第17話 見習い天使が銃を撃つ その3

「ユア! よせ!」

「ユアちゃん、やめて!」


 俺と柊木の叫び声は、月夜の空に響くクラシカルな一発の銃声にかき消された。


 ユアの手元のピストルから放たれた一筋の閃光が、夜闇を切り裂き、川田さんの身体を貫いていった。一瞬川田さんの身体が光ったかのように見えた。


「川田さん!」


 柊木が飛び出す。前方のダンス部の一団に向かって一目散に駆けだして行った。


「これで、これで、悪魔を退治できました……。天使のお仕事、やり遂げることが、でき……まし……」


 ふり返ると、満月の月明りを背景にして、ピストルを構えたユアがゆっくりと膝から崩れ落ちて行く。ゆっくりゆっくりと。鳥の羽が地上に舞い落ちるように。


「ユア!」


 ひとまず川田さんは柊木にまかせて、俺はユアのもとに駆け寄った。ユアは月明りに満足そうな顔を浮かべながら、さながら散り終わった桜の花のように地面に静かに倒れ込んだ。

 なんで撃たれた方だけじゃなくて、撃った方も倒れるんだ、と思いながら、俺はユアの小さくて軽い身体をかかえ起こす。体温のぬくもりがてのひらに伝わる。


「ユア、しっかりしろ! 大丈夫か!?」


 しかし、俺のよびかけに対する反応は、ない。あどけない顔は白く、まぶたは瞳を塞いで閉じたままだ。ゆすっていいものかどうか判断に迷う。俺はユアの寝顔に向けて声をかけ続けた。俺の懸命の呼びかけにも、ユアは目を覚まさない。小さな身体を抱きかかえて俺は途方に暮れた。


「ユア……、目を覚ましてくれよ! 望みをかなえてくれるんじゃなかったのかよ!」 


 いつだって明るくて、元気で、ときどきノイジーで。それでこそ見習い天使だと思っていた。俺の腕の中で静かにまぶたを伏せるその身体は、壊れそうなほどにもろく、おそろしいまでに儚く、耳に沁みるほど静謐だった。


「見習い天使は、いつもそこにいてくれるんじゃなかったのかよ! ユア!」


 そのとき、必死に呼びかける俺の背後に、月明りを遮る影が迫った。淡々とした女の人の澄んだ声が耳に届く。


「ユアはね、ただの体力切れだから心配ないわ」


 振り向くと黒いビジネススーツ姿の女の人が月明りを背に立っていた。暗がりにまぎれて表情がよく見えない。女の人は俺に近寄ると、そっと俺の腕の中のユアの髪の毛を撫でる。


「ただでさえ夜は天使の体力と能力が半減するのに、徹夜明けでデビルイレイサーを思いっきり撃つなんて、まったくムチャするわね。デビルイレイサーは天使の体力と能力を銃弾に濃縮させて発射するから、自分の体力と能力の残りには気を付けるように、それに悪魔を飼っている人には効かないから無駄玉撃たないように、って授業でやったはずなのに」


 ユアを覗き込んで話す声の主は、長い髪の瞳のキレイなおねえさん、というには少し年が行ってる感じの女の人だった、……と思った途端、目の前が一瞬オレンジ色の光に包まれて、俺の身体をばちんと強烈な電撃が襲う。俺は思わず叫び声をあげてしまった。


「うひいっ!」

「あら、ごめんなさい。貴重なノミニーを傷つけるつもりはなかったんだけど、なんだか『おねえさんというには年食ってるな。相当無理したらおねえさんと呼べなくもないけど、常識的にはオバさん、だよな』とかいう罵詈雑言が聞こえた気がしたのよ。手元が狂ってうっかり雷撃しちゃったわ」


 そう言って自称おねえさんはにこりとステキな笑顔を見せた。


「うふふふ。悪気はないのよ。許してね。でも、言葉には気をつけてね。また私の手元が狂うかもしれないから」


 なんなんだ、この人は。そこまで考えてねーよ。こえーよ。柊木のヤバさとはまた違ったヤバさを感じる。


「あ、自己紹介してなかったわね。私は天使学園の事務官兼教官付秘書のアリス。研修中のユアがお世話になってるみたいね。あなたがケンジローくんなのね」


 え? 天使学園の事務官兼秘書?


