令和を生きる僕達は

@hazakai

第1話


【花の唄】

令和元年5月




[[rb: 縁切> えんきり]]神社の境内の端には白と紫色の藤棚が有る。戦後に植えられたモノで今年も見事に咲き誇っている。縁結( えんむすび)神社の様に藤棚で埋めつくされている訳では無いが、若葉の緑が騒>(ざわ)めくの中で、ひっそりと傍(かたわ)らにありながらも良く映えて、心を踊らせてくれる。

神社の境内で、老人と成と俺は本殿の廊下に腰を掛けて庭先を眺めていた。

「おじいちゃん、今日も風が気持ちいいし、お天気だよね。ほら、藤棚も満開で綺麗に咲いてきたよ。」

「……」

「あ、ユキちゃん、今日もいい天気だね。ねぇ、藤が綺麗に咲いているよ。」

「今日和、そうだな青年。皐月晴れで心地よい天気だね。華やかさでは縁結神社や藤の旧御早川邸には負けるけれどな。慎ましやかな若紫だろう?良く見えないが、雪白藤も見頃か。」

良く見えていない様で、それでも藤棚の辺りを見やり満足そうに老人は、話しかけた成に頷く。

成の祖父は、成が生まれた頃から認知症が発生し始め、今では家族の顔も全くわからない。

幼い頃に呼ばれていた呼び名でしか、反応しない為に、みんなからは「ユキちゃん」と呼ばれている。

「「ハル」はまだ、来ないのかな。青年。」

「そうだね、「ハルちゃん」は遅刻魔なんでしょう?おじ…ユキちゃん。」

「そうだな、子供の時から俺は待たされてばかりだったからね。」成と、ユキちゃんはのんびりと神社の境内で茶を飲んでいる。

今日は、比較的に穏やかな「ユキちゃん」だ。会話も成り立っている。

若い頃に右足が不自由になった為に、良く車椅子を押して、成と二人で散歩にも連れ出していた。戦前の生まれで御年(おんとし)は90は越えた筈だ。目も良く見えていないようで、耳は良いようだけれど、会話はその日によってまちまちで季節や人の名前もわからない時も有れば、昔の話を楽しくしている時もある様子だ。介護レベル3なので、歩行や着替え等にも介助が必要になる。記憶は日常の天気よりも乱気流な日常だ。


そんな先代宮司は、認知症を発症してから、一貫(いっかん)して言い続けている事がある。

記憶を無くして、それでも揺らぎない思い、気持ちを人は何と呼ぶのだろうか。


それは、執着だろうか。それとも、愛だろうか。


呪(のろ)いだろうか。



俺は、もし記憶を無くしたらこんな風に成の名前を呼べるのだろうか?

その姿は強烈で、物悲しく、ただ切ない。

それだけ強い想いに揺らぎない思いを自分が持っているとは、言える自信は無かった。



ずっと彼は「ハル」「ハルヒコ」を待っている。

それが誰なのかは、話が曖昧で矛盾している為に、正確にはわからない。子供の様でもあり、家族の様でもあり、恋い慕う恋人の様であり。ただ、愛しい気持ちだけがその言葉の端々には見える。

遅刻魔で、自分勝手で。優しくて、可愛らしい。時には憎くて、背が高くて、小さくて。

直ぐに俺を置いて、[[rb: 何処> どこか]]へ行ってしまう。

遠く、遠くへ。



推測でしか無いが、成が言うには早逝した妹夫婦の名前が「春子」「竜彦」なので、混同したのかもしれないと聞いた事があり、成る程と思った。幼い子供達を置いて、赤い鶴に連れて行かれてしまった、彼の妹夫婦達の事だ。

生涯独身だった、先代宮司は幼い子供達を養子にし一人で育て上げ、娘が結婚をして孫が生まれ、息子が無事に宮司の資格を取り、教壇に立つ事に慣れた頃に、ふと子供返りを始めてしまった。


