第17話 「初陣」(1)
まっすぐに北上していたかと思えば、突如大きく迂回して南下をはじめた。ホント、ましてイオへ帰還するにはまるで真逆だ。
ネロスは念のためだと云っていたが、泊まった旅籠や呑み屋で、頻繁に噂を仕入れるようになった。どうやら理由は他にあるようだ。
日を重ねるうちに、徐々に春の気配が濃くなってきた。タラの平原は、急に色濃く萌えはじめる。
何日目かの旅籠の食堂で、がたつく卓に座し安い定食で腹を満たした後、ネロスはあたりを見回す。お目当ては奥の卓にいた。粗末だが、護身用の剣を手元に置き、酒杯を重ねているふたり組だった。
ネロスも酒杯を手にして、彼らに近づく。ふたことみこと、言葉を交わす。すぐに打ち解けたらしく、何やらしきりに訊ねている。何を話しているんだとハデスは干し肉を噛みながら待っていると、ネロスは何やら嬉しそうに店主を手招きする。
「親父、ふたりにおごりだ」
ふたりのうちひとりが、にやりと笑って酒杯を上げた。
「……正直に云うが、やはり路銀が足りない」部屋に戻ったネロスが、何でもないようにそう云ってのけた。「イオどころか、ホントにたどり着くこともできない」
何となく察していたハデスは、何も云えない。トーブズ農園でかきあつめた銭は、余裕もなかったので、さほどの量でもなく、指輪や髪飾りを売ってもたいした値にはならなかった。途中で奪った馬も売りはらい、今はふたりともばらした天幕やら鍋やらを担いで、徒歩での移動であった。歩みは遅々としてはかどらない。
「てっとり早く金を稼ぐ手段は、ひとつしかない。いくさ働きだ」
「回り道をしているのは……?」
「てごろないくさ場を探してた。いい話を聞いたぜ、“牛”の旦那が出張ってきてるらしい」
「“牛”?」
「いくさ場にはいろんな連中がいるのを知っているか?部族で雇われる連中、団で雇われる連中、仲間内や個人で雇われる連中、それからそういった連中を差配するやつもいる。いいかキア、信用のおける差配人を通してしか話を受けるんじゃねぇぞ、でないと、とんでもなくひどいいくさ場に放りこまれて、命なんか簡単に落としちまうからな」
やけに楽しそうに話すネロス。
「タラにも何人も差配人はいるが、“牛”の旦那なら信用できる。ここから五日ほど南にくだったタルヌ県あたりで、かなりでかいいざこざがおきているらしい。このあたりじゃ一番の大火だ。一方の雇われ連中の差配で入っているらしい。あいつにはつてがある」
「私もか?」
「あぁ……」ネロスはちょっと考えこんだ。「それはちょっと難しいか……仕方ないな、俺の従者ということで、ついてくるしかないか……」
「私もいくさ場に出ろと云うのか?」
「仕方ないだろう。キア、よく聞いてくれ。どんなに腕の立つやつだって、いくさ場で死ぬことはある。俺が死んでしまったら、あんたはひとりでイオに帰らなきゃならないんだ。万が一、そうなったときのために、あんたにはできるだけのことは教えておかなきゃならないんだ」
先日から、ネロスは毎日決まった時間にハデスに剣や槍の稽古をつけはじめている。かなり手厳しい教え方だ。話し言葉も、今は対等どころか目下の者に対するものであり、農園で呼ばれていたキアの名で呼ぶようになった。他に誰もいないときでもだ。送り届けるまで、ハデスの正体を知られるわけにはいかないためである。
「お前が死んでしまったら、私も野垂れ死にだぞ」
「ばか云うな、俺だって死ぬつもりはない。俺は二十年もこのあたりで腕一本でやってきたんだ、だけどな、本当に何があるのかわからんのだ。あんたも覚悟しといてくれ」
ネロスの云うとおり、五日ばかり太陽に向かって進むと、いくさ場の野営地が遠目に見えはじめた。
傭兵連中が駐屯しているその一角で、ひときわでかい天幕が、”牛“と呼ばれる男のものらしい。その周囲には数えきれないほどの雇われ兵が、思い思いに天幕を張り陣取っている。ちょうど昼飯どきである。あちこちで火をかけられた鍋から湯気がたっていた。