「ってことは、アリスさんも天使なんですか?」

「そういうこと。私は見習いじゃない、本職の天使なんだけどね。しかし、まったくユアはめちゃくちゃするわね。ターゲットをしっかり調べもしないで、デビルイレイサーを撃っちゃうなんて」


 あ、そうだ、川田さんはどうなった? ユアを抱きかかえたまま首を振って周囲を見回す。これといって変わったところがない。しいて言えばさっきよりも月明りがはっきり届くようになったくらいか。晩秋の月明りはくっきり青白くて、周囲の寒々しさを一層際立たせる。「光」につきものの「熱」がない。


「川田さん、川田さんは、どうなったんだ!」


 すると向こうの方から、柊木がまるで汎用人型決戦兵器のようにゆらりと歩いて戻ってきた。月光を浴びて柊木のきりっとした顔にうっすらと陰影が落ちている。


「柊木! どうだった!? 川田さんは?」


 柊木は月明りに顔を上げて言った。


「どうもこうもないわよ。ぜんぜん平気そうだったんだけど。なんかダンス部のメンバーで話に盛り上がってただけだった。割って入るのもなんだし、声もかけないかったよ。とりあえず大丈夫そう」


 え? 平気なの? なんで? あんなにばっちり銃弾がヒットしてたのに。頭の中にクエスチョンマークが渦巻く。おそらく柊木もおんなじ気持ちだろう。銃弾が貫通したのを目の前で見たのに、平気な顔で楽しそうに後輩たちと話をしている川田さんの様子に、柊木は安心しつつも納得いかない様子だ。まさに狐につままれた気分だ。


「そりゃ当然よ。あ、あなた、柊木さんね。いつもユアがお世話になっています。私は天使学園の事務官兼教官付秘書のアリス」


 アリスが先ほど同じ自己紹介を柊木に向かって口にする。柊木は「は、はあ」とさらに合点がいかない顔だ。


「デビルイレイサーは、悪魔に魂を食べられてしまった人間から悪魔を除去するためのもの。言ってみれば悪魔退治スプレーの超強化版。体内に悪魔がいない人に向けて撃っても、何も起こらなくて当然よ。ただの無駄玉。結構高いのに。もったいない」


 そうなのか! 川田さんは、川田さんの思い出は無事だったのか! よかった。思わず身体中の力が抜けてへなへなとへたり込んでしまった。

 川田さんの思い出は言ってみればユアが生きていたことの貴重な痕跡。それを自分の手で消し去るなんてどうかしてる。だいたい川田さんが悪魔に魂を食べられているなんておかしいと思ったよ。


「ただし……」


 そこでアリスは言葉を切った。イヤな予感がする。


「ただし、悪魔退治スプレーを直接大量に吸い込んだ時と同じ副作用が、もっと強力に出るんだけどね」

「アリスさん、川田さんの場合は、それ、めっちゃヤバいことが起こってるってことじゃないですか!」


 しかし、柊木はアリスさんの話に、俺とは違った感想を持ったらしい。鋭い声で俺をたしなめた。


「ちょっと石塚は黙ってて! えーと、アリスさん、ですね? 少し話を整理したいんですけど」


 柊木に制されて俺は口をつぐむ。分からないことだらけだ。アリスさんは天使というよりも妖艶なおねえさんの微笑みを浮かべながら答えた。


「いいけど、まずはユアを『天使のすみか』に連れて行ってからにしましょう。このまま放置しておくと、ユアは体力切れで天上界に強制送還になっちゃうわよ」


 ◇


「悪魔、絶対、許しません……むにゃむにゃ」


 満月の月明りに照らされた住宅街の歩道を、俺たち三人横に並んで歩いていた。一番車道側がアリスさん、真ん中が柊木、そして背中にユアをおぶった俺。背中のユアが寝言をつぶやいている。

 結果的に川田さんは無実で、悪魔を飼っているわけでも、悪魔に魂を食べられたわけでもなく、ユアのピストルで撃たれても被害はなかった。しかし、問題が解決したわけではない。むしろ誰が張本人なのか分からなくなった分事態は悪化しているとも言える。

 ユアとアリスさんの話から推測するに、誰かが悪魔の増殖に一枚嚙んでいて、このままでは悪魔が増殖を続けることは間違いない。そして悪魔が増殖するのは月に一度、満月の夜。今、俺たちの頭上で冷えた青白い光を放つ満月が沈むころ、また悪魔が『悪魔の種』を振りまきながら増殖していく。それを防ぐのは天使の仕事だ。

 ユアは夢の中でその悪魔を追っている。それがプロの天使の責任感なんだろう。なんだかんだで正義感の強いヤツなんだな、と背中の重みに俺は目を向けた。まつ毛を伏せたユアの顔は、幸せな夢を見ながら昼寝をしている少女のそれだ。天使のまどろみ、という言葉がふさわしかった。


「アリスさん、ユアの『天使のすみか』の場所、ご存じなんですか?」


 柊木がふと車道側に顔を向けてアリスさんに話しかけた。


「そりゃもちろん、私が手配したからね。今はサイオンジ教官が勝手に部屋に入ってくつろいでいるはずよ」

「サイオンジ? ああ、ユアちゃんが言ってた教官さんですね」

「そう。あなたたちも挨拶しておくといいわ。あの方は天使としての腕は確かなのよ。ちょっと変態だけど」

「変態なら……」


 ここにもっとひどいのがいると言いかけて、俺は口をつぐんだ。柊木がオニのような目でこちらをにらんでいる。


「なんだよ、柊木が変態だなんて、今さら隠すようなことかよ」

「石塚、なんか言った?」

「いいえ、なにも、言ってません」

「ふん」

「ふふふ、あなたたちいいコンビね。この先もずっとその調子でやって行けそうね。でもケンジローくん、あなたはちょっと脇が甘いところがあるから注意しないといけないわよ。現に『悪魔の種』が体内に入ってしまった痕跡があるから」


