら」


 目が覚めた時に、知らない男を婚約者にしていたり、鬼席を用いて裏で怪しい事をしていたり、血の研究をしていたのに、出世の為に、300年家が続けてきた研究分野を乗り換えて、理論法則学に研究しろと強要してきたり。


 よく考えれば、6年前から信用を裏切る様なことばかりだった。


 アルバートが大好きで仕方がなかったのに、勝手に婚約を反故にしたり、騎士団の大軍を用いてアダンを滅ぼそうとしたり──。


 思い返すほどに、冷め切ったアイリスの肉親への気持ちはひび割れていく。


「あの時、一歩遅かったら今頃アルバートは……」


 嫌な記憶ばかり蘇ってくる。

 

「やっぱり、アルバートが豹変してしまったのもお父様に関係あるのでしょうね」


 あれほどに怒り狂う彼の姿は、かつて見たことがないほどのものだった。


 だが、アイリスには、これまで何もする事が出来なかった。


 夢と現実のあいだを彷徨いながら、アルバートから何度も浴びせられた罵声を思い出しては涙を流す……それがアイリスに出来たすべてだ。


「裏切り者」


 アイリスはつぶやく。


 この言葉の意味は、婚約破棄された事を恨んでいるゆえのものかと思っていた。

 その後の献身で愛を示したつもりだったが、アルバートは気がついてくれなかったのだと。


 刻印継承の失敗、屋敷の焼失。

 隠されていた、父親ワルポーロの死。

 

 アルバートがおかしくなるには確かに十分な要因だった。


 だが、あのアルバートに限って心が折れる事なんてありえるのだろうか。


 いや、ありえない──。


「そう……ありえない。わたしのアルバートはどんな逆境にも冷笑を浮かべるのよ」


 アイリスが目を覚ましたのは、死闘から数ヶ月後のことだった。

 それから数週間〜数ヶ月に一度意識を取り戻して、また長い眠りつく。


 そうして、ベッドの上で5年もの月日を過ごしてしまった。


 付き人のサアナ・ハンドレッドや、ノエルなどの協力者、そして、鬼席──。


 アイリスが数ヶ月越しに、目を覚まして聞くのはアルバートに関する情報の更新だった。


 「アルバートの呪いの具合は?」

 「アルバートの誕生日はもう過ぎた?」

 「アルバートはまだ結婚してないわよね?」

 「アルバートの貿易は上手く行ってる?」

 「アルバートは元気だった?」

 「またアルバートの誕生日をお祝いできなかったのね……」


 アイリスはぼーっと窓の外の暗い嵐を見つめながら、ベッドでの日々を思い出す。


 目が覚める度に、自分が自分ではなくなったみたいだった。


 10歳の子供は、体感ではわずか20日前後で16歳になってしまった。


 気持ちが身体に追いつかないというのは、こういう事だろう。


 想い人といっしょに大きくなる。

 そんな、無邪気な願いは目が覚める度に、アイリスを苦しめた。

 憎しみに身を焼くアルバートのもとへ向かない無力に涙を流させた。

 そうして、また悪魔に連れ戻される。


「弱気になってるわよ、アイリス」


 アイリスは自分で、両の頬をぺちんッと、勢いよく挟んだ。


「ダメね、わたしがこれじゃ! アルバートを助けるって決めたのにね! よし、やるわよ!」


 まだ、微妙に身体はだるい!

 でも、寝ぼけてる場合じゃない!


