アイリス:家出

 

 サアナ・ハンドレッド。

 『血の騎士』と呼ばれるハンドレッド家の娘にして、主従関係である『血の一族』の令嬢アイリス・ラナ・サウザンドラの従者だ。

 

 真っ赤な瞳と、短い銀髪が特徴的である。


 サアナは本日、伝説の魔術師の直系であるアダン家の刻印継承の儀に参上していた。


 きらびやかな魔法陣のなかから、落雷をまとった腕をかかげる少年が、この場の魔術師たちの注目をあつめている。


 あの少年こそ『エドガー・アダンの再来』

 魔術世界で注目されている新顔だ。


 彼の腕には立派な刻印がきざまれていた。

 大きさを考え見れば、刻印の持つチカラのおおきさに身震いしてしまいそうだった。


 実際、今まではあの少年が嫌いだったサアナも、彼の風格をまえにして、主人であるアイリスの婚約者としてふさわしいと認めざる負えなかった。


 しかし、すぐに驚愕の事態が起こる。


 彼は手を噛まれたのだ、モンスターに。

 使役魔術を保有する魔術家にあってはならない、致命的な失敗なのは明らかであった。

 

 サアナは赤い瞳を見開いて驚いた。


 自分の目で「こいつは凄い」と認めた天才アルバート・アダンが、そのようなミスを犯すなどとは考えもしなかったからだ。


 どよめく会場は、すぐに共通の認識のもとそうそうたる解散の流れとなった。


 もちろん、サウザンドラ家も。

 それに仕えるハンドレッド家も同様だ。


「アイリス様、行きましょう」


 サアナは焦燥感をいだきながら、気を失ったアルバートをかかえる主人をうながす。


「サアナ、だめです。このままではアダン家は……なにより、アルバートが危ない」

「そうは言っても、これ以上アダン家に近づいてはとばっちりを受けるのは当家です。なにとぞ、今は一時撤退を」


 アイリスは簡単にはいうことを聞かなかった。

 だが、彼女とサアナが揉めているところをみたアイリスの父親によって、なかば強引に馬車に乗せられてしまった。


 ──数日後


 アイリスは自分の家がアダン家との関係について修正を図ろうとしていると知った。


 まさか、4年間進めて来た婚約をどうこうするつもりとは思っていなかったが、事態はアイリスの想像を上回って進んでいた。


 ある昼、食事の席。

 銀食器のカチャカチャ言う音が耳障りな昼食の席で、アイリスは終始無言の父親に、アダン家について水をむけた。


「アダン家への援助はどうなってるんですか? この数日の間になんらかの支援を送ってもいいはずなのに、父様はなにも行動なされてないご様子ですが」


 トゲのある声音だった。

 かたわらで食事をともにするサアナは、主人の怒りをひしひしと感じていた。


「あー……その件だが、アイリス」


 父親は顔をしかめて、えらくとぼけたように天井を見あげる。


「婚約の話はなかったことにする」

「え、それって……どういう……」

「そのままだ。アルバート・アダンとお前、アイリス・ラナ・サウザンドラの婚姻は極めて困難と判断した。ゆえに婚約は解消する」


 父親はそれだけつげて、食器をカチャカチャ鳴らして真っ赤なステーキを口に運ぶ。


 アイリスは目の前が真っ暗になった。


 4年前、勝手に話を進めて、顔も知らない少年と婚約させられて、今度は「やっぱり、無しだ」だなんて。


 父の判断の理由はわかっていた。

 当然のようにアダン家の【怪物使役式】が失われたことが大きい。


 サウザンドラ家はアイリスで8代目だが、アダンはアルバートを含めてまだ3代だ。

 魔術世界で言うなら、まだまだ青い家系としてあつかわれる。

 彼らアダンが注目されていたのは、すべてあの【怪物使役式】があったおかげなのだ。


「だとしても……こんなの勝手すぎでは!」


 アイリスは【錬血式】を赤く発光させる。

 普段、深く蒼い色合いをした瞳は、従者サアナの瞳のように血の色に染まった。


 アイリスの父親はそれをみてたじろく。


「落ち着け。アイリス、お前は偉大なるサウザンドラ家の次期当主である事を忘れるな。私たちの魔術が完成を見るには、ちかしい魔術分野で研究が進んでいて、力をもつ家でなければならない。お前もわかるだろう?」


