第11話 「イオ大亂」(10)
王と王弟の確執に揺れたその内乱においてイオードス、ことに主戦場となったカスバル各地でさまざまなできごとがあった。
* * *
カスバル東端――かつてはシナグ族とミルド族の版図が接するあたりであったセーヌ一帯も、ご多分にもれず内乱に翻弄されることとなった。
領主はうまく立ち回ろうとして状況に応じて旗幟を変えたが、根が軽率であったため、近領に兵をすすめている間に、別の領主から本拠の館を攻め落とされる羽目となった。
留守居の奥方は運よく逃れ、幼い息子や年ごろの娘をともなって近くの神殿に身を寄せたことをえた。
神殿は俗世の力のおよばぬ神域であり、敷地内は侵すべからざる強い権威がある。この内乱のただ中でも分け隔てなく、庇護を求める者は受け入れることが多々あった。
イシュトールを祀るその粗末な神殿は中立を保ちたかったのだが、門の向こう側で庇護を求める婦女子をむげに追い返すこともできずに、そこそこ善良であった神官長は、気をつかいつつ彼女たちを招き入れ、できるかぎりの世話をやいたものである。奥方や子息、護衛の兵や侍女たち十人をこえる者が神殿内にとどまることで、食糧庫におさまるものの減りが早いことを惜しむけちくささであったが。
そのとき、奥方の亭主は王弟派であったのだが数日後には王派に寝返り、馬首をかえしてそれまで刃を交えていた者どもとともに王弟派の土豪へ侵攻をした。
奥方たちを無事に送りかえして神官長がほっとしたのもつかの間、旬日もしないうちに領主とその奥方が神殿を訴訟した。
領主が王弟派であった時分、奥方や子息らをかくまったことを理由に、中立が是であるべき神殿が王弟の側に与したのは不当だ――というものであった。
そんなばかな……と神殿は呆れ驚いた。かくまってやったのは一体誰だ?
しかし詰問の兵に押し入ってこられては、不可侵の神域などとうそぶくこともできず、散々弁明をさせられたあげく、蓄えていた穀物はあらいざらい持って行かれてしまった。
ところが今度はふた月後、その領主は盟友の土豪と仲たがいをし、同じ王派同士で争い敗走することとなってしまった。領主は再度王弟派に鞍替えをしたが、周囲の土豪たちに攻められ一族も散り散りになる羽目となった。
奥方は再度神殿に庇護を求めたが、神官長は慈悲の心に反するがもう関わり合いになりたくないとこれを拒絶した。
奥方は激怒したが、もとは自分がまいた種である。強権と脅しと懇願と哀訴で何とか敷地内に立ち入ろうとしたがついにかなわず、門前の馬車で夜をすごして遠縁の者を頼って落ちていくことにした。
一夜あけてみると、年ごろの娘は神殿の若い神官と姿を消していた。以前、そのような仲になったものであったのか?
奥方は神殿側を責めたが、いかになじられようと神殿はもはや取りあおうとせず、追っ手の恐ろしさから早々に門前から退去するしかなかった。娘らがその後どうなったのかは、不明である。
奥方は避難する途中、王派か王弟派か野盗や落ち武者狩りの土民か――へたをしたら連れてきた警護の兵や従者かもしれないが――とにかく何者かに馬車を襲われ子息もろとも殺害された。従っていた者で遁走した者もいるが、事情はまったくわからなかった。
それを知った領主は、庇護をしなかった神殿を逆恨みして焼き討ちをかけたが、自身が追われていたため、ののしりながら馬に鞭をくれて自領から逃げ出した
しかし逃げ込んだ先は王派に寝返るための手土産として彼を捕縛し、送られた先で斬首された。彼の領地は両派か、どちらともしれぬ近隣の領主たちによって細切れにされ、荒れはててしまった。
幸い死人こそ出なかったものの、焼き討ちをかけられた神殿を見やり、神官長は立場も忘れて苦々しげにつぶやいたと云う。
「王派だろうが王弟派だろうが知ったことか。どちらも一人のこらず、とっととくたばってしまえばよいのに……」
* * *
カスバルの小都市マロムの夜であった。
「ほらよ、待たせたな」
してやったりと笑いつつ、厨房からちょろまかしてきた皮袋を振ってみせると、円座を組み待ちわびていた同輩の兵士たちは、ひそやかな歓声をあげた。半分ほどに満たされているのは濁り酒である。
「なんじゃ、これっぽちけぇ」
