港湾都市 Ⅱ

 ──しばらく後


 人魚を謎のサメ男から守ったアルバートは、さかな博士なる人物の案内で、彼の家へと招かれていた。


 お茶と一緒に出てくるのは、海藻を加工したお菓子らしい。丁重に遠慮する。


「そんなお気にしなくてもいいのにぃ」

「まったく気にしてないが。ところで、さっきの人魚のことが気になる。教えてくれないか、人魚とは何なのか」


 さかな博士は茶をすすり、海藻せんべいを口に放りこみ、バキバキと音を立てて食べる。

 席をたち、腰裏に手をまわす。そうして彼は客室の窓辺にたって、青い海へ黄昏れる視線をなげ、ようやっと口を開いた。


「アルバートくぅん、ワッチは君のことを待っていたよ。いつかここへ来るんじゃないかとね」

「どうして? 貴方とは初対面だと思うが」

「いや、会っているよ。ずーっと小さい頃に一度だけねぇ」

「父さんが会わせてくれたのか」

「大正解」


 さかな博士はアルバートのことを打ち抜くようにピンと人差し指を立てる。


「質問に答えようか。人魚とはなにかぁ…答えは簡単。キメラだよん」

「やはりか。まさか、キメラなどと言う眉唾な魔術が完成していたなんてな」


 あくまでキメラ技術を知らない設定だ。

 魔術協会の禁忌に触れる可能性がないわけではない。

 魔力から生命体を産み出すよりかは、リスクは低い。

 しかし、依然として「生命の冒涜」に抵触する危険性は孕んでいる。


「おんやぁ、もしかして知らなかったのかなぁ?」

「はい。理論自体は聞いていましたが、実現可能だとは思いませんでした」

「そうかそうかぁ、それは良かった。ならもっと喜んで貰えるものを用意できそうだねぇ」

「?」


 窓に映るさかな博士の顔は、怪しげに歪んでいる。


「いや、実は知っているんだよ。君の家がキメラ研究に興味を持っていることは」

「ほう、それはまた眉唾な」

「ははん、本当だよん。だって、ワッチはあのエドガー・アダンと一緒にキメラの研究に関わっていた魔術師のひとりだからねぇ」


 振りかえり、彼はアルバートを見据えた。


「【観察記録】。知ってるよ。エドガーが変化するように仕込んだ刻印そのものだ」

「……」

「かの優秀な魔術であるアルバートくぅんが、その本当の価値に気づかないわけがない。それに、聞くところによると最近ずいぶんとジャヴォーダンが潤ってるらしいじゃないかぁ」

「全部知っているなら、遠回しな話はやめましょう。時間の無駄です」


 アルバートは立ちあがり、怪書を召喚して見せる。

 さかな博士は「ォオ! それが伝説の魔導書ォォォォ!」と大興奮で近寄ってきた。


「すごい、すごい、これがエドガーの編纂した伝説の怪書ォオオオオ! ワッチも魚系モンスターの項目の編纂に加わりたかったのに『ダメ』って言われてワッチ抜きで作ったっていういじめの結晶ォオ!」


 アルバートから怪書をひったくる様に奪いとり、さかな博士はその内容を読もうとする。しかし、


「グワァァアアアア?! いだぃぃい!?」


 怪書の防御機構が働いた。

 エドガーの友人らしいが、本には認められなかったというわけだ。


「返してもらいますよ」


 床のうえでビクビク痙攣するさかな博士の手から怪書を拾いあげ、埃をはらって魔力の粒子に返還する。


 アルバートは冷めた瞳でさかな博士という魔術師のことを考える。


 こんな魔術師がいるなんて知らなかった。

 ラ・アトランティスには貿易ギルドと仲を結ぶために来たのに、それ以上に大きな収穫が向こうからやってきた。

 この魔術師を信じて良いのか、否か。

 本名を名乗らず、頑なに『さかな博士』で通してくるあたりも怪しい。

 