彼らの間をぬって“牛”の天幕へ近づくネロスとハデスを見上げるぶしつけな視線は、いずれも探るような鋭さだった。
天幕の入り口で名を告げると、すぐに中に呼びこまれた。
“牛”――というのは無論あだ名だが、まさしくそう呼ばれるのがぴったりの風貌だ。ネロスに負けない巨躯に、半白の髪と髭におおわれた顔はのっぺりと鈍重そうである。眼は小さく眠たげで、唇は太く、所作のひとつひとつが、ひどくゆったりとしている。一見、田舎まるだしのお人よしの初老ともとらえられかねない。
「ネロスじゃないか、久しぶりだ、生きとったたぁ驚いたでぇ」
“牛”は手にした酒甕をさっそくネロスに差し出す。
「旦那も商売繁盛で、まことに重畳」
「俺のところに来たというこたぁ――?」
「ちと、まとまったのがいってな、旦那のところじゃ間違いがないじゃろう思うてな、頼めるか?」
「おぉ、大歓迎じゃ。稼ぎ場としちゃ悪うないぞここは。他の連中の手前もあるけぇ、そうも大盤振る舞いはできんが、はずむぞ――ところで、ふたりか?」
「あぁ、ただしこいつは従者扱いでええ」
「従者?珍しいな、どういった風の吹き回しだ?、まぁええ、その若いのこみで、これぐらいでどうだ?」
「しわいな旦那、もうちいと……」
ふたりはさっそく値段の交渉に入りはじめた。
天幕から出たふたりを、何人かの傭兵が待ちかまえていた。身につけた甲冑はばらばらで、正規兵しか見たことのないハデスには、一軍の装備が統一されていないことに驚かされた。甲冑どころか、平服、中には上半身素っ裸でうろうろしている者すらいる。どいつもこいつも獰猛そうな風貌で、おのれの腕ひとつでいくさ場を渡り歩いてきた自負とふてぶてしさがあった。
「ようネロス」
「トラーオ、コープス、ベルヒデス、他にも見た顔があるな」
「ネロス、お前出ていけ」
「縁起が悪い、頼むぜ、向こう側についてくれよ」
ずいぶんな云われようであった。そうこうするうちに、人だかりは増えていく。
「お前があのネロス……」
「くそ、お前といっしょかよ、ついてないぜ」
「会いたかったぜ、ネロス。インツェルの陣のこと憶えとるはずじゃ、あのいかさま……」
「五年前に貸した金、返してもらおうか」
「俺は四年前だ」
「おれはクレアを横取りされた。忘れたたぁ云わせねえぞ、セトの娼館じゃ」
「酔っぱろうたお前から殴られて鼻、曲がっちまったんじゃ、やりかえさせろ」
「待て、俺が先だ……」
「ははは、大歓迎だな」
「どこがだ……」
満足そうなネロスを、ハデスは不審感のこもった眼でにらみつけ、小さくつぶやいた。
なおも歓待の意やら恨み節やらを流しつづける一同から、逃げだすように離れたふたりは、天幕を設営できる適当な場所を探していた。
「ずいぶんと恨みをかってるようだな?」
「久闊を叙しての軽いあいさつみたいなもんだよ」
「背中、気をつけておいた方がいいのでは?」
「あんたが護るんだよ、俺の背中」
背後で気配がした。振りかえると巨漢がいた。驚くことに、ネロスよりひとまわりでかい。ネロスを凝視する眼が、何とはなしに他の者と意味合いが違っているように、ハデスには感じられた。
「……シートンか?」
「ようネロス、こがいなところで会えるなんて、シレーンとイェルファンの加護じゃのぉ、嬉しいでぇ。弟と――」
そう云いながら上着の襟を引っぱり、鉄鋌を鋳こんだのではないかと疑いたくなるほどにたくましい左の肩から胸元を見せる。そこには凄まじい刀痕があった。
「この傷の借りをかえす機会にめぐまれた」
巨漢が、いかつい風貌に似合わぬ無邪気な笑みを浮かべる。それがかえって凄惨な印象だった。
「あのときは敵と味方に分かれとったんじゃ。恨まれるいわれはない」
「弟は初陣じゃったんだ。親父が死んでから、俺の稼ぎで大きゅうした」
