4章 14話 化け猫は尻尾を踏ませない

「やっぱりメンドいんだケド」


 戦闘の最中、そんな言葉を吐いてリリスは魔法を霧散させた。

 彼女は頭を掻き、璃紗に背中を向ける。

「そもそも超速再生なんてアタシの感性に合わないんだヨネ。不可逆の美こそがアートなのワケ。何度攻撃しても元に戻るなんてイライラしてやってられないんだケド」

 リリスは乱暴に頭を掻いており、そのたびに髪が様々な方向に跳ねてゆく。

 彼女には身だしなみという概念が薄いらしい。

「というわけで、寧々子にチェンジするワケ」

 彼女は誰の意見を聞くこともなく寧々子の肩を叩いた。

「あれ? ここで一番弱っちいアタシに丸投げ?」

 寧々子が自分を指さすも、リリスはそれを無視する。

 本当にリリスは戦意を失くしたらしい。

 あまりにも気分屋な反応。

 確かにこの状況は璃紗にとって有利だろう。

 だが、性格的に納得はできない。

 理屈よりも先に苛立ちが湧き上がるのだ。

「オイオイ。ビビり散らして逃げるにしてはシャレた言い訳じゃねーか」

 だから璃紗はそうリリスを嘲笑した。

 安い挑発だが、それくらいは言ってやらないと気が済まない。

 あからさまな挑発だ。乗るはずもない。

 しかしリリスはふと立ち止まり――


「――ハァ? そんな挑発に乗るとか思ってるワケ? 超ウケちゃうんだケド。まずはその減らず口から――」


「リリスちゃ~ん? すごい早さで挑発に乗っちゃってるけど~?」

 踵を返したリリスに寧々子はそう呼びかけた。

「……別に乗ってないんだケド」

「いや、超乗りかかってたよね?」

「ハァ? ぶっ殺されたいワケ?」

「仲間割れ!?」

 あくまでも挑発に乗ったことを認めないリリスであった。

 やがて寧々子のほうが折れて話は終わる。

「分かった、分かったにゃん。で、選手交代で構わないのかにゃ?」

「――お披露目会なんてアタシのガラじゃなんだヨネ」

「りょーかい。どーせ言っても聞かにゃいからね」

 呆れたように寧々子は肩をすくめる。

 だが次の瞬間には彼女の雰囲気が一変していた。

(こいつが一番弱いとかどーなってんだよ)

