第11話 「イオ大亂」(11)

 イオとヌアールは、ペルべスの山脈により南北に隔てられている。きわめて近しい習俗を持つ氏族らにより建てられた両国が、いかにしてこの竜骨にも似た峻嶮な山脈の南北に分かたれたものかは、今はもうわからない。

 平野の暑気も、ここ高山一帯には届いていない。峰をぬける風も、身をすくませる涼気をまとっている。ここより高所は真夏でも峰に雪がのこり、一年を通して消えることはない。

 一羽の鷹が悠々と天空を旋回していた。

 険阻な山脈にも、何箇所か比較的ゆるやかな峰のつらなりがあり、両国はそこを往来するのが習いである。脚下には小さく華奢な黄色の花々が、貴賓室の絨毯のように一面の広がり、人々が往来するところのみが地山が露呈しており、ところどころには石畳は敷かれている。

 その黄色い絨毯の中をすすむ一団がある。騎馬と徒歩。いずれも身に黒を基調とした甲冑に外套をまとい、腰には剣を佩き、肩には槍長刀を担っている。誰もが寒風から身を護るため襟をたてて顔をふせているが、すすみは異様なほどに速い。

 一団を率いるのは、馬上のその身は、あたかも鋼を鋳固めたかような黒の外套をまとったたくましい騎士である。

 騎士のするどい視線がみとめた隣峰に、彼らとは異なる一団があった。その装いは彼らのものとは異なる様式である。

 隣の副官が騎馬を寄せてきた。

「あの幡印、クマラのものです、総騎士団長」

「ヌアールの剣聖か……」

 総騎士団長と呼ばれた騎士のつぶやきには、かすかに畏敬があった。

「我らが馬首を転じてヌアール領に押しこんでくるのを恐れたのでしょう」一方、副官のそれは剛毅さが勝っていた。「あのような小勢で我らを迎え討とうなどとは、安くみられたものですな」

「妙なまねはするなバルドル。話はついている、検分役を困らせることはない」

「わかっております、団長」

 そう云うとバルドルと呼ばれた騎士は、荷駄が遅れているようですなと、後方へ馬を返した。

 その行軍を見おろすのは、バルドルが評したように、まさにヌアールの剣聖クマラの一団であった。その一団は眼下をすすむ手勢を凝視する。駆け下り強襲するでもなく、かといって後退するでもないが、ことあればひと息に濁流となるような静かな威圧感を放っていた。

 かつて、新帝の戴冠にわいたホントで、ザフィールと名乗った青年の姿もその中にあった。

 旋回していた鷹が不意にまっすぐに降下すると、激しくはばたき青年の左腕の厚い手甲に爪をたてた。堂々たる威風であった。

「これでヌアールとイオの間に、悪しき因縁が生まれましたな」

 鷹を腕に止まらせたまま、独語に近い青年の台詞にはわずかに非難の調子があった。

「王が、利ありとご判断なされたのです」

 青年のかたわらの白髪の老騎士が答える。こちらも青年に負けぬ背丈であり、威風をはらうたたずまいである。

「お師匠が宰相のような物言いをされるとは」青年は苦笑する。「だが、やはり私にはこれは悪手に思える」

「イオの混乱により、ペルべス一帯はヌアールに傾きましょう」

 いさめるように、老騎士は云う。

「それでもです――」眼下の行軍をみやる青年のまなざしは険しかった。「クロシアの利に加担して、本当によかったものか。こたびばかりは、イシュトールの戦鏡の見違いがないことを祈るだけですが……」

 その一団はクマラら検分役が見守る中、今度は峠を南に下って行く。下ればもうイオである。彼らはそこから一気にカスバルを縦断し、目指す先はイオの王弟ユリウスの本拠エウラリーアである。


* * *


 クロシアの一軍がカスバルの王弟の本拠エウラリーアを強襲したとの報がキーブルへ届いたとき、遅い午餐をとっていたユリウスは持っていた酒杯を取り落したされる。

 クロシア軍は北のヌアール領側から、イオとヌアールをへだてるペルべスの山地を越えて、エウラリーアを陥落させた。エウラリーアまでの領土は、王弟側の版図であり、クロシア軍の進軍を妨げるものはなかったと云う。

 王弟と同席していた諸侯らの間にも、狼狽と惑乱が広がった。

「ばかな!」

 絶句したユリウスに、伝令は信じがたいことを伝えた。堅固なエウラリーア城が一矢を放つこともなく開門したのは、兵站の引き締めのためにキーブルよりもどったリンドレイの手によってとのことである。さらにエウラリーアまでの行程上の領主たちにも、北方からの一軍――本来はクロシア軍であるが――の行軍を妨げるべからずとのユリウスの指令が通達されていた。

