8. 藤鼠色のloneliness
8-1
僕が要塞のような研究棟を後にした日、雛さんは伯母の家に帰って来なかった。
帰宅してドアを開けると、カレーの匂いが立ち込めていた。
「響也くん! 遅かったねぇ、お帰り。……雛ね、急にアメリカに帰ることになったみたい。よろしく伝えといて、ってさっき電話があったよ」
「そっか」
エプロンで手を拭きながら僕を出迎えた伯母は、雛の好きなハンバーグカレー作ったんだけどなぁ、残念だぁぁぁと言いながら再びキッチンへと消えていった。
僕のせいなのは分かっていた。ただ、僕も雛さんと顔を合わせられる状況ではなかった。少し申し訳ない気持ちで、熱々のハンバーグカレーを食べた。
翌日、僕は早速蘭に全てを話さなければ、と思っていた。しかし教室に行くと、蘭は欠席だった。
「上島さんは体調不良で欠席だそうです。あと田中さんも欠席って連絡が来ました」
担任がそう告げた。何だよ~平野、分かりやすく落ち込むなぁ~! デート断ったせいじゃねーの? と相変わらず冷やかされた。実際僕は予想以上に落ち込んでいて、授業の内容はほとんど頭に入ってこなかった。
学校が終わると、僕は走って“木漏れ日の里”に向かった。すっかり顔なじみになった守衛さんが、響也くんこんにちは、と声をかけた。
「あの、蘭に会いたいので、開けてもらえますか? 今日体調不良で学校休んでたから」
「体調不良って言ってあるのか」
「え?」
「蘭ちゃん、制服でいつも通り朝出かけたよ。でも、実は今日学校休んじゃうんだ、内緒ねって僕に言ってた。あれからまだ帰ってきてないから、どこ行ってるのかなーとは思ってるんだけど」
「そんな……」
何となく居場所を察して、門を背にして再び走ろうとする僕を、彼は引き止めた。
「響也くん、行っちゃダメだ。……蘭ちゃんに言われたんだよ、多分響也くんが夕方来るかもしれないけど、絶対に私を追わないようにしてって。もし追ってきたら守衛さんクビだよって言われちゃってさぁ。そんなこと彼女が言うの初めてだよ。だから、今日は我慢してもらえるかな。蘭ちゃんにもきっと、何か考えがあるんだ」
「……分かりました」
僕はモヤモヤした気分をしまい込めないまま、帰宅した。
今日ちょっと元気ないね、雛が早く帰っちゃったからかな? もう雛ったら、と伯母は言い、僕の好きなチャーハンと春巻を作ってくれた。伯母が推察してた理由とは違ったけれど、僕の些細な変化に気づいて食べ物で癒してくれる伯母は、僕にとっての完璧な母親だと思った。
その翌日も蘭は学校を休んだ。授業の内容はやっぱり、耳に入ってこなかった。
おにぎりは僕の好きな生姜焼きのおにぎりだった。伯母が気を遣ってくれたのが伝わってきて、嬉しかった。でも、それを見るとやっぱり蘭を思い出した。貧血で倒れて、僕が渡したおにぎりを美味しそうに頬張っていた蘭。
僕はまた、学校が終わると“木漏れ日の里”まで全速力で走った。守衛さんと目が合った。
「響也くん……」
「蘭、今日も学校を休んだんです。今日もどこかへ行ったんですか?」
守衛さんは首を横に振った。
「昨日は、響也くんと会った1時間後くらいに帰ってきた。響也くんが来たけれど、追わないように言っておいたよ、って伝えたら、蘭ちゃんはニコって笑っただけだった。今日は見てないよ。だから、部屋にいると思う」
「じゃあ、今日は追うなって言われてないんですね? なら、会わせて下さい」
守衛さんは逡巡していたようだったけれど、僕の気迫に根負けしたようで、静かに門を開けてくれた。
蘭は施設にいる子ども達の中でも年が離れているので、個室を与えられていた。施設の構造がすっかり分かっていた僕は、迷うことなく蘭の部屋に辿り着いた。ノックをしてドアを開けた。鍵はかかっていなかった。
蘭はベッドの上で体育座りをしていた。僕を捉えた奥二重の目は、一瞬大きく見開かれた。
「響也……」
「蘭……心配したんだぞ。どこに行ってた?」
蘭は黙っていた。
「今まで皆勤だったのに、2日も休むなんて。……学校に、来て欲しい」
「なんで……? 私がいなくても、響也は友達たくさんいるじゃん。平気でしょ?」
「平気じゃない。寂しかった。友達にも分かりやすく落ち込んでるって言われた。この2日間、授業の内容が全く耳に入って来なかった。やる気が起きなくて、いないのに蘭の席の方見ちゃって、ご飯食べてる時も思い出して……たった2日なのに、辛いんだ。だから、来て欲しいんだ」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ、何なら今から友達に電話しようか? 証言してくれるはずだよ」
そこまで言うと蘭はやっと信じてくれたようで、響也はうさぎ体質なの? と小さく笑った。
「やっと笑ってくれた」
蘭は手招きをした。僕はベッドに腰掛けた。
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