7-3
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長い語りに一旦区切りをつけた雛さんの目には、涙が浮かんでいた。
僕も思い出していた。あの物語は、僕の両親に対して、想像以上の影響を与えていたのだ。
雛さんの呼吸が落ち着くのを待って、僕は尋ねた。
「蘭は……蘭はどうやって、誕生したの……」
雛さんの顔が、明らかに変わった。
「蘭、って……漢字は、植物の蘭? 名字は……?」
「え…そう、だよ。上島、蘭」
雛さんは静かに告げた。
「響也のお父さんの名前…………上島、拓也って、言うの」
「えっ」
「彼、彼女のことを娘のように感じていたんだ。……オルキデアって、覚えてる?」
その時、僕の脳が高速で働きだした。その単語は割とすぐに思い出された。なぜ、今までとんと忘れてしまっていたのか、不思議なくらいに。
「名前……NBJから人間を守った、サイボーグの名前……そうだ、それで主人公の名前はフェルナンドだった…………!」
「そうよ。あれはヒスパニック系の人が書いた物語。オルキデアってね、日本語で蘭って意味なんだよ」
「じゃあ、彼女は……拓也さんにとっての……オルキデア?」
雛さんは深く頷いた。
「彼女の命は、アメリカにある私のラボの試験管の中で始まった。どの組織にもなれる細胞を使って受精させて。様々な器官が作られていく中で、拓也の作った薬を入れた。その時、血液は青く染まったの。こんなに色が変化するとは思っていなくて、本当に人間の姿になるのか不安で、毎日のように拓也と2人で彼女を眺めていた。無事に成功して、ある日の夜遅く、女の子として彼女は“生まれた”。あくまで研究材料だったから、最初、名前はあえてつけなかった。その後、拓也が私に内緒で名前を付けたのね」
「じゃあ、彼女の記憶がないのは……」
もう一度、雛さんは深く頷く。
「彼女が“生まれて”から、成長ホルモンの動きを活性化させる試薬を入れた。ラボで育てることはできなかったから、私の自宅で育てた。私が帰国する時は、拓也に預けた。すると彼女は3年ほどで17歳くらいの姿になった。私達はそこで一旦成長を止めた。発達スピードは驚異的だったけれど、知能や言語、運動能力などに問題はなかった。記憶もあった。当初、拓也はもうここの病院の人と研究の話を進めていて、彼女の成長が止まったら日本に運ぶ予定だった。でも記憶があると色々と複雑なことになりそうだから、アメリカでの記憶を消しておいた」
僕の声は震えていた。両親は、新たな“娘”を産み育てていた。
「彼女はどうやって日本に……」
「拓也が同行して、船で運んだ。横浜の港に着いてから、拓也は日本の自宅に彼女を連れて行こうとしたけれど、病院との距離があった。それに記憶を消していたから、拓也の存在に感づかれてもいけなかった。そこで彼女を都内まで連れて行って、少しの水と食料、それからアタッシェケースを渡して、都心から少し離れた所に彼女を置いていった。彼曰く、人間として暮らす力も身につけて欲しかったみたい。その後彼女がどうしたのかは分からない。でも通院を無事に始めたことが分かって、生きていることが分かった。蘭の血液が順調に効果を発揮したのが分かってきたのが、ちょうど8月頃。もちろん世界初の試みで。だから色んな研究やまとめが必要で、アメリカに膨大な資料があったから、私はなかなか日本に帰れなかった」
じゃあ、蘭は見ず知らずの土地で急に1人にされ、そこからあの公園まで当てもなく歩いてきたということだ。きっと疲れ果て、公園で眠ってしまったのだろう。そして、雪が降った。
蘭がそんな過酷な人生を生きていたことに、驚きと動揺を隠せなかった。
彼女はずっと人生をコントロールされ続けていた。……僕の両親によって。
そして彼女が“材料”として使えるかどうかを見定めるために研究が必要になって、雛さんは僕と会う時期を初めて延期した。
「……でもなんで、響也は彼女のことを知っているの? 彼女とどういう関係なの? どこで出会ったの?……この研究は私と拓也と、この病院の腫瘍内科の先生数人しか知らない。響也にも、本当は知られたくなかったのに……」
偶然にしては、僕と蘭の出会いは出来すぎていた。でもこれが、運命ってものなのかもしれない、とも思った。
「……高3になった時に、僕のクラスに転校してきた。彼女は今年の2月より前の記憶をなくしている。雪が降る夜、公園にアタッシェケースと共に放置されていて、それを“木漏れ日の里”って施設の人が見つけて、彼女を保護した。ケースには大金とメッセージが入っていて、高校に行かせてほしいって書いてあったから、施設の人はそこから1番近い僕の高校に編入させたんだ。理事長と施設長は友人らしくて。そういう経緯で出会った。それで……今は付き合ってる」
「え……?!」
「僕が好きになって、付き合った。だから彼女はただの研究材料なんかじゃない。大事なんだ。すごく、大事なんだ」
雛さんは分かりやすく慌てた。まさか恋愛関係にあるとは思っていなかったようだった。
「で、でも、今ので分かったでしょう? 全てを知った今、これ以上彼女と関わるのは危ない」
「彼女は知りたがっていた。だから、伝えるよ、全て。……関わるのはやめない」
僕はもう一度群青色の液体を見てから、ドアへと向かって鍵を開けた。
「待ちなさい、響也。あなたのために言ってるの。もう彼女とは離れてっ」
僕は振り向いた。雛さんは僕をずっと見つめていた。研究者でも母親でもない、全てを失った者の目で。
確かに僕が話して、それが何らかの形で広まってしまえば、雛さんの立場はすぐに脅かされる。僕との親子関係にも傷が入るだろう。
でも、雛さんは道を踏み誤ってしまった。この事態を止められるのは、多分息子の僕しかいない。そして蘭を守れるのも、恐らく僕しかいない。
「一緒に解決するって、約束したんだ。だから、彼女のことは必ず守る」
響也っ! と呼ぶ雛さんを残して、僕は部屋を後にした。僕が雛さんに刃向かったのは、初めてのことだった。
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