第10話 「演武会にて」(3)

 天幕が大きく開かれた。

 美しく切りそろえられた下草の緑が眼にも鮮やかな演習場を、騎士が数騎ずつの組となり駆ける。いずれも黒色を基調とした甲冑に身をかため、槍を手にしている。先頭を往くのは“黒旗騎士”アルゴであった。

 つづいて、これもそろいの甲冑をまとった歩兵が現れる。この日はいずれも天を衝くような長槍をかいこんでいる。これも小隊ごとに一斉に展開し、見る者を圧するような迫力である。

 多くの騎士の蛇のように複雑な動きが、歩兵のまるで押しよせる潮のような圧力のある動きが、やがてひとつの個体のように一点へ集束されていき、ひとつの陣を描きぴたりと動きを止めた。

 しんと静まり返った演習場。ただ風の音だけが響く。

 賓客たちも観客たちも、ざわめきもろとも息をのんで、動から静的なたたずまいへと移行した一群を凝視する。

 ――と、再度天幕が開かれ、数騎の幡持ちを従えた騎士が、悠然と駒をすすめていく。連銭葦毛の愛馬にまたがったクロシア公ヴラードであった。

 彼に従う騎士団の正面に立つ。

 その重々しげな眼光が見すえる先には、皇室をはじめとする賓客たちの桟敷がある。

 しわぶきの音ひとつ聞こえない騎士団を後背に従え、むしろ小柄なヴラードの身体が、まるで演習場すべてを圧するほどに巨大になったかのような錯覚を、多くの者が覚えた。

 指揮杖が高々と上がる。悠然と振られる。

 その瞬間、林のようなたたずまいであった兵団が、まるで爆ぜたかとしか思われない転瞬を見せた。

 鋭いかけ声で馬を駆る騎士たちは、さながら重量のある倶風のようであり、一糸乱れぬ足取りで展開する歩兵たちは、賓客たちの眼前で雪崩る山にも似た重厚さであった。

 地が轟く。

 歩兵たちでできた峰々の間を、騎士が駆けぬける。わずかでも息が乱れれば、押しよせる槍の波にのまれたり互いに激突する者もいるだろう。

 槍襖が波立ち、歩兵もまた次々と配置を変え、変幻自在に陣を描く。あるいは円陣に、あるいは方陣に、時には雁行や蜂錘を描いてみせる。その光景は、遠方から眺めやる者たちには、ほんのわずかな間にまるで暗色の花弁が、大きく開きまた散華する様のように見えた。

 刀槍が陽光を反射させ甲冑がきらめき、強壮をもってなるクロシアの精鋭の迫力はであった。おそるべき練成の賜物であることは、軍を率いる者には痛いほどわかる。しかしそれを感じさせない優美さがある。

 すべてはヴラードの腕がふるう指揮杖が描く、一幅の絵巻のようであった。

 諸侯、諸国の貴人たちが、多くの都びとたちが、その武威の美しさ、練磨さに心の臓をわしづかみされたような心持ちであった。

 かくしてクロシアは、先日のビルドの閲兵式すらも凌ぐ名声をえた。

 さらに、その翌日おこなわれた演武会もまた盛況をきわめ、数多の騎士たちが剣技を競った。その中にヌアールの剣聖クマラの推薦を受けて出場した、ザフィールなる名があった。高名な剣士の弟子たるこの無名の剣士がこの日、軽々と七人抜きをしたと記録にある。


 園庭は多くの賓客にひしめいている。演武会の終わった後、クロシア公邸で催されている宴であり、実にくだけた雰囲気であった。前日のクロシア軍の兵の精錬たる様を眼にした彼らの興奮や、その日の演武会の熱気が今もまだつづいているかのようであった。

「お見事にございましたな、クロシア公。さすがは精強をもってなるクロシア軍。まさに東方の要ですな」

 酒盃を手に軽やかに本日の宴の主に話しかけたのは、ビルド公であった。その日は背後に、独眼の勇士を従えている。たくましい巨躯に、短くかりこまれた鉄灰色の髪を持ち、その猛々しい風貌は、ふたつ名である“竜”よりも、むしろ“虎”と呼ぶにふさわしいのではないかとも思われる。

 ヴラードがその賞賛に、わずかに顎を動かすようにして応えた。寡黙である。宴のはじまりも、ふたこと三言、低いが明快な言葉でそれを告げたのみであった。恵まれた体躯ではないが、そこに立つ様は根を張りまっすぐに伸びた森の大樹を連想させた。後方にはくもりのない剣のような“黒旗騎士”アルゴが従う。