「うるせぇ、こんだけくすねっとがやっとなんだよ」
「はは、しけてやがる」
「そがなこつ云うなや、御神酒も久しぶりだ」
「こんあたりじゃ、いくさなんてろくすっぽありゃせんとに、何でこげん締めあげられるとね、やる気も出んわ」
「同感だ」
悪態をつきつつ、一同は回し呑みをする。喉がほどよくしめったところで、館の壁か屋根からはがしてきた古びた石板の上で、再びダイスを転がしはじめた。
「おい、親は誰げな」
「ああ俺だ。はえぇところ張りな」
「待てよ、さっきまでつづけてきたから……」
「へへ、鴨ほど考えるんだよ」
「また親の総取りなんてふざけたこつ、ならんようにせぇ」
「おい、こっちにも回せぇや」
粗末な外壁の上の詰め所。夜警をさぼり、ダイス賭博にうつつをぬかす守兵たちである。彼らは、徴用されて槍や刀を押しつけられた農兵だ。いくさと云われても、身が入るわけがない。
夜半はとっくにすぎ、城壁にはところどころにかがり火が、それもあまりやる気のなさそうに焚かれているのみで、深更の闇の深さはマロムを包みこんでいる。夏の虫も今は眠りについたようだ。
マロムはカスバル王側についた領主の居城であるが、一帯はキーブルやアレンビーほどの大規模な衝突はなく、長いこと平穏である。夜警の兵士たちが暢気にかまえているのも、仕方のないことだ。
「こっちは、思ったほどひどいことにならんで助かったで、いくさなんてとんでもねぇこっちゃ」
くちゃくちゃと粗末な乾肉をかみつ、ダイスの目を注視しながらひとりが云った。濁音の多いイオ人のウォグ語だ。他の者もそれに応える。
「しかし、ユリウス殿下はどがんなるのかねぇ?」
「キーブルのあたりじゃあ、ずいぶんおっ死んだらしいぜ」
「どでかいけんかをしかけたんだからよ、ただじゃすむめぇ」
「ご領主様もついてたぜ。ユリウス殿下側についてたら、今ごろ青くなってたぜ……おっといただきだ」
一同がどっと笑い、あるいは舌打ちと下卑たののしり声があがった。
「つきが回ってきたかの?」
「何、まだ裏目裏目だ」
「ほい、張りな張りな」
ダイスを転がしつつ、無精ひげの濃いひとりが茶化すように云った。
「しかしまぁ、ユリウス殿下もな、カスバル解放なんてご立派なお題目ば唱えたってよぅ、おれらにゃ関係ないことだぜ」
ちげぇねぇと笑う一同だったが、そのうちひとりが硬い言葉を口にした。
「関係ないなんて、どがなことじゃ。おれらミルド族がシナグ族の連中にいいように扱われとるちうのは、本当だろうが」
うつむき加減で低くはあったが、斜視の彼の視線はいらだたしげで、その言葉は誰の耳にもはっきりと届いた。場の空気が妙に白けたものになった。
「もう何十年も、ユリウス殿下は俺らのためを思って蜂起したんだろうが。あんたら、そんこつば考えてみたことあっとか?」
「やめろや、おい」
無精ひげがおもしろくなさそうにさえぎった。皮袋を取り上げ口をつけるが、もうのこっていない。舌打ちをする。
「そがなこつは、俺らが考えることじゃあねぇんだよ。こむずかしい話はお偉方にまかせとけばええんじゃ」
辟易して話をさえぎるが、一度火のついた男はなかなか止まらない。いさめようとする周りの態度にも憤慨をする。
「あんた、それでええのかよ。シナグ族のやり口は知ってるだろうが?奴ら、俺らをとことん押さえつけなけりゃならねぇと思ってんだ」
「やめろやめろ」
「おい、まじめな話だ。いくさの前、こんあたりじゃ麦ひと袋が四十ターレルだったが、アンドレードじゃ五ターレルも安かぞ。しかし売値は俺らの方がずっと安い。賦役もカスバルの方の負担が大きいって聞くぜ」
「本当かよ……」
「うわさじゃ、ただのうわさ」
「俺はよ、ユリウス殿下が正しいと思う」
斜視が声をひそめ、一同をぐるりと見渡しつつ云った。ひとりが苦笑しながら云う。
「ばか野郎が、正しかったら領主様が従っとるだろうが」
「違う!」低くするどく、小声で反論する。「間違っているのはご領主だ。カスバルのこつば考えるのなら、断固ユリウス殿下支持だ」
「……まぁ正直云やぁよ」ひとりがためらいがちに言葉をはさんだ。「何て云うかその……おもしろかもんじゃねぇよな、シナグの連中にでかい顔されるのは」
