1章 19話 Mariage

「そん……な……」


 璃紗が動かなくなる様子を悠乃は茫然と見つめていた。

 この場に立っているのはレディメイドだけ。

 勝負は、完全に決まってしまった。

 これから行われるのは、人道などという慈悲はないただの蹂躙だ。

 圧倒的優位に立ったレディメイドは頬に手を当て、困ったような仕草を見せる。

「ホント、今日は厄日ですわねぇ。やだやだ」

 彼は腰をくねらせている。

 かなり見苦しい光景だが、それを指摘するような余裕は悠乃に残ってなどいなかった。

 一方でレディメイドのテンションは上がり続ける。

「ワタクシたちが愛した王は家畜を家族と思う精神異常者になられてしまった。加えて、かつての大敵であった魔法少女は容易く屠れるような雑魚。ああ、ワタクシはなんて薄幸の美少女なのでしょうか」

 演劇のように大袈裟な身振りでレディメイドは語る。

 感極まっているのか彼の瞳には涙が浮かんでいる。

「――5年前のあの戦い。我が君の指示に従い、ワタクシたちは静観していましたわ」

 あの戦いとはグリザイユの夜の事を指しているのであろう。

「あの戦いは《怪画カリカチュア》と人間の代表による決闘。雑兵にすぎなかったワタクシたちが戦場に出ることは許されなかった」

 レディメイドは恍惚とした表情を浮かべた。

「――不満はありませんでしたわ。あれは《怪画》と人間の誇りをかけた戦い。確かに我が君は敗北しましたが、ワタクシたちに不満はありませんでしたわ。再起を誓うことこそあれ、負けた我が君を恨むことなどありえなかった」

 彼は涙を拭う。

「なにせ、あれは覚悟の……魂のぶつかり合いだったから! 互いに譲れぬものを賭けた、ワタクシたちなどが穢して良いような下等な戦いではなかったから! あの戦いは、ワタクシが見たどんな戦いよりも美しかった! その結末に文句など付けられませんわ」

 夢見心地のまま彼は語る。

「だって不覚にも、このワタクシが家畜である人間どもの代表にさえ敬意を持ってしまうほどの戦いだったんですもの。あの戦いは、一つの芸術!」

 そこでレディメイドは目を細める。

 その瞳に映る感情は怒りと憎しみだ。

「ですが、ああなんと不愉快! 今日、ワタクシはあの日の伝説に挑む心積もりで拳を振り上げたというのに! かつての役者は身も心も錆びついているだなんて!」

 ――怒りで気が変になるッッ!

 レディメイドの地団太でクレーターが生じた。


(錆、か……)


 ……なぜだろうか。

 悠乃には彼が怒る理由が分からなかった。

 良いじゃないか。

 そう思うのだ。

 身も心も錆びた。それで良いじゃないか。

 戦うために常に研ぎ澄まされていなければならない世界がおかしいのだ。

 レディメイドが『錆』と呼んで蔑んだもの。

 それを蒼井悠乃は『

 確かに、グリザイユは名前を捨て王ではなくなった。

 悠乃は平和な日常に埋没してかつての力の大半を失った。

 それは――悪い事なのか。

 もっとも、自分の力に関しては現在進行形で困っている以上、褒められたことではなかったかもしれない。

 だが、蒼井悠乃が望んでいた世界は穏やかで、戦う力などいらない世界だ。

 それをレディメイドは真っ向から否定した。

 ……そのことが気に食わなかったのだ。

「僕には……分からないや」

 胸の内にある不満の正体が分かると、不思議と力が湧いてきた。

 枯渇していたはずの魔力の存在を感じる。

 悠乃はふらつきながらも立ち上がった。

「僕たちは戦いたくて戦っていたんじゃない。グリザイユだってそうだった。自分は魔王の娘だから。自分を王と慕う民がいるから戦った。自分の血を、最後に流れる同胞の血とするため、一人の部下も連れずに戦った」

