番外編② 守護神、最後の火の玉ストレート!

 翌朝、つまりは11月10日。運命の日。

 泣いても笑っても球児のユニフォーム姿を見るのはこれが最後。

 正確には現役最後。


 引退後は球団には残らないとニュースで言っていたので、いつか戻ってきてくれる日まで目にかかることはない。


 朝起きた時から早く見たいという想いと、少しでも長く現役でいて欲しいという想いとが入り混じって複雑な二人だった。



 ホテルの朝食を済ませ、しばらく部屋でくつろぐ。

 開門するまでは正直暇なのだ。

 外を出歩いて時間を潰そうとは思わない。


 「なぁ、今更だけど、これって端から見るとお泊りデートって事になるのか?」


 真白の突拍子もない一言に恵は慌てふためいてベッドから転げ落ちる。


 「ちょっ、ばっ、しょんな事……あーーーーー意識しないようにしてたのにーーー。」

 昨晩の秘密の時間の事は棚に置いている恵。


 悶える恵、浴衣が開けてきているのには気付いているだろうか。

 「風呂場で先に着替えてるぞ。」


 着替えを持って風呂場に行って着替える。

 一応男女故にその辺のマナーは弁えているつもりであった。

 これが結婚した夫婦であればわからないけど。


 真白が風呂場に移動してから実に15分が経過していた。

 女子が準備に時間がかかると言っても着替えだけなら15分もあれば終わっているだろう。

 自宅ならともかく、出先である以上着替えの候補も少ないのだから。

 などと思っていた時期が真白にはありました。


 「部屋にはいるぞー」

 返事はなかったが、流石に着替えは終わっているだろうと思いそのまま風呂場のドアを開け部屋に侵入する。


 「あ゛……」×2


 真白が見たのは、上半身はブラ1枚、下半身はなぜか紺色ブルマー、これから上を着ようとしていたのか中途半端な体勢で固まる恵。


 15分もあってなぜいまそんな格好なのか、冷静に考えようと真白は試みるも回答は出なかった。

 ベッドの上にはこれから着用する予定のユニフォームとタイツとソックスとスカートが置いてあった。


 真白……ご愁傷様。ちーん。


 さらに10分後。

 着替え終わった恵はベッドに腰を掛け、ほっぺに紅葉が張り付けられた真白が正座をさせられていた。



 その姿勢だとスカートの中際どいぞと真白は思いながらもただひたすらに正座に耐えていた。

 「下着姿を見たのは悪かったが、15分も経ってるから着替え終わってると思ったぞ。それに返事は聞かなかったけど入るぞと声掛けてたし。」


 「それでも返事を待つのが礼儀なんじゃねーの?もう良いけど。確かに時間掛かってたのはこっちも悪いし。」

 という事でお許しが出たので真白は立ち上が……

 立ち上がろうとして、正座によって痺れた足が災いしてベッドに腰を掛けている恵に……おっとっとと倒れ込んだ。


 「ちょ、ちょっとこっちにも心の準備がーーーーー。」

 恵は押し倒されたと勘違いをしていただけなのだが。

 倒れる拍子に、真白はベッドに手をついた心算だったのだが、真白の左手が恵のない胸を鷲掴みにしていた。


 「ひゃっ、ちょっ。おまっ。つ、掴んでる。おぱーい掴んでるーーーー。」

 「あ、悪い。マジで態とじゃない。本当に申し訳ないんだけど足がしびれて、うがーーー。」


 「だ、だから捏ねくり回すなっ、ひゃんっ。そ、そこだめなやつ。」

 恵は真白の身体を掴むと持ち前のパワーでうっちゃった。

 反動で真白はベッドとベッドの間の隙間の床に投げ落とされる。


 「ぐはっ」

 床に投げ出されたショックで再び立ち上がれない真白。足もまだ痺れているために身動きが取れない。


 「こっちは乙女の貞操の危機を感じたわ。どうせならもっとムードのある時じゃないと……」

 後半はぶつぶつ言っている感じで聞き取れなかった。



 真白が立ち上がろうとしたところで、テニスのライジングショットのようにビンタが飛んできた。

 バチーーーンッ


 「ぶべらっ」

 真白の反対側のほっぺにも紅葉が出来上がっていた。


 「ナイスバッティング。」

 

