「こんなこと初めて。眠ってて気付かないなんて」

「まぁ、初日であれだけのことを記憶したんだ、疲れて反応できなくても仕方が無いだろう。少しは手を抜くかと思ったが、言われたとおりに全部やってのけるんだからな」

「……やれといったのは貴女じゃないですか」

「そりゃまぁ、そうなんだが。Sなんかは困らない程度だけやって全部はやらなかったし、Wにしても要領よく自分の担当するだろう場所だけを覚えて、あとは仕事をしながら覚える方法をとっていたしな。始めっから全部覚えこむなんて無茶をした奴は初めてだ」

 大きく笑って言う千珠咲に少々機嫌を悪くしながら付いていく仄だったが、千珠咲はそんな仄の頭を数度軽く叩いて微笑む。

「それだけの無茶が出来てしまう頭脳を持っているということだ。私はなかなかいい拾い物をしたようだな」

「それは褒めてるんですか、けなしてるんですか」

「褒めてるんだよ、素直じゃないなお前は」

「それはこっちの台詞です」

 上司であるということを忘れているのか、物怖じすることなく自分に文句を浴びせてくる仄に笑顔を見せた千珠咲は、中央の部屋にやってくると真っ白な何も無い壁に向かって手をかざした。

 Wがやったような合言葉は合言葉を決めた知珠咲自身には必要がなく、合言葉が必要なのは知珠咲の部下たちだけ。そのため、手をかざしただけで、上に向かってのびる階段が現れる。

「データを見て思ったんですが、これを使わなくても外界へのエレベーターがありますよね? どうしてそちらを使わないんです?」

「あっちは来客用だ。これを使えるのは私と私の部下だけ。エレベーターは戦闘管理局の連中がここにくる手段が無いというから作っただけだ。いわゆる非常用ってやつだが実際戦闘管理の連中がここに来るようなことはありえないだろうし、必要ないものだ。ゆえに適当に作らせたし本当に動くかどうかも怪しいって言うディスプレイ的な代物だ。何より、あんな島の端っこに出るようなものを使うぐらいならこっちを使ったほうが便利だろう。これは館内のいたるところに出口があるんだからな」

「そりゃ貴女はいいでしょうけど。貴女がいい加減につけた合言葉を言わなきゃいけない立場にもなって欲しいですよ」

 千珠咲が決めた妙な合言葉は長いうえに、どれもこれも食べ物に関係する妙なものばかり。

「覚えやすいだろう?」

「覚え難いです。どうせなら一言で済む言葉にしてくださいよ」

「店名とその店の名物料理の名前を抱き合わせたほうが覚えやすいじゃないか」

「どれだけ食い意地がはってるんですか。で、その出口は何処なんです?」

「東棟18番裏だ」

「はぁ、……明治屋の卵焼きは最高だ、ですね」

「正解。合言葉まで覚えている奴は初めてだな、本当にいい拾い物をした」

「その拾い物っていうのやめてもらえませんか?」

 ため息混じりに仄が言い、千珠咲が拾ったのだから拾い物に間違いはないと大きな声で笑い通路を出て暫く歩いていると、聞き覚えのある声が仄を呼び止めた。

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