第一章 旅立ち

第一話 日常は突然終わる

 一つの棺が大人たちによって埋められていく。僕は泣きながらそれを黙って見ている事しか出来なかった。


 お母さんとの日々は貧しくも充実していた。それが、忽然と終わりを告げた。身体が弱かったお母さんは、僕を育てる為に一生懸命働いてくれていた。所詮は八歳でしかない僕では、お母さんが仕事から帰ってくるまで家の事をしながら大人しく待つ程度の事しか出来なかった。


 運命の日の朝、それはいつもと同じ朝の筈だった。初めてお母さんよりも僕の方が早く目が覚め、それが何となく嬉しくなって、隣で寝ているお母さんを勢いよく起こそうとする。


「お母さん! 朝だよ!!」


 いくら身体を揺らしても全く起きない。段々と怖くなり、鼓動が高鳴ってくる。声は震え、必死になって身体を叩いたり、大声をあげて起こそうとする。しかし、願いは叶わず、お母さんが起きてくる事はなかった。


 おかしいな、と思ったんだ。いつもなら僕より必ず早く起きて、朝食の準備が出来たら、優しく起こしてくれた。それが僕にとって当たり前の日常であり、そんな毎朝のやり取りが大好きで大好きで。


 大好きで……。


 毎日の楽しみだった。中々起きないのは僕の筈だったのに。そんな僕が初めてお母さんより早く起きた日、それがまさかお母さんが起きる事が無くなってしまった日になってしまうなんて……。


 そこから先は、はっきりと記憶に残っていない。泣き叫んでいた声に気付いたお隣さんがいつの間にか来ていたらしく、お母さんから僕を無理矢理引き剥がし、お隣さんの家に連れてかれた。訳のわからない僕を宥めている間に、色々と僕の代わりに手続きをしてくれ、落ち着いた頃に亡くなった事を教えてくれた。死んでしまった原因は過労。どうやらだいぶ前から無理をしてしまっていたみたい。


 僕のせいだったのだろうか……。もし、生活していたのがお母さんだけだったら? もし、僕が働けたら。もっと早く異常に気付けたら……。後悔だけが僕の心を埋め尽くす。お母さんの為に、僕がどうしていたらよかったのか、それはわからないけど、もうお母さんが帰ってこない事だけはわかる。目の前が真っ暗になってしまった。これからどうしよう。何でお母さんに置いてかれてしまったのだろう。一緒に行けたら幸せだったのかな。どうすれば幸せになれたのかな? もう何も考えられない。音も、色も全てが褪せてしまったようだ。


「お母さん……」


「さぁ、葬儀は終わったのだろう。ついてこい」


 ハッと我に返り、声のする方に振り向いてみると、一人の見知らぬおじさんがこちらに向かって歩いてくる。


 誰? 考える間もなくおじさんが腕を乱暴に掴んで引っ張ってくる。


「痛い! 急に何をするの?」


 痛みと恐怖に訳もわからず足で踏ん張るけど、子供の力では大人に敵う筈もない。どんなに蹴ろうが、掴んでる手を叩こうが、どんどん引き摺られていく。助けを呼ぼうにも気が付いたら周囲に誰もいなくなっていた。僕を連れて行かないで。これ以上お母さんから離さないで……。


「やめて下さい! あなたは誰なんですか? お母さん! お母さん助けて!!」


 どうする事も出来ないがとにかく無我夢中で泣き喚いた。何がなんだかわからない。このおじさんは僕をどうするつもりなんだ。


 お母さん、助けて……。


「喧しいガキだ。おい、あれを使え」


「え?」


 今まで誰もいなかった筈……。そう、さっきまでは確かに誰も居なかったのに、気が付いた時には口元に何か布をあてられていた。


「嫌だ! 何をするん……だ…」


 身体が重くなっていく。何が起こっているんだ? 誰か……お母さん、助け……て。


「全く、手間取らせやがって。これだからガキは」


 あぁ……もうダメなの…かな……。






「―――おい! おい!! 早く起きろ! 起きろって言っているんだ!!」


 ん? 誰かが肩を勢いよく揺らしてくる。誰だ? まだ眠いよぉ……。痛!! 何だ? 何だ!? 誰が頭を叩いてきたんだ?