「そうか、だがな、俺もお前も死ぬるのなんて当たり前の稼業じゃ。シートン、やきがまわったか」
ネロスがこともなげに云う。
「死ぬるなぁ当たり前か、なるほどそうじゃのぉ。俺も……お前も……な」
巨漢はちらとハデスに視線をやると、きびすを返すと去っていった。
ネロスはいまいましげに舌打ちをした。
「めんどうなやつがいるな……あいつには気をつけろよ」
いくさ場での生活がはじまった。
このあたりでは何とかと云う土豪と、何とかと云う土豪とが争っている。それだけではない。ちんたらしていると、今度はまた別の何とか云う土豪だか、神殿領の兵団だかが、横合いから旨いところをかっさらおうと狙っているらしい。イェルファナーと呼ばれるタラ一帯の部族とも、かち合う可能性がある。
争いの理由は雇われなどに教えられることはないが、噂だけは耳に入る。
ハデスたちが雇われているのは、その何とかと云う土豪である。敵対する何とかと云う土豪も、手持ちの兵団だけでなく傭兵どもを雇って一帯に展開している。
イーステジアが版図とするノイマンド、ベルセーヌふたつの大陸では、いくさ事情は少々異なる。北のノイマンドは土豪も多いものの、それぞれの領土内での軍立てがわりあい整備されており、正規兵以外をそれほど必要としていない。
それに対して、南のベルセーヌは北よりも部族が雑多で、大規模農場主や荘園主が多いため、領主たちは正規軍を整えにくい。そのため必要な場合は、臨時的に雇われ兵を集めて軍を整えるという風習が強い。
ベルセーヌ、特にタラ一帯で傭兵業が盛んな理由である。そして経験豊富な雇われ兵たちは、なまじの騎士や正規軍など、及びもつかないほどの実力を持つ者も少なくないと云われている。
もっとも、ネロスもノイマンドに行ったことがないので、そのような土地柄の違いまでを知るところではない。
ハデスとネロスは小さな天幕で、周辺に柵がめぐらされた傭兵たちの一角に陣取った。正規兵たちは隣接して陣立てをしている。
戦陣だからとはいえ、毎日やりあっているわけではない。今は互いが相手の軍より有利な状況を探っている段階だ。優秀で多くの雇われ兵を手早く抱えこめるかが、きもである。差配人の腕のみせどころだが、こちらの陣営は名の通った“牛”に任せることができたのが功を奏した。兵の数は日を追って増えていく。今では百人を越えているだろう。
ふたりが参陣した宵、なじみの傭兵仲間が何人かやってきた。酒宴となった。
自分たちの小さな天幕の前で、鍋を火にかけていた。配給された飯はたいしたものではない。粥で腹をふくらましているが、周りの傭兵連中も似たようなものだ。今夜はハデスたちも、つつましく干し肉をかじっている。
人の眼があるので、ハデスの方がかいがいしく立ち働いている。名目上、ハデスはネロスの従者である。ネロスはふんぞりかえって、仲間たちと酒杯をかたむけていた。
「ネロス、かわいいやつ連れとるじゃないか。お前がこがいなお稚児さん連れとるたぁ、驚いたでぇ」
「斬り刻まれてぇのか」
「そういえばお前、しばらく噂聞かんかったが、どうしとったんじゃ?」
トラーオが酒杯を揺らしながら答える。痩身だが、肩が張り俊敏そうな傭兵である。右の頬に縦一文字の刀傷があった。他の連中コープスやベルヒデスも、熟練の傭兵として似通った雰囲気をまとっている。
「ちっと護衛仕事があってな、ホントあたりまで何度か往復して稼いどった」
「お前、鏢客、やっとったんか?」
「あまり性に合わんかったがな」
「ホントの女はどうじゃった?」
「白粉くさいなぁどこも同じじゃ、ま、都女の方が尻軽じゃのぉ、抱き心地は悪うない」
一同がどっと笑う。ハデスはネロスが大使館付きの時分、下働き女に手を出していたことを憶いだして、こっそりと舌を出した。
彼らの話ぶりから、ネロスのことがずいぶんわかってきた。自分で云うとおり、このあたりではなかなかの顔のようだ。