 あのまま戦えば《怪画》は壊滅する。

 そう判断したグリザイユはあの日、最後の戦いとして決闘を選んだのだ。

 長い戦いに疲れていたから、悠乃たちも決闘に同意した。

 今日でこの戦いが終わるなら、と。

「僕には分からないよ。そんな戦いのなにが美しいんだ? 戦いたくもない人間が、大切な人たちを死なせないために死に物狂いで戦ったあんな戦いのどこが美しいんだ」

 レディメイドはあの戦いを賞賛した。

 あの戦いをまるで美談のように語り聞かせてきた。

 滑稽だ。

 何が分かるんだと悠乃は問いたい。

 あの戦場に立ってもいなかった奴に何が分かると。


「そんな無意味で苦しかっただけのあの戦いを――『』だなんて言うような奴に――僕は負けられない」


 正直に言うと、今の世界を謳歌できているという自信はない。

 厭世観に浸ってしまった時期もある。

 でも、

「あの戦いの先に守られた未来を、壊させない」

 ――悠乃たちが命を懸けてつないだ大切な世界なのだ。



「……これは……」

 悠乃の体に異変が起きた。

 体が温かい。

 纏う衣装が光の粒子となり弾ける。

 青い光は白へと変移する。

 それはやがて悠乃の体を包み込み、一つの形を取った。

「あ…………」

 白い生地。

 ふんだんにレースがあしらわれた衣装。

 純白にして潔白。

 それはまるで――ウエディングドレスだった。

 悠乃には覚えがあった。

 これは、魔王と戦った際に覚醒した力。

 あの日にだけ扱えた、限界を超えた力。

 魔法少女の力を取り戻しても、この力だけは引き出すことができなかった。

 だから、あの日だけに起きた奇跡のようなものだと理解していた。

 そんな力を今、彼女は身に纏っている。

(これなら――)

 魔力の最大値が拡張されたことで、枯渇していたはずの魔力が回復している。

「これなら――皆を守れる……!」



「美しい……美しいわ! ブッラッボォォォォッッッッ!」

 白いドレスを纏う悠乃。それ見たレディメイドの第一声はそんな言葉だった。

 彼は両手を叩き、悠乃の姿を賞賛する。

「ああ、それがあの奇跡を彩った片翼! ワタクシたちが越えるべき障害!」

 狂ったように笑うレディメイドを悠乃は冷めた気持ちで見ていた。

 ここからは、自分の手で決着をつけねばならない。

 魔力が回復しても、姿が変わってもそれは変わらない。

 敵を殺すことが怖くないというのは嘘だ。

 しかし、最初のように揺らぐことはなくなった。

「今日! ワタクシはあの日の奇跡を越えますわァァッ!」

 ひとしきり語り終えると、レディメイドたちが悠乃へと殺到する。

 その数は圧倒的。

 1人で相手をするには苦しい物量だ。

 ――さっきまでなら。


「《氷天華アブソリュートゼロ凍結世界レクイエム》」


 悠乃は宣言した。

 自らの魔法の名を。

 そして――

 時間が止まり、悠乃以外のすべてが止まった。

「僕は負けられない。いや、負けたくない」

 悠乃はレディメイドたちに歩み寄る。

 彼女の両手には氷剣と氷銃が握られている。


「これは義務感じゃない。周りに流されての決意じゃない。僕自身が、僕の心から湧いてきた気持ちに従って決めた覚悟なんだ」


 あの時の戦いとは違う。

 避けられないから挑んだ戦いではない。

 戦えるのは自分たちしかいないからなんて理由じゃない。

 これまでの戦いで払わされてきた犠牲が、今やめては全部無駄になる――だなんて強迫観念じゃない。

 ただ、大切な人を守りたいという衝動が抑えられない。

 今、

「弱くて迷ってばかりの僕だけど。これだけは譲れない」

 一緒に戦う仲間にだって譲れない。

「自分の大切な人たちくらい、自分の手で守って見せる」

 もう二度と立ち止まることはない。


「ここは、僕が『自分で選んだ戦場』だッ!」

 

 この時、蒼井悠乃は本当の意味で魔法少女となった。

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