第12話 「ジゥイ会議」

 窓を覆う紗幕を指で少しだけ広げ、凝視する。馬車の軒に吊らされ激しく揺れる灯火が、疾駆する街道の闇を不規則にかすかに照らし飛び去っていく。街路ぞいの樹木の暗がりに、一瞬、人影らしきたたずまいを見た。

 御者台から、護衛のオドが低く声をかけてきた。

「街道筋は固められております。おそらくソーヌ公の手の者が一帯を警護しているものと思われます」

 得心したが、そのような些事は、すぐにクリシュトーフ内親王アゴータの冷徹な脳裏から失せた。彼女の意識のほとんどを占めているのは、これからの会合についてであった。

 隠密の馬車行である。車輪の音は秘事の昏さをはらむ。アゴータの思考と併行して、ときと距離はひとしく彼女をその館へといざなった。

 夜陰に梟の声が聞こえていた。

 灯火を抑えられた門内へ駆けこむと、敷地のあちこちから湧きでた者たちが御者に正体を問いただし、疑義がはれると手早く先導をし、客室の扉を開け洗練された丁重さと品位でアゴータを館内に招き入れた。すべてはひそやかな気配の中である。

 帝都ホントから、さほど離れていない閑静な郊外に、イーステジア四大公家のひとつ、ソーヌ公の寮はあった。

 招き入れられた一室には、すでに二十名ほどが円卓に座していた。

 下座のこの館の主であるソーヌ公が立ちあがり、この上なく洗練された挨拶と仕草とで、彼女をのこりひとつの席にいざなった。どうやら彼女が一番最後であったようだ。

「さて……これでお招きした方々は、皆いらっしゃったようでございますな」

 艶やかに微笑むソーヌ公ドヌーブ。まったく非の打ちどころのない美男ぶりである。均衡のとれた体躯、漆黒の髪には両のこめかみから一条ずつの白髪が見事に後ろに撫であげられ、一級の彫刻師が精魂を傾けつくして創造した神像のごとき美貌と、歳を経たことによる威容があった。鼻下に蓄えた口髭が、たまらない成熟した魅力を醸しだしていた。

 五十歳を越えた今も、帝国一の洒落男との評判はみじんも揺らいでおらず、一部の隙もない。噂では毎朝の身支度に、十人の召使をかしずかせて一刻もかけるとのことである。

「このようなときにお集まりいただき、感謝の言葉もございません」

 朗々たる美声であり、それだけで腰の立たなくなる女もいるだろう。

「何、お主から“花篭”が届けばな、来てやらぬわけもいくまい、な」皇族のひとりが満足そうに答える。「ただわかっていると思うが、今や我らのときは、黄金よりも貴重なのだぞ」

「いかにも、ときがもったいのうございますゆえ、さっそくではございますが本題に入ることにいたしましょう」

 ドヌーブがにこやかなまま、居住まいをただした。

 アゴータは円卓に座した者たちを、じっくりと見渡した。自分同様、皇室の重鎮たち。十王家たるゼノビア家、シュメリアーヌス家、ハミルカサス家、そして皇祖レムスの正妃を輩出したことにより代々妃家との尊称を持つ筆頭のパダ家――驚くべきことにいずれも当主がここにいる。さらに貴族上院、枢密院、執政の最高機関である星海の間の主だった殿上人たち。そして四大公家からは、館の主たるソーヌ公とレマン公ヨンソンの二名。四大公家のうち、クロシアとビルドがいないことが、アゴータの推測の正しさを裏付けていた。

 帝国の雲上人、殿上人、枢密、最高の権力集団がほぼそこに参集していた。この中では星海の間の参与と公家のドヌーブらが、もっとも格下である。皇宮以外で彼らが一堂に会することなど信じがたいことであり、つまりそれを為すためにソーヌ公が見当もつかないほどの散財をしたことを示す。

 ましてや、わずかふた月ほどの間に至高の座にいたユスティアヌス三世が、午後まで存命していた、まさにその夜に――である。皇帝の事故死という異常事態に、密やかな混乱にあった帝都の雲上人たちのもとに、夕刻を待たずに届けられた“花篭”が、その信じがたい参集を可能にした。

「僭越ながら、ここにいらっしゃる皆様がたのご意向を、私めにお売りいただけないでしょうか」

 ドヌーブの台詞は穏やかであり、赤子の時分から完璧な韜晦を当然のごとくに身につけている一同の中に溶けこんでいった。誰も動揺すらしていない。無論、この会合の意味を知っているからだ。

