甘い棘
砂鳥はと子
第1話
大好きな人の腕に抱かれながら、いつもこの時間が永遠に続けばいいのにと願う。
甘い甘いこの時間が。
家族のこと、立場のこと、学校のこと、勉強のこと、将来のこと。全てを忘れて、ただこの人が与えてくれる快楽に溺れていたい。
唇が溶けてなくなってしまいそうなほどに、お互いにひたすら貪り合う。
誰も私が九つも年上の使用人の女性と、毎晩疲れ果てるまで愛し合ってるなど微塵も想像しないのだろう。
(あの事は墓場まで持って行く)
私はキスをしながら、先日聞いた思わぬ『真実』が脳内に浮かんでは消えて戻って来る。
目の前のこの
それだけは嫌だった。
(言わなくてもいいよね)
ほんの少しの罪悪感など捨ててしまえばいい。
きっと千夏さんは私と違って悩むだろう。心を痛めるかもしれない。
この棘は私にだけ刺さっていればいい。
「
意識が他に向いていたことに気づかれて、千夏さんに怪訝そうな顔をされる。
「何でもないです」
私は滑らかな彼女の背中に回した腕に力を入れて、より身体を密着させる。
窓の向こうの十五夜の満月が私たちを嘲笑うかのように、煌々と部屋を照らしていた。
私は湯船に浸かりながら、この半年のことを思い出す。
母が急に再婚を決め「これからはお父さんと暮らしなさい」と言われ、今まで会ったこともない父の元へ来た。
母はいわゆる妾だったのだが、本妻が三年前に病死したこともあって、私はすんなり引き取られた。
名字は
父の家は近隣では有名な地主らしい。
母がどうやって父と知り合ったのか謎のままだ。
初めて対面した父はともかく愛想がよく、気さくな雰囲気の人だった。
そして何より面立ちが私に似ていた。正確には父に似たわけだが。
同じパーツを幼くして十六の少女に作り変えたら、ちょうど同じような顔になる。
一目で親子と分かるくらいに似ていた。
しかし、今までほとんど会いもしなかった娘を歓迎はしてくれていたが、興味は全くないのだろうと察せられた。
まだ数えるほどしか会っていない。
仕事が忙しいからと家にはあまりいないが、実際には外に何人か女がいるらしかった。家族よりも女の方がいいのだろう。
私には腹違いの兄と姉がいた。
兄は東京の大学に通っているとかで、まだ会ったことはない。
姉は一つ年上で
「花奈さん、困ったことがあったらいつでも言ってくださいね」
品の良い笑顔で迎えてくれたが、やはり彼女も私には関心はなさそうだった。
居間にいても始終、誰かにメールをしている。彼氏でもいるのだろう。
生活が変わっても、皆私に関心がなくどうでもいいのは変わらなかった。
ここに来る前は、閉鎖的な田舎にいたせいで片親というだけで、何かダメなもののように遠巻きにされ続けた。
母は母でいつも彼氏にしか気が向いていない人だった。
住む家が変わっただけで、私が誰からも必要とされず、興味を持たれることもない人間なのは確定事項と言えた。
取り立てて邪険にされるわけでもないし、それでいいと思っていた。
本條家はそれなりに裕福なせいか、お手伝いさんや身の周りの世話をしてくれる人がいる。
その一人であり、私に付いてくれているのが千夏さんだった。住み込みで働いていて同じ屋根の下に住んでいる。
年は二十五歳。私と九つしか違わない。
あまり愛想はないけれど、礼儀正しく、冴え渡る佇まいは地味ながら人目を引く。
長い髪をほつれ一つなくまとめ上げ、皺一つないスーツを纏う姿の凛々しさと美しさは、使用人にしておくのがあまりにももったいなかった。
千夏さんは朝になれば私を起こしてくれるし、制服にはいつもアイロンをかけてくれるし、学校の送り迎えもしてくれる。
ご飯を作る以外の私の身の回りの世話はことごとくやってくれる。
贅沢極まりないと思う。
さすがにこの家に来た時は気が引けたけれど、最近はすっかり慣れてしまった。慣れとは恐ろしい。
私がこの家でいつも一緒にいるのは父でも姉でもなく、裏の別邸に住む祖父母でもなく千夏さんだ。
いつの間にか私は千夏さんのことばかり考えるようになっていた。
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