 璃紗は内心でそう呟いた。

 寧々子の自己申告を信じるのであれば、彼女たちがいる組織――回収された魔力を取り戻すなど個人ではできないはずだ――の中で最弱の魔法少女が彼女ということになる。

 だが、実際に対峙してみると分かる。

 三毛寧々子もまた百戦錬磨の魔法少女であるのだと。

「じゃ――」

 寧々子が姿勢を下げる。

 中腰、しゃがむ――いや、さらに重心を下げてゆく。

 彼女は獲物を狙う猫のごとく四つん這いになると、口元を歪ませた。


「よし! 会社でのストレス発散してやるにゃ!」


 何とも俗っぽい言葉と共に、寧々子の姿が消える。

 違う。そう見間違えるほどに彼女が速いのだ。

 すでに彼女は目の前で、腕を振り上げている。

 その指先には鋭い爪が生えていた。

「せにゃぁ!」

 寧々子の腕が振り下ろされる。

 すると爪撃は魔力の軌跡を描きながら璃紗を狙う。

「ちッ……」

 璃紗はそれを大鎌の柄で防いだ。

 魔力で強化した爪の一撃。

 シンプルだが、彼女の身のこなしもあって厄介だ。

 込められた威力も馬鹿に出来ない。

「《猫パンチ》!」

 寧々子はすぐさま次の攻撃に移る。

 次は拳による殴打。

 寧々子の攻撃はコンパクトにまとまっており手数が多い。

 このまま防戦一方になってはいずれ削り殺されるだろう。

 つまり、どこかで仕掛け直すタイミングが必要。

「らァッ!」

 璃紗は寧々子の大鎌を振るう。

 あまりにも間合いが近すぎるので、当たるのは柄だけだろう。

 しかし正面から拳を叩き据えれば、指の骨にヒビを入れるくらいは可能なはずだ。

 その痛みで連撃が途切れた隙を突き、一気に押し込む。

 そういう意図での迎撃だったのだが。

「なッ……!」

 ――寧々子の拳がぐにゃりと軌道を変えた。

 正面からまっすぐ振り抜くパンチではない。

 遠回りに進みながら、あるタイミングで一気に回り込むようにカーブするパンチ。

 予想から大きく外れた軌道で迫る拳を打ち返せず、璃紗は顔面でパンチを食らうこととなる。

 脳まで響く威力によろめく璃紗。

 だがここで大きな隙をさらせば一気に流れを持っていかれて逆転の術が消えるてしまうだろう。

「おらあああああああああああああ!」

 だから無理にでも璃紗は体を動かして反撃に移行した。

 しかし――


「《猫騙し》」


 パン、という乾いた音。

 寧々子が両掌を叩き合わせると同時に、璃紗の意識が落ちた。

「ッ!」

 気を失っていたのは、ほんの10分の1秒にも満たない刹那。

 しかし寧々子を見失うには充分すぎるロスだった。

「捕まえたにゃーん」

 気がつけば、背後から寧々子の声が聞こえていた。

 それに反応するよりも早く璃紗の体が後ろに引かれ、地面へと引き倒される。

 状況を確認する暇もなく、寧々子の手足が璃紗の体に絡みつく。

 寧々子に体を固められ、璃紗の手足は自分の意志では動かせない状況となる。

 それでも反抗する璃紗だが、あっさりと口を塞がれた。

 寧々子の唇によって。

 ザリザリ……ザリザリ……。

 何かが削れる音が聞こえた。

 それは――璃紗の舌が削がれてゆく音だ。

 かつて、ヤギに足の裏を舐めさせるという拷問があったという。

 言葉だけならば地味なのだがその実情は残虐そのもの。

 ――

「ごぼッ……!」

 璃紗は喉に流れ込む血で咳き込んだ。

 一秒ごとに舌を剥がれ、削がれ、抉られる。

 口の端から血がこぼれた。

 自分の血で溺死してしまうのは時間の問題だ。

(そっちがそのつもりなら――)

 しかし璃紗もされるがままに殺されるつもりはない。

 彼女は思い切り寧々子の舌へと歯を突き立てた。

「ぎにゃん!?」

 八重歯が舌に刺さり、寧々子は驚いて身を引く。

 距離を取った彼女は舌を突き出し、涙目で悶絶している。

「いだいにゃ~~~~~~~!」

「こっちのセリフだっつーの……! 痛ぇなチクショーが……!」

「畜生って猫差別にゃん」

「そーいう意味じゃねーよ……!」

 璃紗は口に溜まっていた血を吐き出した。

 そこには削げ落ちた肉も混じっており、あと少しで舌を千切られていたことが嫌でも分かる。

 璃紗は口元を乱暴に拭った。

 千切れかけていた舌が口内で再生してゆく。

「でも、今のでアンタの能力が分かってきたぜ」

 璃紗はそう言うと、親指で己の目を指し示す。

「『未来が見える』……だろ?」

「…………へぇ」

 彼女の指摘に、寧々子が目を細めた。

 寧々子は妖しげな雰囲気を纏い、手の甲を舐め上げる。


「……そうにゃん」


 寧々子は否定しない。

 璃紗は最初から疑問に思っていたのだ。

 単純な身体能力では、璃紗のほうが勝っている。

 なのに戦いとなるとどうにも自分ばかりが被弾する。

 確かに、寧々子が技巧派のインファイターというのもあるだろう。

 パワーで押し切る璃紗にとって相性の悪い相手だ。

 しかし、それにしても動きが読まれすぎている。

 いくら殴りつけても、ギリギリで衝撃を逃がされてしまう。

 だから璃紗は彼女の能力が未来予知であると予想したのだ。

「多分、見えるのはそんなに未来じゃねー。さらに視覚以外の情報が手に入らねー。そんなところだろ」

 先程の攻撃が決まったことで璃紗は確信していた。

「『見える未来』しか分からないから、見えない場所で舌を噛まれたことに気付けなかった。それでも、遠くの未来が見えるなら対応はできるはず。それができなかったってことは、見える未来は精々五秒前後ってとこだろ」