「もうわたしは、いつだってアルバートの下へ、この足で向かえる!」


 アルバートを助ける為には、怒りの根源を知ろう。


 ただ、アルバートに話を聞こうにも、ただ話しかけるのでは、まるで耳を貸してくれない。


 かと言って、ノエルを送り込んだところで、彼女に聞き出すだけの能力や、度胸はない。


「ぶつかるのを怖がってちゃダメ。アルバートは頑固だから、まずはあのよく回る口をぎゅっと閉じさせて──」


 血の魔術は決闘のための力だ。


 かつての恐ろしい戦いは、今も夢に見る。


 お互いを傷つけあい、殺しあった夜。

 初めて世界法則の悪魔の足音を聞いた夜。


 怖いけれど、必要ならやるしかない。


 だが、その前に──。


「サウザンドラを守る……それもまた、あなたの使命よ、アイリス。恐れてはいけないわ」


 アイリスは気合を新たに注入し、手紙をサラサラと書いていく。


 家を背負う事は大変だ。

 家とその家に仕える者たち、すべてを救う責任がある。


 アイリスは決意した。


 次期当主として切り捨てるべき者。

 そのために必要な力。


 これは重大な裏切りになる。


 アイリスはわかっていながらも、罵倒される覚悟を決めた。


 ────────────────


 ──1週間後


 ──記憶司法裁判所


 この日、アーケストレス魔術王国が誇る最大にして、唯一の記憶司法裁判所の前は、100年振りの大混乱に陥っていた。


 混乱の原因は、かねてより蓄積していた怪物学会という不審な組織を叩く、大々的な理由が、ポンっと現れた事が大きかった。


 怪物学会否定過激派と、怪物学会を支持している怪物学会肯定過激派の学生たちは、裁判所の前で衝突を起こすことになっていた。


「ふざんけんじゃねえぞ! 古株の老害どもがぉあ!」

「協会とズブズブの司法に何の意味があるんだよ! こんな茶番やめちまえー!」

「既得権益、権威主義クソ喰らえぇえ!」


 革新派の学生軍団から火炎球が放たれる。


「どうして信じられんのだ、魔術協会の治世が!」

「協会への叛逆だぞ、歴史ある権威をこれ以上愚弄するな!」

「お前らは『闇の魔術師』に騙されているだけだ! 目を覚ませ!」


 保守派の魔術師たちは、火炎球を撃ち落として、頭を冷やせと言わんばかりに氷水をぶっかける。


 当然、それに激昂した革新派は、より苛烈に保守派を攻撃し返す。


 革新派には詠唱者が多い。

 保守派には魔術師が多い。


 争いを傍観する者たちは、このデモが魔術世界に溢れる、慢性的な不満が爆発したものなのだと、薄々気がつき始めていた。


「パイロノート!」

「ブラストクリア!」


 火炎が氷の盾を爆散させる。


 合図があったわけではないが、その魔力の衝突をキッカケに、ついに乱闘がはじまった。


 記憶司法裁判所の番人たちは、魔術が飛び交う危険地帯から撤退し、裁判所のなかへと逃げこむ。


 そして、裁判所の柵へ魔術をかけた。


 柵は名家25家が1つ、ウォール家が築いた防衛魔術で守られる。


「下がれ、下がるんだ、暴徒たちよ! この柵に触れれば命はないものと思え!」


 4代目ウォール当主、オメガ3世が手に持つ古びた鐘を打ち鳴らす。


 古びた鐘の名はビッグシールド。

 90年前に製造された由緒正しき魔道具だ。

 

 ビッグシールドが鳴らされると、透明の波動が音となって広がり、その波動は、記憶司法裁判所の柵に魔術的符号を付与した。


 裁判所の柵に、保守派の魔術師があやまって手を触れようとする。


 ──バゴォンっ!


 瞬間、魔術師の身体はピカッと光り、思いきり吹き飛んだ。


 柵に触れることすら叶わず。


 オメガ3世は声を荒げて、暴徒たちへ警告を続ける。


「やれやれ、法を司る裁判所の前でデモを起こすなど前代未聞ですぞ」


 暴徒たちが柵の恐ろしさを身をもって知り、近づかなくなると、オメガ3世は苦言をこぼした。


 彼の声に応えるのは、水色の短い髪に、透き通った白い瞳をした少女だ。

 白に青い刺繍が入ったローブを着ており、神聖なオーラを放っている。


「フェリア様、どうかお下がりを。ビッグシールドがあるとは言え、怪物学会が何をしてくるか分かりませぬ」


 フェリアと呼ばれたまだ幼さの残る少女は、オメガ3世を欺瞞の瞳で見上げる。


 正義を司るべき、裁判所の番人なのに、内心では怪物学会を敵として見ているのだ……と、フェリアは上っ面だけの中立に飽き飽きする。


「その言葉、取り消しなさい。怪物学会が過ちを犯した証拠はありません。私たちは正義を担保する最後の砦でなければならないはずですよ」

「っ、申し訳ございません……っ、失言でありました……!」


 オメガ3世はフェリアに深々と頭をさげる。

 

「顔をあげてください。過ちは正せば良いのです。それが正せるうちに」

「はは!」


 オメガ3世は胸を張り、フェリアを守護するべく一歩前へと歩み出た。


「アルバート・アダン……いったいどんな魔術師なのでしょうか」


 噂に聞くさまざまな偉業と、その10倍は耳に入る極悪非道・厚顔無恥・唯我独尊の数々。


 フェリアは思う。


 自分と同じ年頃だと言うが、彼は自分とは、まったく違う時間を生きてきたのだろう、と。


 フェリアは喉をごくりと鳴らし、緊張に冷や汗を流す。


「フェリア様、お下がりください、ビッグシールドの強度を上げます」

「オメガ?」

「奴が来ました」


 オメガ3世は刻印【堅牢術式】に秘められた拡張術式を使い、ビッグシールドの鐘の音を、もう一度鳴らした。


 柵の魔術的符号は強くなり、もはや触れれば吹き飛ぶだけでは済まない高熱を帯びる。


 フェリアは空を見上げる。


 ずっと遠く、まだごく小さいが確かにいた。

 青い空、巨大な翼を携えたドラゴンが、まっすぐに記憶司法裁判所へ飛んで来ている。

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