まるで、自分の役目は終わったと言わんばかりに。藤の花がはらりはらりと泣く様に落ちて、記憶を手放していく様な、儚い散り方をする様に。





先代宮司の「ハル」はもう一人いる。




「やぁ、[[rb:平 > たいら]]君に[[rb: 成> せい]]君。何時も面倒見てくれて有難う。ただいま、ユキ父さん。」

にこやかに爽やかなレモンのような柑橘系の香りをまとった見目のいい男が境内を歩いて来る。現在、成の母親の[[rb: 和> なごみ]]が出産の為にまだ病院に入院していて、時間が有れば交代で、この認知症の祖父の様子を見に来ていた。


先程声をかけて来たのは成の叔父の春翔(はると)だ。成の母、和(なごみ)の二つ下の弟で現在の縁切神社の宮司兼、私立小学校の産休の先生の臨時教師をしている。若い頃は海外をふらふらしていたが、先代宮司が認知症を発症して、暫くしてから帰国して、地元に腰を落ち着けた。そろそろ三十路も半ばを越えているから筈なのに、成の母同様に若く見える。二十代でもまだ通る。




成が一瞬、顔を曇らせて俺の背中に隠れてるようにして、見えない所で服をぎゅっと掴みながら、小さい声で「ハル先生、お帰りなさい」と、言った。


爽やか、イケメン、明るいを代表にした様な自分の叔父を成は「幼い頃」から「苦手」としていた。決して、俺が居ない時には神社に来ない。例え、身内がいても絶対にだ。


「嫌い」を通り越して「おぞましい」など、一体、何があったのかと後々になってから、聞いてみたけれども、特に理由は無かった。


ただ、後年になってある程度大人になった時に、成る程「同族嫌悪」と言う言葉が一番近い気がした。頭を撫でるのが無意識挨拶な「ハル先生」はよく、ユキちゃんの頭や生徒たちの頭も撫でていた。


「お帰り、息子。今日も「ハル」は来なかった。」しょんぼりと言う言葉がぴったりなユキちゃんは、ハル先生に頭を優しく撫でられていた。「父」と呼ばれるから「息子」と返すだけで、認識している訳では無い。明日にはまた「誰だ?」となる事も日常茶飯事だから。


「ハル先生、そろそろ俺達帰るよ。」成が話しそうに無かったので、何時も通りに俺が話しかけて帰る。

「あぁ、ユキ父さんの面倒見てくれていて有難う。またね、平君、成君。」


群青色にも見える冷たい静かな瞳は爽やな笑顔と笑い声に隠しては、俺達に手をヒラヒラと降って、軽いとは思えない老体をよいしょっと横抱きにして、今日は何していたの?ユキ父さん?と話をしながらハル先生は部屋にユキちゃんを大事に抱きかかえて入っていった。

成が苦手なせいか、いつしか俺もあの爽やかな笑顔も、何かヒヤリとする群青色の海の色の目も、何時も漂っているレモンのような柑橘系の香りが苦手になった。



「離さないでね、平君。」

「大丈夫だよ、成。」



宮司達の姿が見えなくなると、菫色の瞳を潤ませて。身体を震わせる成をそっと抱きしめて、安心させるように額にキスをした。

唇にキスした事は、まだ無い。

これは成を安心させる為の子供の頃からの「ママから教わったおまじない」だからだ。

初夏を思わせる黄金色の黄昏と浅葱色の夕闇は混じり合い、遠くの喧騒が聞こえるけれども、耳元には成の息遣いだけがすぐそこにあって、何に怯えるのかもわからない俺達を見咎めるモノは新しく始まったばかりの令和時代の皐月の夕焼け以外は、何も無かった。



何もかもを忘れて、ただ「ハル」を待ち続けている夢見る老人にも、中年に差し掛かろうとしているのに、その親の面倒を見る為だけに生きているような息子の姿にも、未来を見る事が出来なかった。




ただ、虚しくて悲しかった。




先の見えない未来が、これから俺達に来る未来が意味なく怖かった。


「藤の花言葉」

「優しさ」 「歓迎」「恋に酔う」

「決して離さない」

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