8-2

「私ね、病院に行ってたんだ、昨日」

「朝から?」

「そう」

「何で……?」

「体調が悪化した」


 え、と言う僕に、蘭は続けた。


「朝、起き上がれなくて。何とか起き上がったんだけど、体が熱くて。体中の液体がぐるぐる、すごい勢いで回っている感じがした。それで学校休もうって思って連絡を入れて、でも施設長には悪いから黙っておくことにして。だから制服で病院に行ったの。着いて症状を説明したら、点滴刺された、夕方までずっと。でもそれで何となく落ち着いて帰宅して。今日は回復したんだけど、念のため休んだの」

「何でそんな大切なこと……」

「教室で倒れてから、ずっとどこか調子が良くないんだ。けれど採血は行われ続ける。私って何のためにいるんだろうって。記憶もないし、家族もいなくて孤独だし、採血の理由も分からないし、いる意味あるのかなって……」


 僕は腕を伸ばして、蘭の顔をこちらに向けさせた。


「ひ、響也っ?」

「そんなこと言うな。いる意味は十分あるんだ。僕のためにいてほしい」

「……………」


 蘭が僕を見つめる目は、やっぱりどう考えても“研究材料”になんか見えなかった。誰よりも大切にしたいと心から思える、美しい彼女でしかなかった。


 蘭は僕の隣にぴったりとくっついて、再び体育座りをした。


「でも私、一体何者なのか……」

「蘭。実はおととい、病院に行ってきた……そこで、全てを知った」

「全て……知ることが、できたの?」

「ついこの前判明したんだけど、実は母親が…このことに関連した研究者だったんだ」


 蘭は驚いた顔で僕を見た。


「え、お母さん、研究者なの?」

「そう。今一緒に住んでるのは伯母さん夫婦。母親はこの前出張で日本に帰ってきて、家に泊まっていった。その出張先が、あの病院だったんだ」

「……響也も、同じなんだね」

「え?」

「肉親が近くにいないって所が」

「でも、僕には伯母さん夫婦がいるよ」

「私にも、施設の人達っていう温かい人々がいる。そこも同じ」


 だから好きになったのかなぁ、と言った。僕はそれもあるかもしれない、と思った。


 少し沈黙が生まれて、僕は立ち上がってドアの鍵を閉めた。


 元の位置に戻り、僕は全てを話した。



 ……蘭の血液が群青色だったということと、僕の両親が蘭を“育てた”ということ以外は、全て。


 蘭は黙って聞いていた。


 もっと取り乱すかと思っていたけれど、終始落ち着いていた。

 蘭は言った。


「ちょっと予想はしてたんだ」

「え……想定内だった、ってこと?」

「うーん。何となく、みんなと違って私は、隠されてなきゃいけない存在なのかなとは思ってたよ」

「そっか……」


 蘭は再び、僕を見つめた、と思ったら俯いた。何か喋ろうとしては口を閉じる、を何度か繰り返した。何が言いたいのか気になったけれど、蘭の肩に軽く手を置いて、辛抱強く待ってみた。するとしばらくして、意を決したように蘭が話した。


「響也は私の全てを知って、それでも、一緒にいてくれるの……? 気味が悪いって、思ったりしないの? 人間とは言い切れない私と付き合い続けることに、負い目を感じないの?」


 僕は笑ってしまった。


「な、何で笑うのよっ、今笑うとこじゃないでしょ絶対!」

「ははっ、ごめんごめん。そんなこと心配してたのか、って思って」


 僕の想いは変わらない。たとえそのせいで、雛さんとすれ違ってしまったとしても。


 母親より大切な存在ができたことに自分で驚いて、でも未だ彼女をコントロールしようとする母を、許すことはできなかった。僕が蘭を“研究材料”の役目から解放する、そう誓った。


「そんなことって……」

「一緒にいるに決まってる。だから今日もここまで来たんだよ? 人間かどうかとか、関係ない。蘭は蘭だから。こんな美人さんといられるんだよ? 気味悪いわけないじゃん」


 面食いじゃん、と蘭は笑ったけれど、ありがとう、と言った。


 好きだよ、と伝えて、僕は彼女を抱き寄せた。群青色の血液を循環させているであろう心臓の音が、微かに聞こえた。


「蘭は孤独なんかじゃないよ。絶対離さない……明日から学校、来てくれるよね?体調悪くなったら、ちゃんと頼ってくれるよね?」

「うん……絶対、行くよ」


 蘭の顔が近づいて、細い腕が僕の首に回された。


 僕達は静かに、でも深く、唇を重ねた。

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