 アイリスは歯噛みして、拳を叩きつけて食堂の長机をまっぷたつに叩き割った。


 彼の言葉を思い出していた。「魔術師として生まれた以上、自由な恋愛など望めない」アルバートは割り切っていた。


 でも、アイリスは彼がよかった。


 4年間、年に会う回数が増えていくうちに、いつしか彼に会う日が楽しみで仕方がなくなっていった。


 たぐいまれなる聡明さと、魔術師らしからぬ博愛の精神、成熟した人格を持っていた。


「嫌です、わたしは──アイリス・ラナ・サウザンドラは、アルバート・アダンでなければ結婚など絶対にしません」


 アイリスは瞳のふちに涙をためて、白いエプロンを叩きつけて食堂をあとにした。


 サアナはびっくりした様子で、アイリスのあとを追いかけていく。


「アイリス様…っ! まずいですよ、お父上を怒らせてしまいますよ!」

「いいです。どうせ家のことと、魔術協会からのご褒美にしか興味のないつまらない男です」

「アイリス様?!」


 その発言はやばいのでは?


 サアナはあわあわして、主人の危なすぎる発言が誰かに聞かれていないか心配する。


「サアナ、あなたはわたしの従者ですね?」


 蒼い瞳がたしかめるように見つめてくる。

 サアナは、こくこく、とうなづく。


「4歳の頃からアイリス様とともに育ちました。この命はあなた様に尽くすためにあります」


 『血の一族』たるサウザンドラが抱える、血の騎士の家系。それは、いざという時のために、大切な【錬血式】を分譲してあるほどに、絶大な信頼を置かれている魔術家だ。


 アイリスはサアナの銀髪を「よしよし」と嬉しそうになでた。

 

 手の甲にある【錬血式】に視線をおとす。


 この力は自らの未来を開くためにある。

 ならば自分がどうあるべきか、どうするべきなのか見定めてみようではないか。


 アイリスは覚悟をきめる。


「ついて来るのです、サアナ」

「はい、どこへでも」


 サアナもまた、決意の表情でうなづいた。



 ───────────

         ──────────

 

 一方そのころ、食堂ではサウザンドラ家現当主フレデリック・ガン・サウザンドラが、曇りゆく窓の外を眺めていた。


「よろしかったのですか、フレデリック様」

「なに、所詮は子どものざれごとだ。あの子は賢い。すぐに感情にまかせた無礼をわびるためにここへ戻ってくるさ」


 フレデリックは自信たっぷりな表情で、1番の信頼をおく優秀な執事に顔を向ける。


 執事──アルソールは「左様でございますか」と納得のいってなさそうな顔で言った。


「ところで、例の件はどうなっている」


 フレデリックは、散らかった食堂をメイドたちが片付けているのを横目にたずねる。

 

「暗殺の件ですね」


 アルソールは声をひそめて言った。


「順調に進んでおります。隣国の暗殺ギルド『アルガス』から暗殺者を雇えるという形で決まりました。2日後の晩に決行します」

「ふむ。足跡はついてないだろうな」

「はい、もちろんです。サウザンドラ家の関与の証拠はいっさいございません」


 フレデリックはうなづき、ふと首の動きをとめると「かのガキも暗殺リストに加えておけ」と言った。


「アルバート・アダンですか」

「ああ。あいつは親父よりよほど野心的で優秀だ。今のうちに消しておいたほうがいい」

「よろしいのですか?」

「構わん。連絡の超速鳥便をだしておけ。あいつが死ねばアイリスも諦めがつくというものだろう」


 クククっとしわの多い顔に笑みをうかべてわらった。


「ん? あれはなんだ?」


 薄ら笑いするフレデリックは、窓の外をみて間のぬけた声をだす。


 目を凝らして窓の外を見てみると、馬に乗って2人ほど、門をでていくではないか。


 こんな夜遅くに馬を走らせるなんておかしい。その姿がローブを深く被った旅装であるものだから、なおのこと誰かわからない。


 向かい風がふいた。

 フードが風ではずされて、長くしなやかな輝く金髪が、たなびく宙にあらわになった。


 フレデリックは窓に顔を貼りつけて、内側から押しあけ「アイリスッ!!」と叫んだ。


 彼女はチラッと振りかえり、フードを被り直すと、そのまま馬の速度をあげて屋敷から出て行ってしまった。























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