第36話 撤退
「やっぱり人間ですか…? 鵺にあの仕掛けをしたというのも――」
廃工場で戦った鵺のことを思い出す。鵺に仕掛けられていた、霊力の込められた針のような鉄のかけら。それを行ったのも妖怪ではなく、人間だと言う話だ。
「その通りだ。そいつと、今の奴が同一人物なのかは分からんが、無関係では無いだろう」
「そのこと、簡単に説明してくれる?」
辰宮の言葉に、現が廃工場での出来事の要点をかいつまんで説明した。
「印付、ここも結界は張ってあるんだよな?」
「ええ、勿論。その話からすると、同一人物の可能性が高い気がします。源さんも結界とか、霊力に関する話は聞いてますか?」
「はい。簡単にですが」
源が頷きながら言った。
「なら話が早い。結界が効かない――、つまり妖怪ではありませんが、妖怪の技術を使いこなす素質や技量を持ち、高い霊力も持った人間ということになります。何より、妖怪たちの動向に干渉できる技能も持っている。そんな人間はそうそう多くはありません」
印付が言った。
「問題は、ならなぜそんな人物が、人間に害をなすような行動をしているかだな。妖怪を相手にするのではなく」
「ひょっとして、妖怪の仲間になった人間なのかもね」
現の言葉に、辰宮が被せるように呟いた。
「少なくとも僕は聞いたことがありませんね。妖怪の実在を知る人だって少ないのに、好き好んでそのコミュニティに入っていく人なんて」
「いつ取って喰われるか分からんしな」
印付と現が懐疑的な面持ちで言った。その言葉には源も心の中で賛成した。少なくともこれまで出会った餓鬼や鵺といった妖怪の中に、仲良く慣れそうな者などは冗談にもいなかった。
「あくまでも、もしかしたらって話。人間たちの中に入って暮らす妖怪がいるなら、妖怪たちの中に入って暮らす人間がいても可笑しくないんじゃない?」
「どうかな。羊の群れの中の狼と、狼の群れの中の羊。どっちが危険だと思う?」
辰宮と現のやり取りに、源は先ほど廃工場で現から聞いた話を思い出した。妖怪の中には、人間社会に混じって暮らす者もいるということ。恐らくそんな生き方をすると決めた妖怪たちにも、並々ならぬ覚悟や信条があるのだろう。妖怪たちの心情は人間である源には窺い知れなかったが、楽な道ではないことは少なからず想像できた。
「まあ、今はここから離れましょう。こんな薄暗いところにいつまでも居たら、気が滅入ってしまいますよ」
印付の言葉に、皆は撤収を開始した。先ほどの人物が、どこかの陰から四人の姿を見張っているのではないかという不安もあるが、臆病になり過ぎるのも決して得策ではない。
心配は杞憂に終わり、四人は雑木林を抜けることができた。現と源が乗ってきたバンが、変わらず停まっているのも見える。空を覆いつくすような木々の葉が途切れ、空が見えた。そのことに源は少し安堵した。もしかしたら、皆も同じ心情かと感じた。
時刻はもう日も傾いてきている頃だ。
「今日はなんだか怒涛のような一日だった気がする」
「お疲れ様でした。今日はもう帰られますか?」
「ああ。そうするかな。明日からは最近妖怪が出没した現場をもう一度調査して回ろうと思ってる。何か手懸りがあるかもしれない」
「僕も、手分けしてやりますよ」
「そうしてもらえると助かるな」
現と印付が言葉を交わした。無理も無いが、現もだいぶ疲労が溜まっているようだ。
「明香里ちゃんも、今日はお疲れ様。初日なのに大変だったね」
「いいえ。このぐらい問題ありません」
辰宮が源に労いの言葉を掛け、源も凛とした声で返答した。
「そう。無理はしないでね。明日からも現さんと?」
「ええ。お役に立てることは少ないかもしれませんが、一緒に捜査をしたいと思います。現さんは命の恩人でもありますので」
現と出会ってからは信じられないような出来事の連続ばかりだが、現が源の命の恩人だということは紛れもない事実だ。あの時、あの場所に現が来てくれていなかったら、源のみならず刑部も命を落としていただろう。僅かばかりでも、現の役に立つことが義理というものだと、源は考えていた。
「なに、気にするな。俺は俺の仕事をしただけだ。恩人だとか余計なことは考えなくて良いぞ」
「素直にありがとうって言えば良いのに」
源の言葉に、現が表情も変えずいつも通りの口調で言った。印付が茶々を入れるように口を挟んだが、現は変わらずクールな表情のままだ。
「はい。分かりました」
源が少し微笑みながら言った。言葉は少々ぶっきらぼうでも、現らしい気を使った表現なのだと源は思った。そのまま印付と辰宮に素っ気なく挨拶をしてバンの運転席に乗り込む現に続いて、源も助手席に乗り込んだ。
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