「ちょいと待ちなって」無精ひげがあきれたように口をはさんだ。「お前らなぁ、それじゃどがんするつもりだ?村ば捨てて、ユリウス殿下の軍に志願するのか?それともご領主をふんじばって、王弟派とでも宣言してたてこもるつもりか?はぁ、そなら、逆賊あつかいぞ」
「いや俺はそがなつもりで云ったわけじゃ……」
賛同した男は、あわてて否定する。他の者もばつが悪そうに身じろぎをした。ひきがちな一同の様子に、ほれみたことかと無精ひげが鼻をならすが、ただひとりだけ頑固に反論をする。
「そんぐらいしたってええんでねぇか?」
「おい、意地をはるのもたいげぇにしろよ」
「あんたらにはわからんとか?これは大事なこつぞ。ミルドの領土を護ろう、シナグの連中から奪い返そうって気概のある奴はいねぇのかよ」
「トートのいかさまダイスにかけて、おめぇはのぼせあがってるよ、頭冷やしな」
無精ひげは皮肉をこめていさめるが、斜視の兵士は別に腹をたてるでもなく、頭を振るとのろのろと立ちあがった。
「おい、どこに行く?」
「見回りの時間だ。あんたらみたいな連中とは話もできやしねぇよ」
そう云い捨てると、手燭にかがり火の炎を移し詰め所を出ると、誰をもともなわずに城壁の陰に消えた。手燭の淡い灯りが、じょじょに遠ざかっていく。それを見送る兵士たちは毒気をぬかれたように、もうダイスには見向きもしなかった。
「あいつ、入れこみすぎだぜ」
ひとりがむしろ心配そうにつぶやいた。
「さっさといくさば終わってくれりゃ、俺らは村にもどれるんだ。王様だの王弟殿下だの、俺らにゃどうでもええ」
無精ひげはそう云って鼻をならすと、だらだらと立ちあがった。一同もぶつぶつ云いながら、身体を起こす。
「ほら、お勤めの時間だよ」
「っくそ、まだ夜はあけねぇよなぁ……」
「おい、あんたらやめんのか?精算は?」
「もうよか、白けちまったぜ、今夜はご破算だ」
「お前、負けてとったからなぁ」
「うるせぇ」
たいして熱心に手入れもされていない槍を肩にかつぐと、一同は詰め所から出た。
夜気はますます深くなっている。無精ひげの兵士はぶるっと身体を振るわせた。
城内の灯りはほとんどなく、街は眠りこんでいる感じだ。緊張感は感じられない。館では、ご領主が寝床でぬくぬくと眠りをむさぼっていると考えると、自分たちがわりに合わない無駄なことをしているような気になって、ひどくつまらない気分だった。
(俺らがいくらばか正直に見回りしたってよぉ、こがな満足に城壁もめぐっちゃおらんお粗末な城なんて、どっからでん入るこつできるんじゃねぇかよ……)
自嘲ぎみにそう考えると、鍬とは感触が違い、いつまでもなれることのない物騒な得物を杖にして仲間の農兵らとしぶしぶ歩きはじめた。
彼の懸念は正しかった。
数日後、近隣の王弟側の土豪の夜襲により、マロムはろくすっぽ抵抗もできずに陥落している。
数少ない戦死者の中に、彼の名はある。もう二度と、生まれた村へもどることはできない。
* * *
まったく偶然のことであったが、四十フリートも離れたマロムの城の詰め所で、兵士たちがダイス賭博に興じていたちょうど同時刻――カスバルの有力土豪ザルツ公の居城で、その変事はおきた。
寝室の扉ごしに、ためらいがちにおとなう声で、ザルツ公フロイスは眼をさました。
常夜灯のかすかな灯りがかろうじて照らす寝室の室礼の底深い暗さは、まだ夜半にすぎないことを示している。寝台からおきあがることに、億劫さを感じることはなくなった。瀟洒な寝床の中、腕枕されて寝息をたてる愛妾は、眼もさまさない。
線の細い、しかし品のよい淡い黄褐色の髪の美男子で、まだ三十前の若者である。代々のミルド族の名家に生まれつき、反シナグ族の急先鋒として舌鋒をふるってきたが、自身が戦場に立ち、剣を振るうようなまねはできない。今回の戦役も、彼の居城はカスバルの奥深くにあり、戦塵からはほど遠い。
まだ半分ねぼけまなこで応じるフロイスに、扉の向こう側から急用である旨の応答があった。舌打ちをしつつ寝台から降り、扉のかんぬきを外した。
開いた扉からの手灼の明るさに眼をおおった。途端に扉がどっと全開になり、押し殺した殺気とともに数人の兵士が踊りこんできた。
「何を――!」
声をあげる間もなく口をふさがれ、たちまち押したおされてしまった。頭を床に押さえつけられ、逆手に極められてしまえば、もがくことしかできない。
