二人目 栞Ⅱ

 悠一が一人目を経験して感じたのは、選ばれた女性はその態度が急変することと、それに伴って行動が大胆になることである。


 大胆になる、と言えば聞こえはいいが、実際はそんな言葉では表せないようなものだ。

 拉致監禁。暴行に傷害。

 それに近い行動をしている女性が彼の周りに現れたのだから、悠一は大いに混乱した。それも一人二人ではなく数十人単位でなのだから余計にだった。

 学校に行けば空き教室やトイレに連れ込まれそうになり、道を歩けば誰かに後をつけられる。アルバイト中は露骨に誘惑してくる女性もいた。

 学校などでは灯や真夜、楓が守ってくれるようになったが、その度に姉妹が怒り狂うのだから気が休まることはない。

 常にピリピリとした彼女たちといるのは、街中で爆弾を抱えて生活するようなものだった。

 

「悠一さん、大丈夫ですか……?」


 辟易としていた悠一に、栞は心配そうに声を掛けた。

 ひっきりなしに鳴る携帯電話、常に誰かに見られているような状況、一日に何度も爆発する姉妹、それを笑う楓と遠巻きに眺めるだけの一樹(避難しているとも言う)。

 バイト中はそんな彼女たちも多少の遠慮があるのか、学校や道端ほどではないが、それでもセクハラ紛いのことをされたりするのだから気が抜けない日々が続いていた。

 

 それを気付かれないようにしていても、栞は彼の変化を見逃さなかった。

 こっそりとつく溜め息や、普段より少しだけ明るさのない笑顔を、栞が見落とすはずもなかった。

 

「大丈夫ですよ。ちょっと最近おかしなことになってますけどね」

「そうですね。悠一さん、モテるとは思ってましたが……」


 チラ、と店内を見渡す。二人を無遠慮に見つめる女子グループや、忌々しげに見つめる女性など様々だった。慌てて目を逸らす女子生徒など可愛いほうだ。

 

(リリィが何かしたってわけじゃないみたいだけど……)


 あまりの状況の変化に、悠一は早々に悪魔を問い詰めた。

 しかし返ってきたのは自分は関係ない、の一言で、悠一はさらに困惑した。

 今まで普通に話していた女性が、急に目をギラつかせて襲い掛かってくるようになったのだ。この悪魔の仕業でなければ説明がつかなかったのだが、リリィは嘘を吐かない。彼女の仕業でないことは疑いようがなかった。

 

「気をつけて下さいね。何かあったら、ちゃんとお姉さんに言うんですよ?」

「ははは……はい、そのときはお願いします」


 空笑いでも彼女は満足したのか、心配そうな表情から一転して満面の笑みを浮かべた。

 やはり綺麗な人だな、と悠一は思う。見た目ももちろんだが、何よりも自分の身を案じてくれる優しさに感動していた。

 姉妹や楓も悠一を心配してはいるのだが、姉妹はどちらかと言えば番犬のような振る舞いで、楓はただただ楽しんでいるようにしか見えないのだ。


 ぼうっと栞に見入っていると、笑顔に赤みが差す。

 照れたようにはにかむ栞に悠一は慌てて視線を外した。

 

「そんなに見つめられると、流石のお姉さんでも照れちゃいます」

「あ、いや、ただ綺麗だなって思っただけで……あぁぁ、そうじゃなくって、その」

「あら」


 余計なことを言った、と思うより早く、栞の笑みが深まった。次いで堪えきれない笑い声が漏れ出る。

 綺麗だなんて言うつもりはなかったのだが、心の声が口に出てしまった。違うんです、というのも失礼なことなので、悠一は顔を赤くしたまま俯いた。

 

「ふふふふ、悠一さんが綺麗だって言ってくれるなんて。今日はいい日ですね」

「あぅ」


 にやにやする栞が少年の頭を撫でる。心なしか彼女が近づいてきたように感じられた。柑橘系の香りが鼻を擽り、女性の香りに余計縮こまった。

 どうも子ども扱いされているような気がして、むず痒い気持ちになる。大げさに拒絶するわけにもいかず、ただただ悠一は暖かい手の平を受け入れるしかなかった。


「すみませーん」


 店内に響いた声に、悠一はびくりと身を飛び上がらせた。テーブル席に座る女性が、メニューを振ってアピールしている。どうやら彼女が呼んだらしかった。

 反射的に返事をした。顔は赤いままだったが、だからといって無視をすることもできない。深呼吸をして席へ向かった。

 

 

 小声で小さくいってらっしゃい、という声が耳に入り、深呼吸の意味はなくなってしまった。

 

 

 