 足がしびれた事での不可抗力だというのは分かっているので、ビンタ一発で不問に処された。

 

 「下着……替えなくても大丈夫……かな。」

 その言葉は真白には聞こえていない。



 朝っぱらから夫婦漫才のようなものをして身体は充分に温まった。あとはたこ焼きを食べて観戦に臨むだけ。


 観戦用バッグに荷物を詰め替える。

 メガホン、双眼鏡、一眼レフカメラ、グローブ、手作りポップ。

 念のため、雨合羽とタオルも入れていく。


 「よし、いざ出陣!」


 福島駅から大阪に出て豚まんを1つずつ食べる。大きくて美味い、さいこーやーと言いながら。

 梅田まで出て、たこ焼きとうどんを食べてお腹の中は準備万全。後は声を嗄らすまで応援するだけだった。


 阪神電鉄で梅田から甲子園へ。

 「私を甲子園へ連れてって、が叶っちゃったな。思わぬ形で。」と、恵がしみじみと言った。


 「まぁこれはこれでアリか?」と、真白も返した。


 電車の時からこれは球場に行く人たちだなと丸わかりな人ばかりで、迷う事はなかった。

 というか駅下りて真っ直ぐなのに迷う要素もなかった。


 来年用に背番号5近本ユニも買っておく。ジェット風船は某ウイルスの影響か禁止のようだ。

 一応家にあった前に通販で取り寄せた分は持ってきているが。


 荷物チェックを通過し、いざ球場内へ。

 


 「おーーーーこれが甲子園かーーーー」×2 


 高校球児の憧れ、阪神タイガースの本拠地、甲子園に思わぬ形で足を踏み入れる二人。

 夏の悔しさを忘れたわけではない。いつかここでプレイしたいという想いはライトスタンドから見てより一層強くなった。

 いつかといってもチャンスはあと1回しかないけれど。

 秋季大会の事は……本編で。


 席に着くと選手達の練習風景を観察する。

 今は敵側きょに……もとい、讀賣巨人軍。

 球児の最後の相手に不足はない。出来れば3三振で飾ってもらいたいところだ。

 日米通算246セーブ目を是非上げて欲しい。

 大〇もホームラン王取って欲しい。


 巨人の練習が終わりやがて阪神の練習の時間となる。


 それぞれの守備位置に散ってノックを受ける姿をカメラで見て撮影して選手の名前を大声で叫ぶ。

 恵は試合前に喉を嗄らす気だろうか。


 やがて17:30となりスターティングメンバ―が発表される。


 球場は段々と観客で埋まっていき、試合開始直前ともなるとほぼ満員となっていた。


 伝統の阪神×巨人戦。藤川球児の引退試合&セレモニーの効果は大である。

 こういう選手になれるのは本当に一握り、今自分達が戦っているのは将来こうありたいと願っている者達との戦いである。


 国歌斉唱に始まり、阪神ナインが守備に散る。


 球児にとって最後の3時間半が始まる。



 観戦の途中で違和感を感じた。


 応援団が脚立に乗り音頭を取るのだが……


 目の前の応援団員が見覚えのある人物だと感じるのは気のせいだろうか。


 あのトラみみをねこみみにチェンジ、応援団の法被をメイド服にチェンジ。


 「カレンさんーーーー!!」

 「店長ーーーーーーー!!」


 件の応援団員は真白達へ目を向けるとニヤっと笑った。


 「カレンさん、〇虎会だったのかよ。」



 9回表、矢野監督がベンチから出てくる。ピッチャー交代を告げるためだ。


 「9回の表、ピッチャー〇〇に変わりまして、9番藤川球児。」

 藤川球児コールが告げられると、入場曲に合わせてピッチングカーに乗って球児が登場する。

 かの桑田真澄のようにラインを踏む事をさけ、丁寧に登場すると、矢野監督からボールが手渡される。


 おそらく頼んだぞ球児とか、全部真っ直ぐで行けとか、最後は楽しめとか言ってるに違いない。

 決して終わった後に難波秘〇倶楽部に行こうぜなんて言ってないはずだ。


 投球練習の1球1球からして歓声が挙がる。

 最後の7球の投球練習はあっという間に終わる。

 