“疫病神”のあだ名で呼ばれている。ネロスのいる側は必ず敗ける――というのが、不吉なあだ名の由来であった。そのかわり、どのような過酷ないくさ場でも生きて帰り、ぞれに見合った手柄をたてる。ハデスは知らないが、ネロスがマールと出会い決闘の立ち合いをした際、だまし討ちをしようとした傭兵も、彼のことをそう呼んでいた。
「そう云えば、あの話は?」
「何じゃ?」
「知っとるか?こいつ若いころ、酔っぱろうて占い婆に見てもろうてよ……」
トラーオが吹きだすのを我慢するように、話を途切れさせた。
「おい、やめろ」
「……片腕の男がお前の運命を変えるって……それ本気にしとるんだでぇ」
一同が大笑いをする。
「乙女じゃあるまいに、占いって……」
「片腕って、そりゃ右か、左?」
「それで出会えたのか?」
「いや、腕をぶった斬ったやつは何人もおるが、多分関係ないじゃろう」
ネロスが憮然と答える。
「そりゃそうだ、お前、片腕、片脚、首なしの男を何人生みだしとるんだ」
ひとしきり騒いだ後、ささやかな酒宴は乱れずに終わる。酔っていざという時に働けない者など、ここでは何の価値もない。彼らはいずれも身にしみている。
ハデスが火の始末をし、ふたりは天幕にもぐりこみ横たわる。
「近いうちに始まるぞ」ネロスが独語するように云った。「雇い主も、いつまでもただ飯を喰わせておくわけにはいかんだろうから、おそらく二日か三日のうちに、ひともみあるだろうな」
ハデスは息をのんだ。
「向こうには、モリスとベネディクスの団が加わっているらしい。しっかりした連中だ。本格的ないくさになるかもしれんな。お前にとっちゃ初陣だ、俺の後ろから離れるなよ」
天幕の外、まだ酒を呑んでいる連中がいるのだろう。かすかに焚火の明かりが天幕にごしにわかる。喧噪も遠くからかすかに届く。
ハデスは声をひそめてネロスに訊ねてみた。いくさ場に出るのはどのような気分か――と。
何百人という人間が剣や槍を手に殺し合う――正気の沙汰ではなかった。
ただ、ひたすら恐ろしかった。少しでも気休めがほしかった。
「俺にも初陣のころがあったはずなんだがな、とっくに忘れた。もう何も考えちゃいないよ」
ネロスは暗闇の中で、どうやら苦笑しているのだろう、即答した。ハデスの心中の怯えを察したのかもしれない。
「ただ、しいて云えば、でかいけんかだな、あんただって取っ組み合いのけんかぐらい、憶えがあるだろう?」
「したことない」
「……あ、王子様だったな、あんたは。そんなこともしないんだ。俺たちのような下賤ながきは、殴りあってでかくなるもんだがなぁ……」
「うるさい」
ばかにされたような気がして、ハデスは憤然とした。
「いくさってやつは、とどのつまり、でかいけんかだ。眼の前に、見渡す限りの敵がいる。獣みたいに喚いて、どいつもこいつも猛ってやがる。そんなやつらを見るとな、敗けたくないって気になる。血がわきたって、ぶん殴って、切り倒して、脚下にひれ伏させたくなる」
「野蛮なやつ」
「仕方ないだろう。俺はこの腕を売って生きていくしかないんだぜ。武器を置いて、嫁をもらって、子を産ませて、羊を飼ったり畑を耕したり、俺がそんな生活するなど、想像することもできない。いつかは手も足も利かなくなって、どこかのいくさ場で斬り殺される……それが俺の死にざまだろう」
別に気負うでもなく、淡々と語る。ハデスには、その気負いのなさが理解できない。
「だから、せめてそれまでは酒を呑んで、旨いものを喰って、女を抱いて、せいぜい無念をのこさないようにってことだ」
もう寝ろとネロスは云い、自分はすぐにいびきをかきだした。だがハデスは、近いうちに始まるぞと云ったネロスの言葉が耳から離れず、夜は更けていくが、いつまでも眠ることができなかった。
(つづく)
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