「いささか下世話な物言いとなってしまいましたが、ご容赦いただきたい。なにしろ我が一族めは元々下賤な商売人でございますゆえ」

 ソーヌ公領には大陸でもっとも大きな銀山を持つ。それを差配をするのがソーヌ公ドヌーブであり、その財力はすさまじいものがある。

「さて、我らの意向となると、いささか値が張るが……どのようなものかな?」

 白髪白髭の皇族が気だるげに訊ねる。前々帝の実子で親王家を持つ。

「お次――でございます。本日お隠れになりましたユスティアヌス三世陛下――御魂の安らかならんことを――のご後継を急ぎ定めねばと愚考いたします」

「不遜な。公家とはいえ、臣下にすぎぬそなたごときが口出しするとは」

「ご不快はごもっともでございます。ですが、ユスティアヌス三世陛下の信じがたいご急逝にあたり、一刻も早く臣民の心を安んじめる必要がと思い、卑賤の身なれど、皆様方にお諮りしている次第でございます」

「皇帝陛下がお亡くなりになっても、我ら雲上人がふさわしき御方を推戴いたす。臣民には毫も不信を与えぬ、下賤な者どもには微塵も覚らせぬ。それが堅牢無比なイーステジアの機構。そちもわかっていよう」

 皇族のひとりが鷹揚に云う。

「皆さまがたの御英慮は重々に存じております」

「くどいな――誰だ?お主の意中のお方は?」

 別の皇族が直截に訊ねる。

「ファビウス様にございます」

「おや、お主はフラミニウス様を推していたのではなかったか?」

 十王家のひとつハミルカサス家の当主が意外そうに訊きなおした。

 エリア帝の後継として、一時ユスティアヌスとその兄であるフラミニウスが最有力であり、帝国内の雲上人、枢密たちは両派に分かれてしのぎを削った。その政治抗争は、十年近い時間をかけた。

 結果、ユスティアヌスの後継が定まったが、フラミニウスを強く推していたのはソーヌ公とレマン公であった。四大公家で云えばビルド公とクロシア公はユスティアヌス派であり、それ以来、この両家がのこり二家よりも優勢な立場にあった。

 ゆえに、この場にビルドとクロシアは大使すら呼ばれていない。たまたまではあったが、ソーヌとレマンは当主が都におり、ビルドとクロシアはともに当主は帰領していた。つまりこの選帝の協議は、彼らを排除して進むことを得たということだ。ドヌーブにとっては、この機でのユスティアヌス三世の急逝は神々の差配とすら云えよう。

「フラミニウス様のご英邁さは、皆様方もご承知のとおりでございましょう……」

 ドヌーブがぬけぬけと云った一言に、一同の間に、はてそうであったろうかとでもいうような、眼に見えぬ微苦笑の気配が流れた。

「ございましょう……が、ユスティアヌス三世陛下よりご年長ということもあり、これより長きにわたり帝国の安寧を望めば、フラミニウス様のご英邁さをそのまま受け継がれた、ご子息のファビウス様こそが最もふさわしいのではないかと考える次第でございます」

「おいくつであったか?」

「御年二十二にございます」

「なるほど、お若い」

 いささか皮肉な口調となったのは、ゼノビア家の当主であった。つまり、いかようにでもなる……ということであろう。

「いかにも、ですがお若すぎるということもございますまい」

「フラミニウス様は確かドヌーブよ、お主の姉上が嫁がれていたはずだが……ということは、ファビウス様はお主の甥御にあたるか、なるほど、なるほど」

 シュメリアーヌス家の当主が、したり顔で云う。

「いかにも、ですが、それをおっしゃるなら、ここにいる皆様方はいずれも縁戚筋」

 ドヌーブが苦笑しつつ答えると、一座も思わずくだけた。彼らは長き間に婚姻と婚姻を重ね、今や分かちがたい繋がりとなっている。要は深いか、浅いかだけである。

「本来はフラミニウス様こそがもっとも有力なご後継ではございますが、ご自身はいささかお年をめしたため、先行きを考えるとファビウス様こそまさにふさわしいと、先ほどフラミニウス様からはご意向をうかがっております」

 なるほど――とアゴータは考えた。壮年であったユスティアヌス三世の次は、普通に考えて、かなり先のことであったはずであるが、その選抜にドヌーブは先んじて手をつけていたということである。皇位の後ろ側の席を買うのだ。これは“花篭”の奮発のしがいもあろう。

 抜け目がない、早いなと感心をした。先の継承争いで、ビルドとクロシアの後塵を拝したことが、よほどこたえたとみえる。

「ユスティアヌス三世陛下のお次とあらば、お若くとも鋭気にあふれた方がふさわしい、帝国の臣民にしめしがつかぬ」

「ファビウス様か……確かに申し分ないが、しかしいかにもお若い。他にはいらっしゃらないか?」

「次の候補で、ご壮健なお方といえば、パトロニウス様、ノルバヌス様、ルキウス様、ティベリウス様、バルア様……さらに……」

「パトロニウス様はフラミニウス様と同年。ルキウス様、ティベリウス様は、ご生母様のお立ち場がいささか……」

「ノルバヌス様はマイオス家の息女が嫁せられている」

「それは、いかぬな」

「バルア様はカレーア家とのつながりが強い。エリア陛下のご意向で取り潰された王家の色を出すのは、まだ尚早だ」

「いかさま」

 もったいつけるように、円卓の貴人たちは皇室の系譜を吟味する。

 しかしこの場にいるということは、すでにその意図をくんでいる。でなければ、もとよりこの場にはいない。ドヌーブにとっては勝負どころであり、他の者にとっても売りどころである。