 夏も近くなり、日はかなり伸びていた。バイトが終わっても辺りは薄暗い程度だったので悠一はなんとなく安心感を覚えていた。本音を言えば、暗闇での一人歩きは未だに怖い。

 我ながら女性のような思考だなとは思うが、女性は怖いのだと再確認したばかりだ。最近は耐性がついたと思っていたが、勘違いだったのかと自己嫌悪してしまう。

 見た目はボーイッシュな少女のようでも、中身は男なのだ。可愛いよりは、格好良いと言われたい。自分で女の子っぽいと思っているようでは男らしくなるのにまだ時間がかかりそうだ。

 

 バイト先から家までは、さほど遠くはない。歩いて二十分程なので、わざわざ自転車を買うまでもなかった。散歩が好きな彼にとっては、この二十分がとても気に入っていた。

 それは蒸し暑くなってきた初夏の夕道でも変わらず、じんわりと汗を掻きながらものんびりとした時間を楽しんでいた。

 

 やけに赤い夕焼け。それがだんだんと山に隠れていき、それと同時に夕闇が辺りを包み込む。ほんの少しだけ寂しさを感じては、悠一はてくてくと歩き続ける。

 虫の鳴き声が耳を撫でた。ジー、だったり、リーだったりと聞き慣れた音だ。夏の訪れを感じさせてくれるのだから、虫は得意ではなくとも、この鳴き声は好きだった。

 

 暫く耳を澄ませて歩いた。

 車通りもなく、雑音はほとんどない。今日は一段と暑いからか、人通りも全く無かった。

 虫の鳴き声と自分の足音。まだほんの少し光が残る空には月と星が輝き始める、風情を感じられる最高の散歩。

 そんなのんびりとした時間に、自然と気分も高揚していく。意味もなく嬉しくなって鼻唄を口ずさんだ。周りに人はいないのだから堂々と歌ってやった。

 曲名は覚えていないが、お気に入りの歌だった。歌詞もうろ覚えだし、何処で聞いたのかも忘れてしまった。それでもお気に入りなのは間違いない。

 

 やがて夕日が完全に山の向こうへ沈み込み、周囲は完全に暗闇へと落ちていく。ここら辺は街頭が少ない田舎道のため、一気に雰囲気が変わっていった。

 同時に不気味さも増していく。心霊スポットの類ではないのだが、人気も光も無い場所はどうしても雰囲気がある。

 鼻唄はいつの間にか止めてしまった。残るは木々が擦れる音、虫の鳴く寝音色。そして人の足音。

 

(足音―――?)


 そこで気付いた。上機嫌だった彼は、後ろから迫り来る足音に注意を払わなかった。

 ぞくっとして、後ろを振り返る。二人組の女生徒が歩いていて、真っ直ぐとこちらを見つめている。

 距離は数メートル程で、これならばただ後ろを歩いていただけのように思える。だが、悠一は彼女たちの顔に見覚えがあった。

 

(学校で、確か……)


 記憶を頼りに思い出す。確か、彼女たちは一学年上の先輩だ。

 学校でも店でもボディタッチが多く、その度に灯と衝突していたのを思い出した。取っ組み合いの喧嘩にまでなったというのに、まだ懲りないのかと感心する程にちょっかいを掛けてくる人だ。

 冗談であってほしいとは思っているのだが、何故か背筋を悪寒が走っていく。何か良くない状況だと経験から悟っていた。

 何せこの状況は、千里の時と同じなのだ。また攫われて監禁されるのはごめんだった。そこまでするつもりはないのだろうが、可能性はゼロじゃない。

 

 意を決して、悠一は歩調を速めた。このまま引き離せるなら良し。向こうが追いついてこようとするのであれば、何かされると思って全力で逃げるのみ。最悪大声を出してしまえばいい。

 景色を楽しむ余裕はもう無かった。その代わり、背後に息づく気配に神経を集中させる。今まで気付かなかったのが不思議なくらい不気味な足音で、それが遠ざかる気配はないようだ。

 

 舗装が剥げたぼろぼろのコンクリートの道を、悠一はほとんど走るように駆け抜ける。それでも足音は消えることはなく、振り返れば女生徒二人が追いかけてくるのが目に入った。

 にやにやした、意地の悪そうな顔。ああいった表情の女性に近づくべきではないと知っていた。

 

(やっぱり、気のせいじゃない……!)