 “黒旗騎士”と“独眼竜”――たがいの深奥を探るような視線が一瞬だけからみ合い、そして悠然と離れた。

「いやいや、武勇にも優れたと評判も高いヴラード殿。私などとうてい及びもつきませぬな」

 言葉少なな邸主にも気をそこねる風もなく、長顎などと揶揄されるどこか人をくったような風貌で、こちらはいたって如才がない。

「おや、よき香りでございますな。はて……酒ではなし?」

「恥ずかしながら下戸ゆえ」

 手元の酒盃には眼も落さずに、無表情で答えるヴラード。

「はは、武勇にかくれなきクロシア公にも、苦手なものがあったとは……」

「クロシア公は茶をお好みとうかがっております」

 声をかけてきたのは、クロシア領と接する東方ヌアールの特使である。

「いかにも、酒は不調法だが、茶だけは好みにあうようだ」

「ご存知のように、我が国の霧深きマーシアの茶葉は天下一品。ご所望とあらば、特級品をお送りいたしましょう」

「イーステジア広しといえど、ヌアールのマーシア葉にまさるものはない。ありがたく頂戴いたそう」鷹揚にうなずくクロシア公。「そう云えば、七人抜きをしたザフィール殿と申しましたか、彼の者、実に見事でございました。“剣聖”クマラ殿のご推挙とのことでしたが?」

「先ほどはクロシア公より過分なお褒めのお言葉を賜りましたこと、私めからも重ねて御礼申し上げます」

 武人の自負の強いヴラードにあわせて、ヌアールの特使は武張った一礼をした。

 会話の流れは千変万化しつつ、園庭を行き交う。いくつもの灯明に照らされた園内は、そこかしこに人の群れを浮かび上がらせる。ヴラードから離れたイヴァーンへと近寄る者がいた。

「ご無沙汰しておりますビルド公」

「おや、これはカイネウス公の大使殿ではありませんか」

 いささかの皮肉と冷淡さをまじえつつ、ビルド公はにこやかに応じた。相手は見事なまでにでっぷりと肥えた巨漢、ホントにおけるカイネウス公邸の官長でであった。

 クロシアとカイネウスの確執を知らぬ者など、この場にはいない。一瞬、周囲の空気がひんやりとした気がするが、そこは外交慣れした一団である。その空気はさりげなく、談笑の中へ融けこんでしまった。

「この度の新帝御即位には公は参加できず、まことに申し訳ないとのことでございました」

「うかがっておりますぞ。代替わりされて何かとご多忙かと――ときに、先代はご息災でございますかな?」

「これはお心遣いいたみいります」如才なく、カイネウスの都詰めの官長は答える。「なにしろ長年の多忙がたたってか、やや体調を崩されたようでございますので、ゆっくり静養につとめられ心気の快復につとめている模様でございます」

「ほう、それは心配だ」

「しかし今やご重責のなかりき地位にございますゆえ、領外の懇意にされておった方々へのご表敬があるかもしれませぬ。その折はよろしくお取り計らいくださいますよう、なにとぞお願い申し上げます」

 イヴァーンは苦笑してみせた。カイネウスの官長も、白々しいことがわかって語っている。


 宴の終了間際にある男が耳打ちしてきた。

(ハミルカサス家とはな……)

 カイネウスの公邸官長エイモスは、心の中でいぶかしげに、そしてうんざりとつぶやいた。

 ハミルカサス家は十王家の一であり、その分家が先代カイネウス公バトゥの公妃の生家にあたる。初代カイネウス公ストゥの造反により婚家として非常に危うい立場に立たされたが、絶大な政治力によってきりぬけ、乱後はカイネウスのホントにおける権益の代弁者として皇宮内で発言をつづけている。

 カイネウス公ストゥ、そして後継者バトゥとの関係が清算できないものでない以上、庇護せざるをえなかったためである。ゆえにカイネウスの政情については常に神経を尖らせており、その干渉も大きく、本国も無視をすることができないが、皇宮内で唯一の味方であり、武力以上に強力な力である。決して途切らせてはならない生命線である。

 バトゥがダゴン公子の手により追放された折には、彼が釈明におわれて難渋したいやな記憶がある。また今回もどのような横柄な難癖をつけられるものかと、考えただけでげんなりする。

(そもそも……)肥満漢の官長は考える。(香都でのカイネウスに対する非難を一手に引き受けているのは、自分なのだ……)

 その苦労も知らず、ダゴンなどは先代の追放など気安くやってくれる。公邸内では、いまだにダゴンに対する不平はうずまいている。揺れる馬車の座席に背をあずけ、しかめ面をしつつ指を組んだ。首から腹、尻、腕、腿までが見事に太く、指は白い芋虫のようである。

 帰路を変更し、ハミルカサス家の所有する寮のひとつに密かに馬車を乗り入れた。宴で口にした酒のほてりがわずかのこっていた。重たい身体がのたりと降り立つ。

(はて……?)