 まじで? なんかウィルスが体内に侵入したみたいな気味が悪いこと言わないでほしい。


「『悪魔の種』ってユアの言ってた悪魔が分裂するときに出すあれですか。たしか、人の感情を歪めるとかいう。でも、俺、まったく症状ないんですけど……」

「症状なら出ていたはずよ。自分で気が付いていないだけで。でも駆除済みで免疫ついているみたいだから、今はもう心配はいらないわね」

「はあ」


 俺の体内に『悪魔の種』が入った? んー、なんのことかさっぱり分からん。なんか断片的に断言されても話の全体像が見えない。横では柊木が下唇を噛んで眉間にしわを寄せてる。


「ま、とにかくユアが回復したら討伐に行きましょう。ターゲットは間違っていたけど、それ以外はユアの言っていたことは正しいわ」


 柊木が顔をあげて口を開いた。


「ということは、満月の夜、つまり今晩中に討伐しないと『悪魔の種』が拡散してしまう、ってことですよね」

「そうよ」


 アリスさんはうなづく。柊木はそれを見てさらに質問を重ねた。


「悪魔カタツムリが出る時は、近くに悪魔を飼ってる人がいる、ってことですよね?」

「そうよ。小さい悪魔がたくさん出るときは特に、ね。あと悪魔に魂を食べられちゃった人がいる場合も出るわよ」

「なるほど。でも今回は魂を食べられた人はいない、ってユアちゃん言ってた……」

「そうね。ということは誰かが悪魔を飼っていて、その飼われた悪魔が満月の夜ごとに増殖しているのね」


 柊木はアリスさんの言葉をひとつひとつ反芻しながら考え事をすすめている。ここまでの話は俺にも理解できる。ユアは悪魔を飼っているのは川田さんだと勘違いして銃を撃ったわけだ。


「悪魔が分裂するときに出す『悪魔の種』って、本人の気が付かないうちに体内に入ったりすることもある、ってことですよね?」

「そうね。食べちゃったり、吸い込んじゃったりすることもあるわよ」


 柊木の質問が続く。アリスさんはにこりと笑いながら、誘導尋問に答えている。次に何を聞かれるか想像がついているような答え方。


「『悪魔の種』が体内に入ると感情が歪むんですよね? 感情が歪むと好き嫌いが変化したりするんですよね?」

「そうよ。ふふふ。感情の起伏が大きくなったり、突然好き嫌いが変化したり、考えた末の結論が変わったり」

「……やっぱりそうなんだ。悪魔を飼っている人自身も『悪魔の種』が体内に入って感情が歪むことってあるんですか?」

「ふふふ。あるわよ。間近で『悪魔の種』がばらまかれるからね。たいがいの場合、一番最初に一番たくさん『悪魔の種』を吸い込むから、悪魔を飼っている人が一番大きく感情が歪むわね」


 ん? 柊木は何を聞きたいんだ。再び下くちびるを噛んで考え事を始める柊木。なんか質問の方向がバラバラになってきた気がするんだけど。そんな俺の疑問をよそに、柊木はきりっと表情を引き締めてダメ押しの問いをアリスさんに投げた。


「アリスさん、最後に一つ。石塚の『悪魔の種』がもう駆除されていて、免疫獲得してるってことは、あのピストルで撃つ以外にも、悪魔を飼っている人を討伐する方法があるってことですよね?」

「そうよ。ふふふ、柊木さんはもう分かったみたいね」

「多分、分かりました。なんかすごい腹が立っています。そういう、人の感情をもてあそぶようなことする人、私は嫌いです。たとえ『悪魔の種』で感情が歪められていたからだとしても」


 柊木がきっぱりと断言した。

 え? なにが分かったんだ、柊木。きょとんとする俺に向かって柊木が言い放つ。


「この鈍感ヤロー! まだ分からないの? 早くメールでもメッセージでもいいから呼び出すのよ。今晩中に始末しなきゃいけないんだから!」


 ◇


 柊木にドヤされてユアを背負ったままメッセージを打つと、「九時に学校の屋上に来て」と返信があった。柊木は俺のスマホに表示された返信を覗き込んでアリスさんに尋ねる。


「九時まであと二時間。それまでにユアちゃん、回復できます?」


 俺の背中で幸せそうな顔で眠っているユアを一目見やってから、アリスさんは柊木の質問にゆったりと答えた。


「『天上界特製 ポップアップきらりんダウンライト』の光を浴びるだけじゃ間に合わないわね。でも大丈夫。『いやしの天上界入浴剤 ほっこりなごみの湯めぐり紀行』を入れたお風呂でフル回復まで急速チャージすればいいわ。ちなみに私のおすすめは別府と下呂と草津。道後もいいわよ」

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