「そのようなもの、余が出すわけがない!」

 怒声をあげたユリウスであったが、しかし実際にカスバルはクロシアの一軍の縦断をやすやすと許し、ユリウスの本拠であるエウラリーアは陥落したのである。

「まさか、リンドレイめが裏切ったのか……?」

 ランディーヌが呆然とつぶやいた。

 西のクロア湖から続々との増援が上陸し、今やエウラリーア近辺は完全にクロシアの占領下にあるとのことであった。

「妃殿下は!」うろたえた声でアドモスが叫ぶ。「妃殿下はいかがされた、お逃げあそばせたのか、まさか囚われてしまったのではないな」

 拘束されたようです……と伝えにくそうに伝令は答えた。

「何ということだ、城代は、守将は何をしておった!」アドモスの狼狽は呆れるほどに見苦しかった。「何とかせねば、何とか……!」

「落ちつかれよアドモス殿、今は我々の方が事が大事ですぞ」

 ランディーヌがいさめるが、アドモスは椅子に沈みこんだまま頭をかかえて、呪詛の言葉をぶつぶつとつぶやくのみであった。

「エウラリーアが抑えられたということは……つまり、カスバルにクロシアが侵攻したということか?」

 諸侯のひとりが呆然とつぶやいた。事態がようやくのみこめたらしい。

「軍を率いているのは誰だ?」

「……アルゴにございます」

 伝令の返答に、一同は息をのんだ。その衝撃は、クロシアの侵攻を聞かされたときよりも大きかったかもしれない。

 無限の版図を持つイーシテジアの、その最強とも謳われるクロシア軍は、イオことに国境を接するカスバル一帯にとって、いつ頭上に落ちてくるのかわからない崖上の巨石のように常に不気味な脅威であった。その脅威が今、現実となろうとしていた。

 しかも率いるのは黒旗騎士筆頭代理騎士と呼ばれ、クロシアのみならずイーステジアでももっとも武名の高いアルゴである。誰もが恐怖に肺腑をわしづかみにされた気分であった。

 重苦しい沈黙が流れた後、一座はざわつきはじめた。

「アルゴ、よりによってアルゴとは……」

「まずいですぞ。エウラリーアが陥落したとなると、カスバルはどうなる……」

「西からと東からと、我らは袋のねずみではないか」

「土豪たちがこのままクロシアに屈するとは思えませんが……しかしどこも兵は出払っております。空家同前だ」

「私の領土もだ……」

「……なぜクロシアが?新帝の代替わりで、国内の調停に力をそそがねばならないはずだ……」

「クロシア軍がヌアール領から来たということは、ヌアールが手を組んだということか……」

「ばかな…」

「いや、まさか……」

「信じられぬ……」

「東への侵攻は不可能。カスバルの中心であるエウラリーアが占拠され……このままでは我々は座して死を待つばかりですぞ、諸候、この事態をいかにすべきか」

 カスバルの重鎮シベリウス公が、重々しく発言した。戦役の当初、アンドレードで暴徒に暗殺された、ミルド族の参議シベリウスの一族にあたる。発言力は大きい。王弟軍に兵は引き連れて参集はしているが、ユリウスや側近たちが幅をきかせている内幕が気にいらず、しばし衝突をしていた。

 諸侯のひとりが座を立つ。

「それがしは領土を護らねばをならん。ユリウス殿下には悪いが、軍を引きあげさせてもらうぞ」

 それにつづき、何人かの諸侯も口々に離脱を表明した。

「私も領土にもどる」

「それがしもだ……ここで手を引かせてもらう」

「お主ら正気か!」ランディーヌが声を荒げた。「お主らが撤兵すれば軍は瓦解するぞ。我らミルド族の悲願はどうなる!」

「とっくに手詰まりよ。先日の敗けいくさでどれだけやられたと思っておるのだ」

「本陣まで攻めこまれて、カスバルの民は我らの勝利になぞ、もはや期待はしておらぬ」

「いかにも、こと、ここのおよべばもはやユリウス殿下には眼はない。まさか、力づくで止めると云うつもりか?」

 ひとりの諸侯が威嚇するように剣の柄に手をやり、一座に剣呑な空気が充満した。

「ま、待て、待て、我らがここで袖を分かたれてしまえばどうなるのだ、妃殿下がクロシアどもの虜となっているのだぞ、何が何でもエウラリーアを奪い返し、お助けせねば」

 端正なアドモス公が脂汗をうかべるさまは、無様というよりも滑稽であった。

「アドモス公、今はそのようなことを云っているのではないですぞ……」

 周囲の者が白けたようにいさめる。剣を手にしかけた者も、身体の力をぬいた。

「お主ら、安易に手を引くなどと云うが、もはやことはそのような簡単ななものではないのだぞ」 

 ランディーヌが苦々しげにいさめる。同調する者も離反をとどまるよう促すが、彼らは首を縦に振らなかった。

「どうするもこうするもない。ランディーヌ公が何と云われようと、ここにいてもらちが明かぬ。去留の道は我らで決める」

 吐き捨てるようにそう云うと、数名の、少なからぬ諸侯がユリウスらに背をむけた。人の欠けた座は寂寥の空気が流れた。首座のユリウスの顔面は蒼白であった。

「……シベリウス公、まさか貴公がのこるとは……いささか、その、意外でございましたな」

 ランディーヌはとりつくろうように、普段は気の合わぬ、かたわらのそのカスバル有力土豪の顔をのぞきこみ、機嫌をとるように云った。

「何を云う、この期におよんで、シナグ族に膝を屈して庇護を頼むのか? それともクロシアの支配を受けるのか?」シベリウス公は冷やかであった。「ご覧なれユリウス殿下、この戦役はもはや利あらず、お諦めくださいませ。いたずらに殿下を煽情したランディーヌ公、アドモス公、無論貴殿らにはいずれ責めは負ってもらう」