「うぅ……。頭がクラクラするよぉ。いきなり何をするんですか……?」


 うーん、ここはどこだ? そもそも僕はいつ寝てしまったんだろう。ここは馬車の中? 前にお母さんと一度だけ乗せてもらった事がある。窓から外を眺めると見知らぬ景色が次々と過ぎ去っていく。何で僕は馬車の中にいるんだろう?


 あ、そうだ。さっきまでお母さんの葬儀をしていて、そこで変なおじさんに連れて行かれそうになって……。そこで後ろから口元に布をあてられて、気が付いたら眠ってしまっていたようだ。


 ふと前を見ると、さっき僕を連れて行こうとしていたおじさんが怒ったような表情でこちらを見ている。


「うひゃっ」


 思わず変な声が出てしまった。訳がわからない。どうする事も出来ず、目を合わせたままただ固まってしまった。


「呑気なガキだな。ハァ……、もう少しで目的地に着く。さっさと目を覚まして、着いたらさっさと黙って降りろ。いいな? 抵抗したらどうなるかもうわかるだろう?」


 不機嫌そうにおじさんが頭を叩こうとする。反射的に頭を抱えて身構える。


「叩かなくてもわかってます! 降ります、降りますから……! いう事を聞くので乱暴しないで下さい」


 叩かれると思って蹲っていたけど、一向に叩いてくる気配がない。どんなに待っても叩いてこなかった為、恐る恐る前を見てみる。


 うわぁ……。怖い顔。とっても不機嫌そうだ。これ以上怒らせない為にもおじさんを見ないように外でも眺めていよう。


 そこから暫く沈黙が続き、おじさんを意識しない様にする為、窓の外を眺めていた。これからどこへ連れて行かれるのだろう。いくら考えても答えは出てきそうにないが、今の僕にはそれくらいしか考える事がないのでぼんやりと考える。


 暫くすると、目的地に着きそうなのか、次第に馬車の速度が落ちてきた。やがて、完全に馬車が止まって馬車のドアが開いた。そこにいたのは黒い服を着たお年寄りだった。この人がドアを開けてくれたらしい。先におじさんが降りると後ろを振り返り、こっちを睨んでくる。わ、わかってますよ。そんなに睨まなくても降りますから。


 また叩かれるのも怖いので、慌てて馬車から降りようとしたところ、まだ身体が重かったのか、よろけて転びそうになる。そんな時、おじさんが僕の手を取って支えてくれた。そのまま手を取ったまま降りるのを手伝ってくれる。


「あ、ありがとうございます」


 おじさんの顔を見ると、バツの悪そうな顔をしてこちらを見ていたが、目を逸らして先へと進んでしまった。意外とこのおじさん優しいのかな……?  いやいや、いきなりこんなところに連れてきておいて、いい人な筈ないよね。


 そんなやり取りをしている間に馬車はどこかへ行ってしまった。馬車をボーっと目で追いかけているとおじさんが先に進み始めてしまう。僕は置いていかれないように慌てて後を追いかけた。


 大きな門を抜けると今まで見た事がない、そこはまるで別世界だった。先ず、目の前には色とりどりの花が咲き乱れた庭が広がる。真ん中には大きな噴水があって今も大量の水が噴き上がっている。余りにも綺麗な景色に目を奪われてしまう。ここだけで僕の家よりずっと広いだろう。


 明らかに場違いな所にいる気がするけど、もう逃げる事は出来そうにない。門には鎧を着た人が二人ほど立っていたし、目の前のおじさんにも敵わないのはさっきのやり取りでもうわかってしまっている。鎧を着ていた人達がこちらを睨んでいたような気がして、思わず目を逸らしてしまった。


 結局、僕を連れてきたこのおじさんは誰なんだろうか。凄い人なのはわかるんだけど……。これからどうなるんだろう……。


 色々と考えながら進んでいく内に大きなお屋敷の前に辿り着いた。何この大きさ。僕の暮らしていた家が小屋のようだ。心なしかおじさんも自慢げな顔をしているように見える。


 黒い服を着たお年寄りが入り口であろう、大きなのドア開ける。開くとおじさんは何も言わずに中へ入って行く。ここまで来たらもうどうしようもない。黙って着いていくしかないのかな。

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