チャンスは動ける者の手に



 ──ジャヴォーダン城・中庭


 瓦礫の山に、粉塵がただよう。

 いつか聞いたジェノン鉱山での、坑道におきたという事故は、こんな具合だったのだろうか。


 肺がじゃりじゃりした不快感に襲われる。

 身体の中のもの全部取り出して、泉の清水で洗い流したい気分だった。


 それでも、ノエルは瓦礫を持ち上が、埋まった学生たちを救うために努める。


 高潔な魂は、高潔な行動に宿るのだ。


 突然の塔崩壊から2時間ほど、ノエルはそうして学生達を助け続けた。


「ノエル氏、そろそろ離れよう、さっきからずっとモンスター達が城のまわりで暴れてる」

「リバー、まだダメよ、埋まってる人がいるかも」


 ノエルはおすわりして待つロメロのあたまも撫でて「そんな目で見ないでよ」と、申し訳なさそうに目を伏せた。


「おい、そこのお前たち……ッ!」


 人の声が聞こえ、ノエルとリバーは、声の聞こえる瓦礫下を恐る恐るのぞいた。


「はやく俺様を助けないか、この使えん平民どもめ!」


「げっ、アイツだ……っ」


 慈善の心を持つノエルは、無意識に顔をしかめていた。


「ノエル氏、あれは放っとこう。助ける価値のない人間だっている」


 リバーとロメロは、今見た者を、見なかった事にして、立ちあがり、背を向けて歩き出す。

 

