第91話 黒歴史が生まれる瞬間

 新聞社社長の挨拶があったり、大会実行委員長の挨拶があったり、メダルや優勝旗・準優勝旗の授与があったり……


 長い閉会式を終え、選手達は控室へ移動する。


 監督からありがたい挨拶等があり、ユニフォーム姿の選手達はロッカーへ移動し着替えを始める。


 ぞろぞろと控室を退出する中、真白は最後まで残り一人勝手に黄昏ていた。


 昨年の夏、同じように残り悔しさを露わにした場所である。


 奇しくも同じ部屋。同じシチュエーション。


 そう、ぞろぞろと移動していった中には恵は含まれていなかった。


 黄昏る真白の後ろ姿、背番号「5」をただ見つめていた。


 掛ける声が見つからないのか、恵は声を掛けようとも近寄ろうともしない。


 

「去年はただ悔しかった。やり切ったのに及ばなかった。」


「今年は試合には勝てたけど、あいつとの勝負では勝ったとは言えない。」


 昨年一度対戦しただけだというのに、妙に宿命のライバルのような感覚に陥っている


「あたしには細かい事はわからないけどさ、まだ勝負出来ないというわけでもないんだからさ。大学でも社会人でもプロでもさ。」


 水凪の提案に、恵の後押し。


 真白が高校で野球を終わりにするには勿体ないというのが、二人には明らかだった。


「いやさ。去年はここで恥ずかしかったじゃん。その胸でちょっと・・・・・・さ。」


「貸して欲しいなら貸してやるぞ。今日は嬉し泣きか?」


「そうそう泣いてたまるか。でもそうだな。やっぱり貸してくれ。」


そう言うと真白は後ろを振り向いた。


「あ、でも有料な。オプションは3000円となりまっ。」


「……汗くせぇな。」


「そういうのは女子に言うセリフじゃねぇ。それにそのセリフはそっくり返してやるぜ。」


 真夏の炎天下で試合をしていたのだ。汗が出ない人間はいない。


 それはベンチの中も同じである。ずっとスコアを付けていた朝倉澪でさえ、当然汗はかいている。


 試合前のノックや、事ある毎にベンチから乗り出そうとしていた恵が汗をかかないはずもない。


「でも良い匂いだ。」


「それはそれで複雑だな。」


「当たってるのか当たってないのかわからないのも……」


「おまっ、えちぃのは料金3倍だ……ぞ。」


 違和感に気付いたのか、恵は茶化すのをやめてその様子を感じる事にした。


「なんだよ……」


 結局泣いてんじゃんかよ、とは言えなかった。


「おめでと。」


 だから恵は一言囁いた。


 先程までのおちゃらけた言葉は、真白なりの照れ隠しで、込み上げてくるものを抑えるための強がりだった。


 この1年の苦しさと悔しさと練習等の頑張りは見ている。


 一緒になってそれに付き合ってきていたからわかっている。


 恵は真白の背中をポンポンと叩いた。


 汗と土で混じった背中ではあるが、とても誇らしい背中だった。


 そんな恵の目にもうっすらと光るものが映っていた。





「なんでそこで押し倒さないんだよ。」


「それが出来てたらとっくに突き合ってるでしょ。私達みたいに。」


 微かに開いた控室の扉。その隙間から部屋の中を除く4つの目。


 八百と澪である。


「青春だねぇ。」×2




「おい、お前らーそろそろ出ないと時間ないぞー。」


 扉の前で出羽亀をしていた八百と澪を他所に、何の気もなく扉を開け放って声を掛けたのは監督である吉田である。


「あと、いちゃいちゃするなら帰ってからにしろー。」



「ばっ、なっ。いきなり入ってくるなっ。」


「監督……除きは有料ですよ。」


 恵が抗議し、真白が冷静に対処する。


「そうは言うがな、時間がないのは事実だからな。ユニフォームのまま帰るなら良いけど。」


 真白と恵は慌てて控室を飛び出し、ロッカーへと向かっていった。






「そういや柊、お前約束は守れよ。」


 荷物を抱え、帰り支度をしながら八百が真白に言った。


「ん?なんの?」


「いや。お前最後の打席でなんか言ってたろ。」


「あぁ、言ったっけか。打てたらたこやき奢れ、打てなかったら……あ。」


 そこまで言って、真白は自身が言った黒歴史的な言葉を思い出す。


「バスまでお姫様抱っこするって言ってたよな。それで柊、お前の最後の打席の結果はどうよ。」


「凡打でした。」




「にゃ、にゃにおするきさまらー!」


 野球部員達はカバディよろしく恵を取り囲んだ。


 制服に着替えたため、全員学生らしくなっていた。


 その中にはスタンドから声援を送っていたマネージャー二人も混ざっている。