ゆっくりと、それも気のせいかためらいがちに、幾人かの人影が寝室内に脚を踏みいれた。室外からの逆光だったが、フロイスにはそれがごく身近な者のそれであることが、直感で察せられた。
「誰だ?」
なかばふさがれている口で、うめくように詰問する。
「お静かに……」
ささやくように応えたその声に、フロイスは怒りの声をあげた。ザルツ家の家令ではないか。
「お身体に害を加えようとは思いませぬ。どうか、どうかそのままお静かに。夜分ですゆえ、どうかお静かに願います」
フロイスの身体に手際よく縄がうたれていく。抵抗する間もなく、手脚の自由が奪われる。
「何のつもりだ」
屈辱と怒りが喉の奥をふさぎ、怒鳴ることさえできなかった。家令が、かたわらの人影と意味ありげな視線を交わした。連中も彼らに仕える側近たちである。後ろめたそうな表情が、家令の慇懃さよりも事態を雄弁に語っている。
「大変失礼とはぞんじますが、お身柄を拘束させていただきます」
「……裏切るつもりか!」
「遺憾ながら……」本当に申し訳なさそうな家令の言葉。「キーブルでの大敗、さらにダヌーとレンバーのとりでが陥落した報せは、お耳に入っているはずです。カスバル北方の防衛線は分断されてしまいました。この戦役、もはや王弟殿下に勝ち目はございません。いつまでも与することは、お家のためになりませぬ」
「この不忠者がっ!」
歯噛みしつつ声を荒げる。
「お家のためを慮ってのことにございます。ご先代より託されましたザルツ家が、殿の御代でおとりつぶされるのを、黙ってみているわけにはまいりませぬ。お家は弟君に継いでいただきます。フロイス様はアンドレードにてお裁きが下されます」
遠慮がちに頭を下げる。フロイスは無様に床に座らされ、憎々しげにそのしたり顔をにらみつけるしかできなかった。
「貴様らにはわからぬのか?このままだと、我らミルド族は永久にシナグ族の膝下に組みしいたげられつづけるばかりだぞ。それでよいのか?ユリウス殿下が叛乱をおこした今こそが、カスバルの確固たる地位を打ち立てるまたとない好機なのだぞ」
「そのためユリウス殿下に与すると?ならばなぜ殿は、いくさ場におもむかれてもいらっしゃらないのですか」
フロイスは一瞬、ばつの悪そうな表情となったが、すぐに怒鳴りかえす。
「私には私の役割があるのだ、家令ごときにいくさの機微がわかるものか!」
「左様でございますか」
「アレンビー一帯ではまだ殿下側が優勢なのだぞ!」
「……無理にございます」家令の応えは妙に冷え冷えとしたものだった。「あのような無能なお方に何ができましょうぞ。失礼ながら、フロイス様のご見識を疑わざるをえませぬ」
おちつきはらった表情に、フロイスはこれまで感じたことのないこの家令の冷酷さとふてぶてしさを感じた。今日までそのことを知らずに、この蛇のような男を側近にし、身の回りのことに従事させていたのか?この男、一体自分をどのような眼で見ていたのだろうか?
「後悔するぞ!シナグ族の二枚舌に騙されて泣きをみるがいい!」
「どのような事態であれ、今より悪いということはございますまい」
「呪われろ!フブルの黒い炎で、生きながら焼かれつづけろ!」
ののしってみたものの、家令は動じる様子もない。
「さて……馬車を用意させております。夏ではございますが、お風邪など召しませぬよう充分にそなえをしておりますのでご安心を。アンドレードまでは護衛が同行いたしますので何なりとお申し付けくださいませ。後のことは私めらにおまかせくださり、どうかできるかぎりご旅程をお楽しみくださいませ」
そうばか丁寧に云ってのけると、深々と一礼をする。
「はっ!何もかも手はずが整っているようだな、いつもながらみごとなものだ!」
「おほめいただき、恐縮にございます」
さるぐつわをかまされ、もはや観念したかのようなフロイスは、身体中の力がぬけてしまったかのように、兵士らに引きづられてひそかに場外へ連れ去られていった。
余談ではあるが、この騒動の中、愛妾は眼をさましていない。
(つづく)
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