第41話

 目を細める奥本に何事かと振り返ると、それは車のヘッドライトの光だった。あちら側も僕たちの状況を理解したようで屋根の上にある赤色灯をちらちらと点滅させると、中から青い制服に身を固めた警察官が二人降りてきた。

「貴様、何やってる!」

「お巡りさん助けて!」

 すかさず野宮が叫んだ。

「君たちは離れてなさい」

 二人の警察官はそう言うと駆けだして僕たちを通り過ぎた。後ろで傘を振り上げる奥本を包囲すると投降するように怒鳴りつけた。

 奥本は警察官の説得も聞かず、あろうことか振り上げた傘を彼らに向かって振りまわし始めた。

 しかし警察官もさすがプロだ。奥本をあっという間に羽交い絞めにすると地面に組み伏せてしまった。

「公務執行妨害で現行犯逮捕」

 警察官がそう告げて奥本に手錠をかけた。四方八方からパトカーのサイレンが鳴り響いている。その音はどんどん近づいてくる。

「君たちはそこでじっとしていて。応援のパトカーがもうすぐ来るから」

 奥本を組み伏せながら警察官の一人が言った。奥本は二人の警察官に抑えられ戦う意欲をなくしたようでぐったりしている。

 いい気味だ。野宮を傷つけた報いを受ければいい。警察がいなかったら奴の顔を蹴り飛ばしてやるところだ。

 応援のパトカーは警察官の一人が言ったようにすぐにやってきた。

 警察官たちはパトカーを降りると二手に分かれた。一方は奥本の方に駆けていきパトカーへと詰め込んだ。そして、もう一方は僕たちを保護してくれた。

「もう大丈夫だ」

 僕たちに話しかけてきたのは眼鏡をかけた警察官だ。彼は僕の顔を見ると険しい顔つきになった。

「ケガしているじゃなか、待ってろすぐに救急車を呼ぶ」

 そう言って彼はパトカーに戻ると車内から機械を取り出して何か喋っている。

 何をしているのかここからではよく見えないが、たぶん車載無線で救急車を要請しているんだろう。

 僕は隣に立つ野宮と倉井を見た。ちょうど二人もこっちを向いて目が合った。その目には興奮と安堵が混じった色が浮かんでいた。

 無言で微笑みあった。僕たちは野宮を取り返したのだ。それに奥本への仕返しも完了した。

 通信が終えた眼鏡の警察官がまた僕たちの元に戻って来た。

「救急車を要請したからすぐに来るよ」

「……ありがとうございます」

 僕がお礼を言うと警察官は人懐っこい笑顔をくしゃっと浮かべた。なんだか凶悪犯に立ち向かう警察官というよりケガをした園児をあやす幼稚園の先生をイメージさせる優しい笑顔だ。

「お礼なんていいよ。これが僕の仕事だから。それよりも近くを警らしていてよかった。早く駆けつけることができたからね」

 言われてみれば初めのパトカーと遭遇してから応援のパトカーがやってくるまでそう時間が掛からなかった。サイレンも比較的近くで鳴り始めた気がする。

「近くを?」

「ああ、このあたりで二人乗りのスクーターが暴走していてね。捕まえるためにパトカーが集結していたんだよ」

 僕はとっさに倉井を見た。彼女は苦笑いをすると、いたずらがバレた子供のようにペロっと舌を出した。

 それに僕も苦笑いを返した。

 まさか僕たちを捕まえるために集まった警察に助けられるなんて、世の中何が起きるかわからない。

 笑いあう僕たちを野宮は「どうしたんですか、二人とも?」と不思議そうに見ていた。

「いいから、いいから」

「そうそう。何でもないよ」

 そうはぐらかす僕たちに野宮は「?」の表情を浮かべたまま首を傾げた。

「えー。教えてくださいよ」

「どうしようかなー。な、倉井」

「ね、天原」

 じれったそうにする野宮を見ていると笑いが込み上げてきた。僕の笑いは二人にも伝染し、真夜中の住宅街に笑い声が響いた。


 それから僕たち三人は到着した救急車で近くの病院まで搬送された。救急車の中からパトカーに押し込められる奥本が見えた。彼は周りを警察官に固められ萎んだ風船のようにうなだれていた。

 これから始まる厳しい取り調べで過去の悪事も含めすべて明るみになるはずだ。それを楽しみにしておこう。

 病院までの道中、同乗してきた眼鏡の警察官に事情聴取をされた。

 僕たちは奥本が、野宮を監禁したこと、それを助けるために僕と倉井が奥本宅へ乗り込んだこと、そして揉み合いになったことを話した。

 眼鏡の警察官はふんふんと話を聞いたあと、ずり落ちた眼鏡を押し上げて言った。

「うん。君たちの言い分は分かった。でもね、緊急事態のときは自力で解決しようとせず、僕ら警察を頼ってほしい。天原君と倉井さん。君たちがやるべきだったのは野宮さんを助けに行くことではなく、警察に通報する事だ。今回はたまたま僕たちがすぐに駆けつけることができたけど、下手をしたら彼女の命まで危険を及ぼしかねない」