 シベリウス公の言に、ランディーヌ公もアドモス公も鼻白むが何も云えない。

「だが今はこの事態をどうにかせねばならぬ。我らミルド族の地をクロシアなぞに蹂躙させるわけにはいかん。シナグ族も退けねばならん」

「簡単なことではないぞ」

 うめくがごとくにユリウス。

「無論でございます、わかりきった話です」

 シベリウス公は再度、この場にのこった諸侯をにらみつける。

「我々はもはやユリウス殿下を担ぎつづけるしか道はない、最後までやりとおしてもらうぞ貴公ら、よいな、よいな」


* * *


 石造りの壁は窓すらなく、密閉された室内のよどみは、つどった者の心肝を重苦しくさせるのみである。

「……記憶していない」

 椅子に座らされたその男は、投げやりに答えた。片脚は鎖で椅子の脚に拘束されていた。虜囚の辱めを受けているのは、カスバルに領土を持つ有力土豪であり、ユリウスに近しいとされる者であった。

「殿下がいつからやつを重用していたかなど……やつなどは、殿下の周りに群がるただのおべっか使いだと思っていた。ただ、誰かからカスバルの生まれではないという話は聞いたような憶えがある……いや違う、クロシアだとか、そのようなことを聞いたわけではないが……」

「そのおべっか使いに、エウラリーアまでも奪われたのだぞ。はじめから、そのために殿下に近づいたとしか考えられない」

 怒りを隠しきれぬバーリンが立ったまま問いつめる。屋内には他にも幾人かいたが、部屋の中央で拘束されている男のもの以外、腰を下ろすものはなかった。

「さて……それがしにはわかりかねるな。まさかあのリンドレイめが、クロシアの犬だったとはな。誰もがまんまと騙された」

「ふざけるな、この戦役でイオがどれほどの損失をこうむったかわかっているのか?間諜を間諜とも見抜けなかった体たらくで、この間抜けどもが」

「バーリン、言葉をひかえよ」

 バーリンの後方でモルがいさめる。

「お若いの、モルの云うとおりだ。カスバル貴族への無礼、許さぬぞ」

「何がカスバル貴族か! 欲をかいてユリウス殿下を担ぎあげただけであろう!」

「やめぬか」

「我らミルド族をあざける貴様らシナグ族のやりくちが、こたびの戦役に火をつけたのであろうが! 我らの敵はクロシアではない、貴様らシナグ族どもだ!」

 バーリンの罵倒と冷やかなモルの物言いに、その男はかえっていきりたった。

 眼前のバーリンに突きつけた指が怒りに震えていた。憔悴した男の眼は、クロシアではなく、もはやぬぐいがたいシナグ族への憎悪に燃えていた。おそらくこの土豪も、この戦役でさまざまなものを犠牲にしたのであろう。

「ははは、お笑いだ、イオ一国があの男に手玉にとられたのだぞ、クロシアの手先のあの男に。いっそあっぱれと云ってやるべきではないですかな? イオの面目は丸つぶれだ、ははは……」

 怒りで満面が朱に染まったバーリンが腰の剣に手を伸ばした瞬間、後方から閃光がはしった。憎々しげに云いはなち、バーリンに突きつけたカスバル貴族の手首から先が消え、石壁が、洗濯女が濡れた衣服をたたきつけたような異様な音をたてた。鮮血が吹きだし、一拍遅れて悲鳴が室内に響いた。

「血を止めてやれ」血糊のついて剣を鞘に収めつつ、モルは冷酷に云いはなった。「これ以上は聞くにたえん。正式な尋問はアンドレードだ。片手がなくても差し支えはなかろう、そこで存分にお話なさるがよかろう」

 振りかえりもせず尋問に使っていた部屋を後にしたモルに、バーリンらがつづく。薄暗い回廊に、幾組かの甲冑のきしみが響く。

「パトキン公」

「何でございましょう」

 ずんぐりした体躯は岩石の重さを感じさせる白髭の騎士が、答える。

「キーブルは任せた」

「承りました――モル殿は?」

「私は軍をすすめる。リュベロンに廃棄されたとりでがある。そこを本陣とする。キーブル一帯を強化して連結させ奪還の拠点とする」

 モルの言葉には隠しがたい瞋恚があった。

「エウアリーアは取り返す。イオの国土を侵すクロシアは許すまじ」


(つづく)

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