 しかし、同じ分野で禁忌の研究に取り組んでいる魔術師と知り合いになれることは、大きなメリットがある。


 さかな博士とやらの事をよく調べたほうが良さそうだ。


「アルバートくぅん」

「なんですか、博士」

「ワッチのキメラ見るぅー?」

「そんな簡単に見せていいんですか…」


 甘ったるいような。熱っぽいような。

 とにかく60代の男性に出してほしくない調子の声だ。


 魔術協会に所属する魔術家は多いといえど、ここまで印象的な人物なら、どこかで名前を聞いていても良さそうなものだが……。


「キメラは拝見しましょう。人魚のことも気になりますし」

「可愛いからねぇ……気に入ったのかぁい?」

「研究対象として」

「ふふん、まだまだ少年、ダ」


 さかな博士はそう言い「ついて来なぁ」と誘う様に手でまねくと、床に倒れた状態からグワッと飛び起きた。


 ──地下室


 さかな博士に連れられて地下へやってきた。

 背後には沈黙を守るユウ。前には愉快な博士が手を大きく振って歩く。


 船着場からほど近い、普通の一軒家だったのに、地下室は異様に広かった。


 しだいに水の音が聞こえてくる。


「海と繋がってるんだぁ」


 そう言い、開ける扉の先には、うっすらと明るい水面が揺れていた。

 潮の香りが強い。湿った石床は滑りやすくなっていて、苔が生えている。


 なるほど、確かに海と繋がっている。


 アルバートは納得しながら、自分の魔術工房も水辺と繋げたいな、と何となしに考える。


 さかな博士は波音だけが聞こえる暗闇のなか、慣れた足取りで歩いて、壁際のレバーをさげた。灯の電源だったようで、瞬間、空間が光で満たされる。


 そこら中に設置されている魔力灯がいっきに輝きだして魔術工房の全容をさらけだす。


 ドームの様に広々とした空間だった。

 真ん中には、ちいさな湖と形容して違いない水辺が確保されており、その外周をまわるように様々な設備が用意されている。


「立派な工房ですね」

「全部はエドガーのおかげだったんだぁ」

「おじいちゃんが?」

「そうだよぉ。エドガーはワッチのためにたくさんお金をくれた。ワッチと同い年だったのに、エドガーのほうがものすっごくお金持ってたからねぇ」


 同い年……おかしな事を言うな。


 それに、プレゼントだと?

 共同研究者とはいえ、魔術工房を丸々あげるなんて。……気前良すぎるだろうに。


「でも、捨てられちゃったけどねぇ」

「捨てられた?」

 

 聞き返してもさかな博士は答えない。

 彼は哀愁漂う背中をむけて、壁際に置かれたひとつの培養カプセルに近寄る。


 本来は純魔力物質のクリスタルを調合するためのものだろうが、なかにはサメ頭の巨漢が入っているだけだ。

 生きてるようには見えない。


 とはいえ、驚愕なのは変わらない。

 万雷の賞賛を受け取るにふさわしいのも変わらない。


 なぜなら、キメラの作成においてカタチの形成は極めて難しいことだからだ。


 機能を追い求めて出来上がったリヴァイス・ケルベロスがいい例である。


「これほど人間のカタチに近しいキメラは僕でも作成に成功してません」

「ふふん、キメラを作るための魔術『怪書』でも無理なことがあるとはねェ……」

「怪書はまだキメラ作成に特化できていないんです。まだ、バージョンアップの余地が残されている」

「ほう、君が怪書に手を加えられると?」

「アレンジなら、既に」

「っ。素晴らしいィイ!」


 さかな博士はアルバートのちいさな肩をガバッと掴んだ。

 ユウはピクッと動くが、アルバートが止める。


「怪書はエドガーとその人外の者の者たちって編纂された深淵へと至るための魔術ぅう! それに干渉するなんて、やはり、君はエドガーと同等の天才なのかもしれないァァア!」


 うるさい。

 

 アルバートが思う事はそれだけ。

 それと、エドガー好きだな……。


 と言うことくらいか。


「アルバート、クゥンッ!」

「な、なんですか」

「ワッチと結婚してくれぇえ!」

「嫌です」

「わかった、それじゃ、1週間後にまたおいでっ! 今度は動いてるキメラを見せてあげるから!」

「え? でも、まだ人魚見せてもらってないです。人魚見たいです。あれは僕も作りたいし、なにより可愛──」

「ダメェェエ! 今はまだ見せれない!」

「でも、さっき──」

「今、見せれなくなりましたァァア!」


 さかな博士はそう言って強引にアルバートを魔術工房の外へと追い出してしまった。


 なんなんだ、あのオッサンは。

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