「……はい、反省してます」

 僕と倉井は膝に手をついてうなだれた。

「そして君も」

 今度は野宮に向かって言った。

「いくら担任の先生だからって男の人の部屋にほいほい入って行っちゃダメだよ?」

「ごめんなさい。気をつけます……」

 野宮は頭を下げてぽつりと言った。

 それを見て眼鏡の警察官は「分かったなら、よろしい」満足そうに頷いた。

「今のは警察官としての言葉だ。僕個人としては君たちの心意気には胸を打たれた。自分の命を顧みず乗り込んで行くなんて、なんて仲間思いなんだ。でも本当に危険だからもし次同じことがあったら即通報だよ?」

 いいね? と眼鏡の彼は僕たち三人に念を押した。

 病院に着くとすぐに検査されたが、大した異常は見当たらなかった。一番大きなケガでも僕の頭を三針縫った程度だ。他の二人も打撲や擦過傷などのケガはあったがいずれも軽傷で医師によると入院の必要もなく、その日のうちに帰宅してもいいとのことだった。

 同行してくれた眼鏡の警察官にそのことを伝えると、彼は事情聴取のために後日警察署に来るように言った。

 それから僕らは彼が手配してくれたパトカーで大津駅前まで送ってもらった。初めて乗ったパトカーは思ったより広くて僕たち三人が後部座席に並んで座っても窮屈さは感じなかった。さらに内装は黒で統一されていて、タクシーなんかと比べると高級感があった。

「じゃあ後日。警察署まで来てね」

 僕たちを駅前で降すと、眼鏡の警察官はそう言い残してパトカーで颯爽と走り去った。

 日付もあと少しで変わろうとしている駅前は人気がほとんどない。居るのはベンチで酔い潰れているサラリーマンぐらいだ。

 パトカーが完全に見えなくなったあと、倉井が「じゃ」と声をあげた。

「あたしはここで。奥本のマンションにバイク停めたままだから」

「そうだったな」

 今日、野宮を助けに行くことが出来たのは倉井のおかげだ。彼女はバイトを途中で投げ出してわざわざ駆けつけてくれたのだ。彼女がいてくれただけでどれほど心強かったか。

 僕は倉井に向き直った。

「ありがとう、倉井。君のおかげで野宮を助けられた。あとバイト中だったのに悪かったな……」

 僕が言うと倉井は照れ臭いのを隠すみたいに大袈裟に笑った。

「気にすんな! バイトなんて探せばいくらでもあるわ! それにあたしは二度と優月を裏切らないって決めたんだ」

 後半は笑わずに真剣な表情で野宮を見て言った。

「……ありがと。莉奈」

 野宮も真っ直ぐな目で見つめ返した。

 倉井はニッコリ笑うと「じゃあね」と去って行った。彼女の後ろ姿を見送っている時、野宮がぽつりと言った。

「天原さんもありがとうございます。助けに来てくれて。私、あんな酷いことたくさん言ったのに……」

 そして少し間を置いて、

「……ごめんなさい」

 気まずそうに野宮は爪先で地面をなぞっている。

 しおらしくしている彼女の姿を見ていると胸の奥が温かくなった。なんだか心に空いた穴がじわじわと埋まっていく充足感がある。

「いいよ、もう。野宮が無事なだけで僕は十分さ」

 野宮を元気づけるために敢えてあっけらかんに言った。

「さ、そろそろ終電だ。帰ろう」

 その日の最終電車に乗って、僕たちは家路に着いた。ふと気づくと右手が軽い。そうだ、ブレスレット……。せっかくのプレゼントだったのに悪いことしちゃったな……。

 その時、ブレスレットをくれた時の妹の言葉がリフレインした。


『誕生日の石を身につけていると、いいことがあるって信じられているんだって。ま、お守りみたいなものだよ』


 「いいこと」か。確かにブレスレットの石のおかげで奥本の意表を突くことができた。もしかしたら本当に僕は誕生日石とやらに守られていたのかも知れない。今日は二回も見えない力に助けられた。

 ふふっと笑うと隣に座っていた野宮が僕を見た。

「どうしたんですか、急に」

「別に。なんでもないよ」

 そう答えると野宮は「今日はやけに隠し事が多いですね」とあきれかえってしまった。

 そんな彼女を見ていると僕があの夜、野宮と出会ったのもどこかで不思議な力が働いた結果なんじゃないかと思った。

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