第8話

 夜の校舎という非日常的なシチュエーションに僕は少なからずワクワクしていた。そのうえ誰にも見つからずここまで来れたことに内心楽しくなってきていた。今なら何でもできる気がする。

「いじめてきたやつの持ち物にイタズラって具体的に何をするんだ?」

 僕の問いに野宮は「もうすぐわかりますよ」と目を細めて口角をニヤリとあげた。


 しばらく校内を探索していると『職員室』というプレートが掲げられた部屋を見つけた。こちらも廊下と同様に照明が落とされている。ドアの小窓から中の様子を眺めてみると、そこには誰もおらず、書類やファイルがのったデスクが並んでいるだけだった。

 野宮も同じように小窓から中の様子を眺めると何か閃いたように表情を輝かせた。

「いいこと思いついちゃいました」

「いいこと?」

「はい! 天原さんはここで人が来ないか見張っていてください」

 野宮はそう言い残すと職員室のドアを開けて中へ入っていってしまった。

 職員室といえば、生徒の成績をはじめとする個人情報がたくさんあるはずだ。いや、それだけでなくもしかしたら教職員の個人情報だってあるかも知れない。それなのに誰もいないにもかかわらず施錠もしないなんて、ここはなんて防犯意識の低い学校なのだろう。

 まあ、それで今、僕たちは助かっているんだけれど……。

 数分後、野宮が職員室から出てきた。手にはスマホを持っていた。

「何してたんだ?」

「仕返したい同級生の情報があるかと思ったんですが……」

 しょんぼりした様子で野宮が言う。

「収穫なしか」

 すると野宮は急にニヤニヤと笑みを浮かべた。

「その逆です。同級生どころか、元担任の住所をゲットしましたよ! 天原さん、この学校の情報管理はザルですよ!」

「だろうと思った」

 野宮もこの学校に通っているんだから、それは心配することじゃないの? と思ったが、もうすぐこの世からいなくなる彼女にとってそんなことはどうでもいいのかもしれない。

「さて、寄り道はこれくらいにして、本来の目的に戻りましょうか」

 野宮を先頭にして、進む。階段をのぼり、三階の廊下に出たとき僕はあることに気づいた。

「この階って、さっき明かりがついていた階じゃないか? 大丈夫か?」

 僕の心配をよそに野宮は淡々といった。

「安心して下さい。明かりがついていたのはA棟です。目的の場所はここ、B棟にあります。それに渡り廊下で繋がっているとはいえ、建物が別なんで見つかるリスクは低いと思います」

「もし見つかったらどうするんだ? 警察沙汰になるぞ」

「大丈夫ですよ。仮にも私はここの生徒ですよ? 忘れ物を取りにきたとかいって謝れば大事に注意ぐらいで済みます」

「僕はどうするんだ。こんな学校、縁もゆかりも無いぞ」

「天原さんは心配性ですね。そんなの従兄弟とでも言っとけばいいでしょ。怖いからついてきてもらったって言えばいいんです。ほら、そんなこと言ってるうちに着きましたよ」

 野宮は廊下に置かれたロッカーの前で足を止めた。

「……あった。これです。私をいじめていた人のロッカー」

 野宮が指したロッカーには『金澤朱里亜』というプレートが貼ってあった。

「さ、仕返しを始めましょう」

 窓から入った月明かりが野宮の笑みを薄暗く照らした。

 野宮は金澤のロッカーのダイヤル錠を壊すと扉を開けた。中には教科書や体操服などが乱雑に詰め込まれている。

 どうやら金澤という子は整理は得意ではないようだ。体操服は畳まれておらず、くちゃくちゃになっているし、教科書も方向を揃えずに詰め込まれている。

「天原さん、ゴミ箱持ってきてください」

 僕は指示通り、近くの教室からゴミ箱を運び野宮のそばに置いた。

「ゴミ箱なんか持ってきて何をするんだ?」

「こうするんです」

 そう言うと野宮はロッカーから中身を全部出した。そしてゴミ箱から丸まった紙ゴミや、パンやおにぎりの包装、ジュースの紙パックなどを取り出すと次々とロッカーに詰めていく。たった数分でロッカーの中はゴミ屋敷と化した。

 ロッカーの惨状を見て僕は、小学生の頃のことを一瞬思い出した。だんだんと胃が痛くなってくる。

「結構、えげつないことするんだな」

「当たり前じゃないですか。仕返しなんですから。私がやられたことを返してるだけです」

「野宮も辛い思いをしてきたんだな」

「否定はしませんけど、同情はやめてください。ほら、あとは仕上げですよ」

 野宮はロッカーの中から出したものを半分僕に渡した。その多くは教科書類だった。

「これを各教室のゴミ箱にまんべんなく捨ててきてください」

 さらに彼女はさっき持ってきたゴミ箱を手に取ると「これも元の場所に戻してきてください」と僕の前に置いた。

「それじゃあ、あとで」

 野宮はそう言うと残り半分を抱き抱えて行ってしまった。

「捨ててこいか……」

 野宮にとってはいじめっ子のものだから、ゴミ箱にぶち込めばせいぜいするかもしれないが、僕にとってはまったく知らない赤の他人のものだ。なんだか、後ろめたさがある。それにこのまま野宮のいうように捨ててしまっては、過去に僕をいじめていた人と同じなような気がして行動に移せない。

 ずっと突っ立っているわけもいかないので、僕は先にゴミ箱を元の場所に戻すことにした。

 ゴミ箱を戻して教室を出たとき何気なくクラスのプレートが視界に入った。そこには三年C組とあった。この学校はクラスを数字じゃなくてアルファベットで分けているのか。僕の通っていた高校はクラスを数字で分けていたっけ。

 さて、この教科書の束どうしよう。捨てるのはやっぱり抵抗がある。野宮には内緒でどこかに隠しておこうかな?

 そんな考えが頭をよぎったとき野宮の声がした。

「天原さん! 終わりました?」

 駆け寄ってきた野宮は僕の手元を見ると、目つきが険しくなった。

「全然、終わってないじゃないですか! 今まで何してたんですか」

「違う、違うんだ。赤の他人である僕がこんなことしていいのか迷っちゃって……」

「いいんですよ! こいつは私に同じことを過去にしたんですよ? やられて当然です」

「でも、それは君がする場合だろ? 僕はこの子に何の恨みもないし、良心が痛むっていうか……」

 野宮は腰に手を当てると小声で怒鳴った。

「今更、何言ってるんです。そんなこと気にしなくていいんです。私の協力なんだから天原さんがやったことは私がやったことです」

「そう……かな?」

「そうです!」

 納得しかねる僕の手から野宮は教科書を乱暴に奪い取った。

「残りは私がやるんで天原さんはそこで待っていてください!」

 そう言い放って、行ってしまう野宮の後ろ姿を茫然と見送った。

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