 心中、首をかしげた。この寮はかつて一度訪れたことがあるが、どうも様子がおかしい。別荘であるとはいえ、いく度も曲がらされた廊下は、意図的であるかのように灯明が薄暗くおさえられていた。寮内に人の気配がうかがえないのが、妙にいぶかしく、不気味でもあった。しかし案内の者には見憶えがある。

「こちらへ……」

 やがて一室へ案内される。案内の者は姿を消した。室内は常夜灯のみで暗く、様子ははっきりとうかがえない。眼が慣れるまでしばらくかかったが、やがて奥の椅子に何者かが座しているのがわかった。

「久しいな、エイモス……」

 人影が呼びかける。その声と、そしてようやく慣れた薄闇のむこうにみとめた人物の風貌に、カイネウス公邸の官長は驚愕の声をあげた。

「……陛下?」

 ホント生まれのエイモスは、カイネウスへの下向経験は一度しかない。その折に拝見したカイネウス公、いや前カイネウス公バトゥがそこにいた。傍らには矮躯の文官が伺候している。オルニアからともに逃亡したコルネリウスとは、エイモスにはわからない。

「公邸には、うかつに近寄れぬのでな」

「まさか……いずこへ参られたかと思っておりましたが……」

「ふむ」

 バトゥは値踏みをするように、長い時間をかけてエイモスを凝視する。

 エイモスの方も、衝撃からはもう立ち直り、頭の中では目まぐるしくそろばんをはじいていた。

(覇気がなくなられたか――?)

 ただ一度しか会ったことがないが、その折り、バトゥはカイネウスの主座にあり、満々たる風格がただよっていたと記憶している。今、ハミルカサス家の寮のうす暗がりの中に潜むような前カイネウス公から、あの圧倒されるような迫力は感じられない。

「怪しまれてはいかん、手短に話すぞ」

 値踏みは終わったらしい。無表情でバトゥはつづける。

「余がここにいることで、おおよその見当はつくであろうが、余は今ハミルカサス家の庇護をうけておる」

「は……陛下にはご息災で何よりのことと……」

「白々しいことを云わんでもよいぞ」

 からかうように、バトゥ。後ろに控えている文官が、小さくたしなめたが、エイモスには聞こえなかった。

「……私めに、何をお望みで?」

「よいなエイモス、お主はよい」バトゥは今度は心底愉快そうに云う。「そういうお主だからこそ、話すかいがあるというものだ」

「陛下も、私の立場がよくおわかりのはずです」こちらは慇懃にエイモス。「ダゴン様に忠誠を誓っている今、ホントでの公館の長を務めます私が、国を追われた陛下と対面したこと、おぉ……注進せぬわけにも参りません」

「やめておけ、その方がためになるぞ」

「そうでございましょうか?今の陛下に、カイネウスから遠く離れられた今、どのようなことがおできになりますか?」

「ハミルカサス家が余を庇護している意味、わかろう?」

 エイモスが太い眉を困ったように寄せた。皇室にも比肩する十王家が、好意でバトゥを懐にかくまうはずもないことは、重々承知している。

 さて、ハミルカサス家はいかなるつもりであろうか?

 カイネウスを存続させ、そこからのあがりをふところにするつもりか。それともバトゥ親子の確執を煽りたててカイネウスの解体、あるいはしゃぶりつくか、いずれにせよ、のどにささった骨のように不快なこの北国の清算をはかるつもりかもしれない。

 しかし、エイモスはあえて口にはしなかった。

 ここはハミルカサス家の寮である。エイモスにとって一番の悩みどころは、バトゥにつくかダゴンにつくか、場合によってはハミルカサス家につくかであった。

「簒奪者を追いおとす。お主にも働いてもらうぞ。何人にもいらぬ邪魔はさせるな。ホントでの工作は、表だってお主がせよ」

「いかがされるおつもりですか?まさか、ビルドやクロシアンを扇動して、かつてのような北伐軍を陛下がおこされるわけにもいきますまい」

「場合によっては、どのような手段でもとるぞ」

「そのなされようは……」エイモスは困惑したように「お言葉ですが陛下、ハミルカサス家まで巻きこめば、カイネウスのためにもならぬかと存じます」

「このまま隠居でもせよと?」

「さて……しかしいたずらに波風をたてることは、いささか……」

「喰えぬなエイモス、お主の魂胆はわかっているぞ。お主、天秤にかけておろう?」

 めっそうもないと云いかえそうとした。こつりと、バトゥの指が肘掛で音をたて、何となく言葉を押しこめられた。

「かまわぬぞ、せいぜい胸算用をしてみよ。誰が最後にのこる果実を手にするか……さて、度胸だめしだな、エイモス」

 そう云うと、バトゥは薄暗い部屋に溶けこむような笑いをあげた。


(つづく)

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