 そう璃紗は結論付ける。

 おそらく大きく外れてはいないだろう。

「まあ当たりにゃん。でも、分かったからって――」

 そこまで寧々子が話したとき、彼女の猫耳が揺れた。

 同時に彼女は後方へと跳ぶ。

 おそらく寧々子は未来を見たのだろう。

 ――自分が斬り殺される未来を。


「おや。アタシの最速を躱すなんてやるじゃないか」


 さっきまで寧々子がいた場所に巨大な鉤爪がめり込んでいる。

 凶悪な攻撃の主は――キリエ・カリカチュアだった。

「うん。トロンプルイユが言っていた裏切りの魔法少女って奴か。確かに、少し面倒そうだ」

 キリエは自分で納得したようにうなずいている。

 彼女は鉤爪を地面から抜き出すと、寧々子と対峙した。

「キリエ・カリカチュアか……。援軍が来ちゃったにゃん」

 うんざりした様子で寧々子はそう漏らす。

 肩をすくめてテンションを下げる寧々子とは対照的に、キリエは好戦的な笑みを浮かべている。

「王の食事を邪魔したんだ。覚悟はできているだろうね?」

「《怪画カリカチュア》のなんてロクなのじゃないにゃん」

 そう寧々子が返すも、キリエは笑みを深めるだけだ。

「そんなことを言わないで良いじゃないか。うん」

 キリエは腰を落とす。


「だって――自分の未来なんだからさ」


「悪いけど。アタシの前で未来を語るなんて――5秒早いにゃん」

 寧々子は脱力した姿勢のままキリエを迎え撃つ。

「実現してから出直すにゃん」

 キリエと寧々子が――消える。

 二人は黒い閃光となり交錯する。

 その攻防を制したのは――

「チッ……!」

 キリエは肩口の傷跡を見て顔を歪める。

 単純なスピードではキリエが上だ。

 しかし未来を読める寧々子はあらかじめ彼女の動き軌道を知り、鉤爪を躱しながら爪で攻撃したのだ。

 未来予知と柔軟な体。

 それを兼ね備えている寧々子だからできる戦い方だ。

 だが、璃紗がそれを傍観しておく義理もない。

「《炎月》」

 璃紗は大鎌を振るい、扇状に炎をまき散らす。

 拡散した火炎が寧々子の逃げ場を奪う。

「未来が見えて攻撃が当たらねーっていうなら、逃げ場がないようにすればいいだけだろ」

 どうやら今回は、キリエの敵意が寧々子へと向いているらしい。

 ならここは上手く彼女を利用しながら寧々子たちを倒す方向で戦うべきだ。

 実際、キリエの圧倒的なスピードは未来予知と相性も悪くない。

 いくら未来が見えても、躱せない速度なら意味がないのだから。

 そういう意味では、キリエの乱入は好都合。

「――あっちの魔法少女は無視して良いのかにゃん?」

「どっちの魔法少女を生かしておいたほうが後々厄介かはアタシも理解しているさ」

 キリエと寧々子は互いの間合いの中で駆け回る。

 彼女たちの戦場はおよそ直径5メートルほどの空間だ。

 二人の速力を思えば狭すぎるフィールド。

 だというのに、時折二人の体がブレて見失いそうになる。

 二人は停止と急加速を繰り返して斬り合っているのだ。

「ぎにゃッ」

 キリエの鉤爪が、寧々子の腕を裂いた。

 明暗を分けたのは――リーチの差。

 キリエの鉤爪は身の丈のほどの大きさで、一振りするだけでかなりの範囲を巻き込む。

 しかも『絶対切断』が付与された鉤爪ということもあり間違っても直撃できない。

 となれば未来が見えていても寧々子は余裕を持って回避せざるを得なくなる。

 そしてマージンを取って大きめに回避すれば、次の選択肢が狭まってゆく。

 そのロスが積み重なり、ついにキリエの爪が寧々子にヒットしたのだ。

 璃紗がキリエの攻撃が通りやすくなるよう、逃げ道を塞ぐように炎を配置していたのも一因ではあるのだが。

 ともかく、二人の戦いではわずかにキリエが有利に勝負を進めているといえるだろう。

「痛いにゃー」

「遺体? ああ、君は未来が見えるんだったね。うん。君が見た未来は間違っていないよ」

「ちょっと何言ってるか分からないにゃん」

 寧々子は大きく息を吐いた。

 そして、静かな瞳でキリエを見据える。

「でも確かに、一人だとちょっとキツイにゃん」

 まだ形勢は定まっていない。

 ほんの少しの油断や、ほんの少しの知略でひっくり返る戦いだ。

 だが寧々子は己が不利な立ち位置にいると客観的に判断しているようだった。

 

 自分の不利を認める。この行為は意外と難しい。

 

 大概の人間は、自分が不利な状況になってもすぐにはそれを認めることができないものだ。

 希望的観測に任せ、不利を悟るのは『詰み』の段階になってから。

 だからこそ、早い段階で不利を察知できるのは一種の才能だ。

 王手の状態から逆転することは難しいが、そうなる前であれば逆転のチャンスなどいくらでもあるのだから。

 しかし、それが簡単そうで難しい。

 なぜならそれをできる人間というものには――


 ――余裕が必要だからだ。


「だから、アタシも本気を出すにゃん」


 当然のように彼女はそう言い放つ。

 自分はまだ、自分の底など見せてはいないのだと。

 そう、言っているのだ。

「見ておくにゃん」

 寧々子の体から黒い魔力が滲みだす。

 肘から先にかけて黒い毛が生え、より野性味のある――戦うための腕となる。

 腕だけではない。

 臀部のあたりからは黒い尾が生え始めている。

 彼女の体がより化け猫へと近づいてゆく。


「――Mariage」


 寧々子はそう唱えた。

 その言葉に、璃紗の心が激しく揺さぶられる。

「なッ……!」

 《花嫁戦形》。

 それは璃紗たちが会得した、魔法少女としての最高戦力。

 まぎれもない奥の手だ。

 その名を寧々子が宣言したとあれば動揺も隠せない。

「何を驚くにゃん」

 寧々子は先程までの黒い魔力とは対照的に、白い魔力を纏い始めた。

「アタシたちは世界を救った魔法少女にゃん」

 白い魔力は形を成し――白無垢となる。

 純白にして潔白の花嫁衣裳。

 和洋の違いはあれど、あれは紛れもない――


「アタシたちがMariageできても、おかしくないにゃん」


 ――《花嫁戦形》だ。


「――――――――――《黒猫は死人キャッツアイの影踏まず・デスサイト》」

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