「聞こえてるぞっ! おい、行くな、没落貴族ッ! 俺を助け……ええぃ、クソめが! どいつもこいつも使えないゴミばかりか!」


 そう汚い言葉で悪態を吐き散らすのは、怪物学会を個人的に視察しに来た貴族の御曹司ジャクソン・ウォルマーレであった。


「これだから平民は嫌いだ、尊い者を理解せず、貴族へ真の敬意を表さない、非常時になれば、簡単に見捨てやがる!」


 普段から屋敷のメイド達に愚痴を言われているストレスだった。大きくない屋敷に住んでいると、どうしても耳に入るのだ。


「む、貴様、何見てるッ! お前もとっとと俺様を見捨てて逃げたらどうなんだ!」


 瓦礫に挟まって動けない自身を除いてくるノエルへ、ジャクソンは罵声を浴びせた。


 ノエルは、ジーッと見つめて考え込む。


 この貴族どうしよう、と。


「そうです。平民である私の手なんか借りなくても、貴族様ならなんとかなるのでは?」

「貴様、馬鹿にしているな?!」

「いえいえ、まさか。ジャクソン様には、あのカッコいい銀色の子がいるでしょう? どうしたんですか? あの子がいれば瓦礫くらいどうにかなるでしょうに」

「知らん! あのクソ狼は驚いて遠くへ行ったきりだ!」


 ジャクソンは唇を噛み締め「どいつもこいつもバカばかりだッ!」と、舌が覚えてしまうほど繰り返した罵声を吐いた。


 すると、彼を潰してある瓦礫が少しだけ動いて、隙間から砂がサラサラと落ちた。


 どうやら、無闇矢鱈と大声を出したせいのようだ。


 ジャクソンは顔面蒼白になり、恐怖から喉が張り付いてしまう。これでは自慢の悪口製造機も稼働停止せざるを得ない。


「あまり叫ばない方がいいですよ」


 ノエルは半眼で助言する。


「ぇぇぃ、はやく、助けろ……っ」


 かすれ声でいばるジャクソン。


「威張ってると助けてあげません。人に物を頼む時は、お願いしますと言わなくていけないんですよ」

「この……ッ、平民のくせに生意気な……っ」


 ジャクソンはあたりを伺い、今の自分には誰かの助けが必要不可欠だと再確認する。


 その上でようやく、神妙な面持ちになった。


「助けろ、平民。礼はする」

「お願いします、です。さっきあれだけの事をしたのに、それくらいで助けて貰えると思わないでください」

「お、お願い、します……」

「よく出来ました。それじゃちょっと待っててください。方法を考えますので」


 瓦礫の隙間からのぞいていたノエルの顔が、見えなくなる。ジャクソンは仏頂面で「貧相な娘め、必ず後悔せてやる」と苦言をこぼす。


「ノエル氏、本当にあのクズ助けるんです?」


 ノエルとジャクソンのやり取りを見守っていたリバーが、うんざりした顔でたずねた。


「最低な人だけど、救える命だし……」


 ノエルは、アルバートやアイリスのような高潔な魔術師達ならどうするかを考える。


 答えはやはり、助けるだろう、と言う部分に落ち着いた。


 アルバートならその上で報復を、アイリスなら優しさを見せるに違いない。


「それに、これで恩を感じてくれたら、何か良いことがあるかもしれないよ。貴族とのコネクションは大事だ、ってアイリス様が言ってたんだから」

「案外、したかかな所がありまよね、ノエル氏って」

「そうじゃないと、爵位を手に入れるなんて無理だもの」

「まあ、そうですけど……でも、だったら貴族に目をつけられない方がいいんじゃ?」

「誇りと責任を失ったら、何が残るの? それは、私の強かさじゃないの」


 ノエルの夢は貴族になる事だ。怪物学会の弾頭で形は変わりつつあるが、大元は変わらない。つまりお金持ちになりたいのだ。

 そして、これまで苦労してきた両親や兄弟姉妹たちに良い暮らしをさせてあげたかった。


 その為には何でも利用して、いかなるチャンスも逃してならない、成功者が語る″成功の秘訣″とか言う本にもそう書いてあった。


 と、ノエルは自論を展開して、リバーを圧倒しようと思ったが、その勇気は湧かなかった。


「あの男はダメだと思いますよ。恩を仇で返すタイプの貴族です。ノエル氏は甘いと思います」


 リバーからの賛同は得られそうなかった。


「もういいわ、リバーはここで待ってて。私は誰か手伝ってくれる人がいないか探してくるから」


 ノエルはリバーの静止をまたず、何か方法はないかと、瓦礫の山を歩き始める。


「何かを変えるのに待ってちゃダメ」


 自分に言い聞かせながら、あの傲慢な貴族を助ける方法を探す。

 

 すぐに、遠くに人影を見つけた。

 灰髪と黒髪が半々の特徴的な少女だ。


「リンさん! よかった!」


 初めて会ったのは、ほんの2時間前であるが、ノエルは彼女のことを頼れる人物として、信頼していた。


「さっきぶりね、ノエル。ここら辺に青い大きな人間がいなかった? 黒いコートを着ていてら、黒いハットを被ってる。胸に24番のバッジを付けてて筋骨隆々」

「え、」


 会うなり、いきなり質問をされ、ノエルは面食らう。


 話しかけたのは自分からなのに。


「そんな怖そうな人、見てませんけど……」

「そう、なら良いの。見つけたら教えて」


 リンは手に持つ本に視線を落としながら「どこに消えたのかなぁ……」とため息をつく。


 何か探し物をしているようだったが、ノエルもまた緊急の用事だった。


「リンさん、実は瓦礫の下に埋まっちゃってる人がいて、助けてあげたいんです」

「ん、守護霊に守られてなかったの? 全員守ったつもりだけど」


 リンはノエルに手を引かれるままに、ジャクソンの元へやって来た。


 待っていたリバーは目を丸くして「まさか仲間に会うとは……」と、リンの斬新な髪色に感動していた。


 リンは瓦礫の下をのぞく。


「こんにちは、私はリン。あなたは?」


 ジャクソンは「そんな事どうでもいい、はやく助け──」と言いかけ、リンの豊かな胸元にに目を向ける。

 男に取り入る強力の武器だが、そうではなかった。ジャクソンの目に入ったのは『怪物学会・主任研究員』のバッジだ。


 『主任研究員』は、怪物学会という研究機関において『研究員』『主席研究員』『上席研究員』に次ぐ、高位の職階を示すものだった。

 