 ナインがそれぞれの守備に戻り、球児はセットポジションで構える。

 肩は出来上がっている、気迫は全盛期に戻っている。

 球速こそ落ちてはいるものの、あの落ちない火の玉ストレートは健在である。


 構えてから第1球。ど真ん中ストレート。絶好球にも関わらず手を出さない、手が出せないのか。

 球児は特に気負う様子もなく、淡々とキャッチャーのサインに頷き投げる。


 二人の打者を三振に取り、三人目も0-2と追い込んでいる。

 あと一人コールがあと一球コールに変わる。

 応援団の太鼓の叩く音も、ファン達のコールも楽器と喉が壊れるのではないかという程に張り巡らされている。


 普段は敵であり、絶対に相まみれることのない両チームのファン同士ではあるが、互いの功労者のラストを飾る時は敵味方問わずに応援している。

 阿部の引退の時が良い例だ。

 普段は慎之介~という所でちん〇くせ~とヤジを飛ばす阪神ファンであるが、引退の時は讃えていた。

 

 最後のセットポジションから放たれる火の玉ストレート。

 ホップするかのように蠢く玉は、打者のバットが空を切り、キャッチャー梅野のミットに収まった。


 試合終了、それが藤川球児の選手終了の合図であり証。

 両軍入り混じり、球児の元に集まり胴上げをする。


 最後の六甲颪は胸に響いた、球児の入場曲がかかると球場にいる阪神ファン、そして巨人ファンからも球児の引退に拍手をし涙した。


 引退セレモニーも涙でろくに見えなかった。

 コメントも響いた。暗黒時代から好調へと向かう頃に入団した球児。

 2000年はそういう時期だった。


 野村が見つけ、星野が育て、岡田が壊す。そんな2000年台時代の中にあって。

 中継ぎ・抑えとしてチームを牽引してきた。

 新人時代は先発として期待されたけれど思うようには振るわなかった。

 万年最下位だったあの暗黒時代が終わり、2003年2005年とリーグ優勝を果たしながらも1985年以来の日本一には届かなかった。

 

 球児の初年度は「名前負けしてんじゃねーかよ。」というヤジまで飛んでいた。

 それが球界を代表するストッパーに、メジャーでは怪我もあってうまく活躍出来なかったけど。

 記録より記憶に残る選手として藤川球児は人々の心の中に残る。

 真っ直ぐとフォークしかないのに打てないと言われていた大魔神以上に記憶に残るのだ。

 

 球児を讃える選手や家族、フロント、球場にいるファン達に見送られながら、藤川球児は甲子園のグランドを後にした。


 球児の姿が見えなくなると、応援団が太鼓を鳴らす。


 「それではー、これまで阪神タイガースに多大な夢と希望と感動を与えてくれた藤川球児選手を讃え、いいぞ球児コールと、今までありがとう球児で締めたいと思います。」


 せーの


 「いいぞドドドンいいぞドドドン球児!ドンドンドンいいぞドドドンいいぞドドドン球児!ドンドンドン今までドドドンありがとうドドドン球児!ドンドンドン

 それにファンも続く。


 散々球児を讃えた後観戦者達は帰路につき始める。


 いいぞ、いいぞ、応援団!コールを観客たちが三唱して。



 試合観戦後、もう一泊してから帰った。

 試合の日は先に恵が風呂に入った。お湯がどうとかではなかった。

 多分汗と涙を見られたくなかったのだろう。

 それは真白も同じである。

 

 球場では叫んで泣いて抱き合っていたのに。


 学校は2日休んだが、モモタロウと一部の人間以外には真の理由はバレていなかった。


 しかし実はカレンの他にもう2人、甲子園に足を運んでいた者がいた。

 どういう経緯で手に入れたのかはわからないが、真白と恵から離れる事後方席。

 

 七虹と朝倉澪が、見下ろすような位置で二人と試合を観戦していた。


――――――――――――――――――――――――――


 後書きです。


 あ、やべ……この話書いてて泣けてきた。

 

 この番外編の主役は藤川球児です。

 サブは応援団のカレンです。

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