第35話

 倉井は噛んだガムを口から出すと、ドアののぞき窓にくっつけた。

 振り返った彼女の目が「準備はいいか」と訊いてくる。僕はそれに頷いて答えた。彼女も頷くと、インターホンを鳴らした。

「誰だ!」

 ドアの向こうから野太い男の声が聞こえた。

「夜分遅くに申し訳ございません。宅配便です」

 倉井は素知らぬ顔で言った。

「こんな夜中にか?」

「雨で渋滞しておりまして。遅くなってしまいました」

 よくもそう、ぽんぽんと嘘が出てくるものだ。職質から助けてもらった時もそうだが倉井は即興で演技をするのが上手い。きっと頭の回転が速いのだろう。その場でついて不自然ではない設定を即座に作り上げる。僕なら絶対に出来ない。

 ドアの奥から奥本がこっちに歩いて来る足音が聞こえる。ドアが開くかと身構えたがそんなことはなかった。

「暗いな。もうちょっと離れろ」

 どうやらのぞき窓からこちらを見ているらしい。だが、当ののぞき窓には倉井がガムを貼り付けて塞いでしまった。

「廊下の照明が消えていまして真っ暗なんです」

 倉井がそう言うと奥本は「分かった、今開ける」と鍵が開く音がした。


 きぃーと金属の軋む音を響かせてドアがゆっくり開いた。隙間から奥本の頭がぬっと出てくる。そこにすかさずバナナ銃を突き付けた。

「な、なんだ、お前ら!」

「静かにしろ!」

 バナナ銃に気圧された奥本は両手を挙げてじりじりと後退った。僕と倉井は土足のままでで奥本宅へ押し入る。そのまま銃モドキを突きつけて廊下を過ぎ奥の部屋まで追い詰めた。奥の部屋はキッチンのようで、調理設備の他、ダイニングテーブルが置いてあった。テーブルの上にはコップやティッシュペーパーなどの日用品の他に野宮の通学カバンがぶちまけられていた。

「おい、お前。野宮をどこに監禁している! 今すぐ吐け!」

 奥本は怯えた目で首を振った。

「お、俺は悪くない。だってあいつが……あいつが……」

 そればかりぶつぶつと繰り返すだけでらちがあかない。

「野宮! 助けに来たぞ、どこにいる! 野宮!」

「優月どこー? 優月ぃー」

 僕と倉井は家中に聞こえるように呼びかけた。するとどこからか唸り声が聞こえた。

「倉井、今……」

「聞こえた。浴室の方だ!」

「そ、そっちはダメだ!」

 倉井が浴室に行こうとすると震える声で奥本が叫んだ。

 恐怖で出た汗が額にびっしり浮かび上がっている。バナナ銃の効果は結構あるようだ。

「なんでダメなんだ!」

 バナナ銃を構えたまま一本近づくと奥本は「ひゃあ」と情けない声を出した。

「僕がこいつを抑えておくから見てきてくれ」

「分かった」

 倉井はうなずくと浴室へ駆けて行った。それからすぐに「発見!」と叫ぶ声が聞こえた。

 これで一安心だ。あとは奥本をどうするかだ。

「一体、どういうつもりだ。奥本」

 奥本の鼻っぱしに銃口を向ける。

 彼は首を縮こめ、ぶるぶると震えている。

「こ、こんなことしてただじゃ済まないぞ、分かっているのか」

「質問しているのは僕だ」

 睨みつけると、奥本は目を潤ませた。

「お、お前ら一体、何なんだよ! 野宮の仲間か? 銃なんか持ちやがって。ホント、何なんだよ!」

「教えてやろうか。僕は——野宮のボディーガードだ!」

 バナナ銃から手を離して、奥本の頬目がけて思いっきり拳をふるった。拳は見事命中し奥本は倒れこんだ。

 人を殴りつけるなんて今まで生きてきて初めてのことだ。指の付け根の骨がじんじん痛む。

「天原さん!」

 振り返ると廊下に倉井に支えられて野宮が立っていた。手足に残る痕は拘束によるものだろうか、痛々しい。

 野宮の姿を認識した途端、さっきまで感じていた焦りも不安もすべてどこかへ行ってしまった。ただ目の前に野宮がいる。それだけで心の底から踊り出したくなるほど嬉しい気持ちになった。

「野宮、無事だったか。助けに──」

「天原さん、危ない!」

「天原、後ろ!」

 野宮と倉井が同時に叫んだかと思うと後頭部衝撃が走った。視界はスローモーションみたいにゆっくり動いて、僕は何が起こったか理解出来ぬまま床に倒れこんだ。

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