 それはつまり、目の前の意味不明な髪色をした少女が、一介の学生ではなく、完全に怪物学会側の人間ということを示していた。


「お前、怪物学会の……、くっ、貴様らのような裏切り者の手は借りん!」

「バッジは? 無くしたの?」

「俺様は誇り高きウォルマーレ家の人間だ! 怪物学会になど与してはいない!」

「そう。それじゃ私も助ける事はできない」


 リンは立ち上がり、背を向けて歩き去る。


「え! ちょ、ちょ、リンさん!?」

「彼を助けるために私の力は貸せない」


 リンはノエルの頭に手を置く。


 ノエルはこのままでは貴族に恩を売れない、と割と実益重視で焦りはじめる。


 と、その時、

 

「ん」


 ふと、リンは顔をあげ、遠くへ視線を投げた。


 何事かと訝しむノエル。


「助けてくれそうな人が来たみたい」

「え?」


 リンの視線の先、瓦礫の山を越えて、太陽の輝きを反射する美しい髪の少女がやってきていた。


 紅の瞳は、この惨事を重く受け止めるように、見開かれ、目の前で起こっている事象をあまねく記憶にとどめようとしてるようだ。


 ノエルは彼女の顔に見覚えがあった。


「アイリス様!」


 名前を呼ばれて、ノエルの存在に気がついたアイリスは、隣のリンへ注意を向けながら近づいて来た。


「ノエル、あなたは無事なのね」

「怪物学会へ学びに来た学生たちには傷一つないけどね」


 リンは無表情のまま、ノエルに話しかけるアイリスへと口を挟んだ。


 感覚の鋭いアイリスには、リンが自分を歓迎していない事がひしひしと伝わって来ていた。

 

「……。何が起こったの、ノエル」


 アイリスはリンから視線を逸らして、ノエルの口から何が起こったのかを聞いた。


 突然崩れ落ちた塔。

 生徒達を守った狼の守護霊。

 ここまでの救助活動と、城中から聞こえる争いの音。


 アイリスは沈痛な顔で黙って聴いた。


「あなたは、リンでいいのかしら?」


 アイリスはリンの胸のバッジを見ながら聞く。


「その呼び方で良い」」

「ありがとう。火急の要件で、すぐにアルバートとわたしのお父様フレデリック・ガン・サウザンドラに合わせてくれないかしら」

「もうマスターは気がついてる。黙っていても彼から会いに来るはず」

 

 リンの突き放すような目を、アイリスは真っ直ぐ見つめる。


 特段、この発言に含みがある訳ではないようだった。

 

 とすれば、待っていればアルバートから会いに来るというのは、本当らしい。

 

「アイリス様! それよりちょっと手を貸して欲しいことが……」

「ノエル?」


 ノエルに手を引かれ、アイリスはジャクソンの元へ連れてこられる。


「っ、んほぉ?! なんという劇的な再会! 俺の愛しいアイリスが、最愛の夫である俺様のために、助けに来てくれるだなんて!」

「あ……」

 

 アイリスは瓦礫の下をのぞくなり、ギョッとして硬直し、言葉を失ってしまった。


 生理的嫌悪感から鳥肌が立つのを感じる。


 現実も夢の間をさまよい、ようやく意識を取り戻した時、ベッド脇にいた、この男が何をしていたか……アイリスは思い出したくもない。


 高潔にして純善なアイリスが、こんな感情を向ける人間は世界にも指折りしかいない。


 そんな指折りの不名誉の一角を飾る貴族が、このジャクソン・ウォルマーレという男だ。


 何を隠そうこの男は、破綻した婚約のセカンドプラン──意識不明のアイリスが、いつの間にか結婚したらしい″夫″を名乗る不審者なのだ。

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