「柊、お前の荷物は俺達が持ってやるから。遠慮せず約束を果たせ。」


「私は撮影に専念するね。」×3


 マネージャー3人の声が揃った。


 周囲の声に負けたのか、真白はジリジリと恵に近寄っていく。


 その手つきは、これからいたずらする悪いおじさんのようにいやらしく。


 別の意味で恵は後退していった。


 しかし部員に壁を作られているため、逃げる事は叶わない。


「お前だって俺の最初の打席の時に変な約束させられそうになったろ。」


 やっぱり聞こえていたらしく、純潔云々の事を覚えていたようだ。


「それに比べたらお姫さま抱っこくらい……」


「そういう問題じゃねー。威厳と尊厳の問題だー。や、やめろー。せ、責任とれよなー。」



 真白は照れながらも、恵を抱えるとそのままお姫様抱っこを決行する。


 

「黙ってないと舌噛むぞ。おとなしくしてないと胸掴むぞ。あ、掴むとこなか……」


「少しくらいあるわっ。」


 暴れると胸を掴まれる事は理解しているのか、恵は口でだけ攻撃していた。





「青春だな。」


「青春だね。」


「いやもう、なんであれで付き合ってないんだろうな。」


「お互い好きだと言ってないだけで、どうみてもカップルだよな。」


「桜高校七不思議に入れちゃおうか。」


「俺達チョンガーには目に毒ですよ。」



 球場からバスの駐車場までは300mもない。


 しかしその様子は、相手校である山神学園のメンバーにも見られている事には気付いていない。


「悔しいから俺達もやる?」


「二番煎じになるから遠慮します。」


 水凪とマネージャーのこんな会話があった事を誰も知らない。




「あ、バスに乗る時は普通に乗ってください。」


 バスまで羞恥にさらされながらも辿り着いた真白と恵であるが、運転手に冷静に返されたため、真白は恵をおろした。


「いや、何ちょっと残念そうな顔してるんだよ。」


「重かったかなぁって思って。ほら、試合後で疲れてるだろうし。」


「疲れてはいるけど、女子一人抱えるくらい……」


 実際恵の体重以上の荷物を担いでいたりするのだ。然程気になるところでもなかった。




 バスに乗り込んだ真白は、最後尾一つ前の2連の座席の窓側に座った。


「おいっ。」


 ガラガラの車内だというのに、恵はその真白の隣に座った。


 ロッカールームで着替えた後、制汗スプレーやタオルで、それなりに気を使ってはいるが、それでも近くに寄られると恥ずかしい。


 そんな男心を恵が理解しているかはともかく、遠慮なく真白の隣の席を埋めていた。


「あ?別にいいだろ。優勝メダルも見せて欲しいしな。」


 ベンチ入りメンバーの分は全員貰えるが、マネージャーや記録員の分までは貰えない。


 あれだけ表に出ていても、恵の分のメダルはないのだ。



 遅れて到着した他の部員達は荷物を荷台に乗せ、手荷物だけ持って次々とバスに乗り込み座っていく。


 真白の手荷物もその時に渡されていた。



「ほい。これがメダルだ。俺も掛けられた時と容器にしまう時にしか触れてないけど。」


 渡されたメダルを受け取り、恵は表裏とマジマジと見ていた。


「これって純金じゃないよな。」


「流石にメッキだろ。でもまぁ、早々に落ちないと思うけどな。」


 リュックに手を突っ込み、もう一つ何かを取り出した。


「あとこれ、ウイニングボールだな。」


 水凪が付けたバットの痕もうっすらと残っていた。


「こういうのって欲しくなっちゃうよな。」


 暫くボールを手のひらでくるくると回しながら恵が呟く。


 少し時間を置いた後、真白が先の恵の言葉に返答するように言った。


「将来的に一緒になるなら嫌でもいつでも見れるけどな。」


 ぼそっと告白めいた事を呟いた真白。


 しかしそれに対する恵からの返答はない。


 照れているわけでも、時が止まったわけでもない。


 恵は単純に意識を手放していた。



 バスが出発して数分もすると、騒がしい車内はポツポツと静かになっていった。


 球場から学校までは、安全運転で30分強で到着する。


 試合で疲れた部員達は次から次へと意識を夢の世界へと旅立たせていた。


 真白と恵は互いに寄り添い、頭をくっつけ合うようにして夢の世界へと旅立っていた。


「お姫様抱っこに匹敵する写真が取れたな。」


 真白達の前の席に座っていた八百が乗りあがり、振り向き様に何枚もの写真を撮影していた。

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