「皆様方もご存念がおありでしょうが、私にはファビウス様こそが次の皇帝にふさわしい御方だと思っております」

 一同に存分に云いたいだけ云わせた後、ドヌーブは重々しく再び意図を語った。

「それがしも同意いたします。ファビウス様の御徳、高邁さ、さらにご見識、ご性情は抜きんでておられます。お若いこともあり、長き治世が望めましょうぞ。難題にあたっては陛下を補佐いたすのも、我ら枢密の務め。何ら問題はございません」

 レマン公ヨンソンも口をはさんだ。イーステジアのさいはてに辺境領などと揶揄される広大な領土を持つこの人物の頑健そうな体躯は、ホントの都とは別の気風をまとっているように見えるが、彼もまたクロシアとビルドとの対抗軸を構築する意図であろう。

「ふむ……」パダ家の当主も重々しくうなずいた。「確かに悪くはないかもしれぬな……」

「ご賛同いただきました方には、お帰りの際には私めから、もうひとつ“花篭”を準備させていただきます」

「不敬ぞ」アゴータは初めて声をあげた。「そなた、皇帝の地位を金で買おうと云うのか?」

「そのような不遜は考えておりません。私が買いたいのは、皆様方のご意向でございます」

「私は遠慮しておこう、金には困っていない」ちらりと一同を見渡す。「だが反対はせぬよ、もうすでにある程度話はついておるのだろう、ドヌーブよ?新帝擁立の立役者であるそなたの発言力も、これからはいや増そうというものだな」

「めっそうもない」

 ドヌーブは余裕の応答であった。

「クリシュトーフ内親王は奴隷村をお持ちだ。裕福でございますからな」

 アゴータにとって異母弟である皇族のひとりが、揶揄する。この者とは不仲である。

「そういうそなたに、花をめでる風流心があるとは知らなんだ」アゴータは冷やかな微笑を消すことはなかった。「ソーヌの“花篭”には、親王家の意向をもあっさり売り渡すほどの価値があるとみえる」

 エリア帝の三女であるアゴータは三度嫁し、三度つれあいを病で失った後、聡明さを惜しんだ父帝が内親王家をたて、奴隷村を含めて莫大な領土を与えた。今は帝国の重鎮のひとりで、うるさ方の筆頭である。頭髪はみごとな白銀であるが、顔貌はまだ往年の美しさと張りを保っている。

「クリシュトーフ内親王殿下、まぁ、その話は置いておきましょうか」

 四大王家の筆頭、パダの当主パルメニデスがのんびりした口調で口をはさんだ。さえない顔貌である。人というより驢馬に近い鈍重そうな馬面に、ぼってりとしたまぶたの下の瞳は眠たげである。だが、まもなく老境にさしかかろうとしているこのさえない人物こそが、この一座を調停することができる剛腕を持っていることを、アゴータはよく知っている。着飾ったお飾りの皇族など、脚下にもおよばぬ。

「ユスティアヌス三世陛下がお亡くなりあそばし、我らも一刻も早く皇宮へもどらねばなりませぬ、いたずらにときを費やすことはできません。さて……いささか性急なことではありますが、私めはソーヌ公の申し出、まことに理にかなったものと思いますが、皆様方はいかがでございましょうか?」

 茫洋と一同に問いかけるパルメニデス。

「それがしに異存はございませんな。ファビウス様、まことにうってつけのお方」

 他の者も次々に賛同する。どうやらおおかた、下ごしらえはできているようだ。

「ふむ……」自然とパルメニデスが、彼らの仕切り役になっていた。「どうやら、反対の方はいらっしゃらないようですな……しからば、第四十六代の皇位はファビウス様で皆様、異存はございませぬな?」

 言葉を切り、もう一度一同の表情に視線を走らせた。

「ひょっとしたら、後継について別途蠢動するむきもあろうかと思われますが、ご一同、今宵ここにいる我らが定めたことこそがまさに帝国の聖勅、帝国の意志。我ら以外の誰が皇位を諮れようぞ。ふたつの大陸に、安寧を保つことこそが我らの責務。決して心変わりなきよう、翻意は不忠にございますぞ……よろしいかな、よろしいかな」

「まことにありがとうございます。今宵は皆様方にお諮りした甲斐がございました」

 ドヌーブが満足そうに一礼をする。ほれぼれするような優美な仕草であった。やはりこの男は好きになれると、アゴータは考えた。


* * *


 上記のことがらは、書記すらもおらぬ密議である。ゆえに一切の記録はない。しかし、ソーヌ公の寮があったジゥイ村の名を冠して、四十六代目の皇帝が選ばれたこの日の密議は、帝国の枢密の者たちの間では、密かにジゥイ会議と呼ばれることとなった。


(第12話 了)

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