 こんな暗くなった、しかも人気の全くない夜道では何をされるかわからない。

 もしかしたらリリィ絡みの可能性だってあるのだ。であれば、この場は逃げるしかなかった。


 息を切らして少年は走る。

 そもそも運動が苦手な彼が、テニス部で鍛えられた彼女たちから逃げ切れる可能性は低い。それでも、なんとか人通りのある場所まで行くことができれば勝算はある。待って、と背後で叫ぶ女生徒を振り切るように、悠一は必死になって足を動かした。

 

 迫る足音。息遣いまでが聞こえる距離。

 必死で走っても走っても、彼女たちは嘲笑うように迫ってきた。

 捕まってしまう、と頭に不安が過ぎる。千里との出来事がフラッシュバックして、体中に恐怖が絡みつく。それは足を震え上がらせ、諦めてしまえと心を折りに来る。


 けらけらと笑いながら、掴もうとした手が少年へ伸ばされた。

 もうだめだと目を閉じかけたとき―――


「悠一さんッ!」


 彼女たちの手が届くと同時に、透き通った声が響き渡った。

 


 




 遡ること一週間前。

 栞は自宅で、にこにことパソコンでメールを作っていた。

 女性らしく清潔感のある部屋は、無駄なものがあまり無い。とはいえインテリアはそれなりに拘っていて、お洒落な雰囲気を醸し出していた。

 2LDKの間取りは一人暮らしには広すぎるが、いずれ悠一と暮らすことを考えると妥当な間取りであった。

 

「ふふふ……悠一さん、喜んでくれますかねぇ」


 白く細い指でキーを叩く。軽快な音が静かな部屋に響いた。

 しばらくタイピングを続けていると、足元に暖かい感触。子猫が擦り寄ってきていて、目が合うと同時に小さく鳴いた。

 可愛らしい姿にくすくすと笑って、栞は子猫を抱き上げた。

 

「良い子ですねー」


 額と顎を優しく撫で回す。気持ちよそうに目を細めて喉を鳴らした。


「ふふ、気持ちいいですか?ユウイチさん」


 ユウイチさん、と呼ばれた子猫は、返事をするように鳴き声をあげた。

 抱き上げた子猫を抱えたまま栞はメール作成を続けた。速度は落ちるが、片手でも十分に文章は打ち込める。

 数分程文章を考えては打ち込む作業を続け、最後に強くエンターキーを弾いた。音に驚いた子猫が目を丸くするが、それすら可愛らしいと栞は頭を撫でた。


 出来上がった文章に満足し、自然と笑みが零れ落ちる。我ながら回りくどいことをしているとは思うが、これも悠一のためだと思えば苦にならない。

 設定されたメールアドレスはかなりの数だったが、確認するのは面倒だ。送信ボタンをクリックして一気に送信する。

 

 送り先の女性たちは自分には逆らえない。

 色々と手間も時間も掛かったが、今では大勢の奴隷軍団が出来上がった。メール一つで忠実に動く彼女たちには、これからの自分と悠一のために作り上げたのだ。精々身を粉にして働いてもらわなければならない。

 

 送信完了の文字を見て、栞はパソコンをシャットダウンした。薄く軽いことが売りのノートパソコンを閉じ、またくすくすと笑った。

 

「あぁ、楽しみですねぇ。悠一さん、もうすぐですからね」


 今ではそんな風には見えないが、彼は元々軽度の女性恐怖症だったらしい。栞はそこに目をつけていた。


(悠一さんには、思い出してもらわないと。女性って、本当は怖い生き物なんですよ?)


 私以外はね、と呟いて、子猫の頭を乱暴に撫でた。子猫は擽ったそうに受け入れて、その手を甘噛みする。

 楽しそうに子猫と戯れながら、栞はこれからの未来に思いを馳せる。

 

 もう少しだ。

 もう少しで、彼が自分の下へやってくる。

 欲望に塗れた女たちに恐怖して、彼が怯えた先で待っていればいい、

 震えて涙する彼を優しく包み込んで、自分だけが彼を癒してあげられる。

 こんなペットに彼の名前をつけて、寂しさを紛らわす必要なんてなくなるのだ。

 本物の彼を抱いて、撫でて、キスして舐り回す。擽ったそうにするのだろうから、お姉さんらしく嗜めたりしながらするのも悪くない。抵抗する彼も可愛いのだろうなと、想像を膨らませていった。


 柔らかな笑みに赤みが差す。吐息に熱が篭り、体温が上がっていく。

 小猫が小さな舌で指を舐める度に、体に電気が走っていく。「ユウイチ」さんに舐められていると思うと、火照りはどんどんと強くなっていった。

 

 そっと子猫をソファに乗せ、栞は寝室へと向かう。後をついてきた子猫を部屋に入れることはせず、小さな抗議を無視してベッドへダイブした。


 それからたっぷり二時間楽しんで、栞は扉の外で丸くなっていた子猫に謝った。

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