第1話 「禿頭公子の冒濫」(7)

 後に――早春宮の乱の報が、オルニアでもっとも早く届いたのは“二本指”のロダンのもとであったと云われるが、それは噂でなくまぎれもない事実であった。

 その時ロダンは錬兵所の自室におり、早春宮よりの急使からの報を受けた。まだ墨も乾ききっておらぬほどに生々しいその密書に眼をはしらせ、ロダンは天を仰いで苦悶の声をあげた。

 厳冬に耐える巌が削りだされ、人の形をしてそこにあるかのようである。いくつもの刀傷にいろどられたいかつい顔を、幾筋もの白いものの混じった蒼黒い髪と蒼黒い髭が、あますところなく覆っている。

「どちらからの密書でございますか?」

 同室していたその者の問いかけにも、将軍は応えようとしなかった。

「公ですか――それとも殿下でございますか?」

 ナボコフの熱に浮かされたような眼が、カイネウス最高の将をまっすぐにみすえていた。ロダンはその眼をそらすことができなかった。

「殿下だ……」

 うめくように低くそう云い、苦悶の表情で執務机に手をついた。ナボコフの口から太い息がもれ、そして斬りつけるようにつづけた。

「ロダン将軍、先ほども申し上げたが、あなたの出方次第で、国は乱れますぞ」

 ロダンは身じろぎもしなかった。

 この国の者が皆そうするように、ナボコフは敬意を以って彼の左の指先をちらと見やった。彼の左の指は親指と人差し指をのぞいて、一番下の関節で失われている。“不死身” の、そして“二本指”のロダンと称されるカイネウス一の猛将の所以であった。

 その異名にはひとつの物語がある。 


* * *


 八年前――その面積はおそらくノイマンド大陸自体の何分の一かに相当する巨大な内海――ヲリア海の東、カイネウスとビルド公領のちょうど中間に、ベイジンの平原は位置する。半ば以上在地領主化した諸侯の差配するこの近隣は、帝国公領中最大の軍事力を誇るビルドの影響下にあり、南征による版図の拡大を国是とするカイネウスとが、幾年にもわたり衝突をくりかえしてきた因縁の地であった。

 この年の戦で、カイネウス公バトゥの采配はいつになく冴えず、多くの兵と幾人もの有力な武将を失い、ついに撤退を余儀なくされた戦場は熾烈な退却戦の様相と化した。

 敗走するカイネウス軍を追うのは、猛将ウォルス。赤備えを率いる“美髯公”クロイドンと並び称されるビルドの二枚看板のひとりである。イーステジア帝国でもっとも格が高く讃えられる帝都ホントの近衛騎士団を率いる“獅子心騎士”より、実力はしのぐものがあるのではと世評もかまびすしい。

 兵千人を率いたウォルスの追撃はすさまじく、幾重もの敵陣を蹴散らしバトゥに肉薄する勢いであった。血煙をあげたウォルスの長刀の刃が公の本陣に迫ったとき、ロダン率いる一隊がその猛撃の前に立ち塞がる。

 殿軍を引き受けたロダンは、すでに身体中に数本の矢が突き立っており満身創痍であった。しかしロダンは虎のように猛るウォルスを相手どって壮絶に槍をふるい、その身体のまま数十合を斬りあい、そして彼が身体を張ってかせいだわずかなときが、そのままバトゥの命運を分けた。

 指呼の間にあったバトゥの首級をさえぎられ、怒りに燃えるウォルスの長刀がうなりをたててロダンの左手の指を三本両断し、返す長刀が、ロダンの頸を刎ね飛ばすと思われたとき――どこから流れたとも知れぬ一本の、本当に偶然の流れ矢が深々とウォルスの左眼に突きたった。

 驚くべきことに、ウォルスの身体は馬上でわずかにぐらりと揺れただけであったが、それでもふた呼吸、み呼吸の間があった。

 吼えたてて再度長刀を振りかざした両者の間に、ダゴンの隊三百が強引に割りこむ。混戦となり、両者がたちまち引き離されていく。若きダゴンは自らロダンの愛馬の手綱をとり、馬首を返した。のこされたウォルスの片目が炯々と彼らをねめつけていたのを、振りかえった公子は戦慄とともに記憶している。

 この殿戦でロダンの隊五百のうち、生きて帰ったのは百人をわずかにこえるだけであった。眼も当てられない大敗であった。ロダン自身満身に傷を負い左手の指を三本も失い、敗走中馬上で昏倒すると、そのままひと月もの間、生死の境をさまよったぐらいであるからその激烈さが知れる。

 やがて幽冥の境界からもどったロダンは、その武勇と挺身を称えられ、誰もがみとめるカイネウス最高の武将となった。カイネウスびとは彼を“不死身”と謳い“二本指”の異名で呼ぶようになった。

 また彼と討ちあったウォルスは、大魚を逃がした怒りから左眼に突き立った矢を眼球もろともその場で引き抜くと、再度追撃の命を下そうとしたが、さすがに左右の副将がそれを押しとどめた。彼は左眼を失うはめとなったが、以降、この猛将も“独眼竜”の異名で呼ばれ、ふたつの大陸にさらなる武名を轟かせることとなる。

 戦神アレースの気まぐれな矢は、このベイジンの戦いでふたりの偉大な武人に、後の世まで語り継がれる異名を与えたのだ。


* * *


「お主がここに参り殿下の謀反を告げた時、私はそなたを縛につけ、兵を動かすこともできたのだぞ」

 沈鬱な声でロダンは云う。

「無論わかっております。ですが将軍はそうされなかった。間に合わないとわかっておられたからだ。故に私と約定を結んだ。殿下の企てが頓挫すれば、私は首級を差しだしていた」

「私はこのような約定、守らないかもしれないぞ」

「将軍は守ります」ナボコフは身じろぎもしなかった。「あなたの軽挙は、殿下の掌中の主君のお命は危うくする、そう考えるはずです。武人としておのれに恥じることはいたしません」

「何度も云う。殿下は間違っておられる」

「いかにも、そう云われても否定できない。ですが殿下にはもはや方策はなかった」

「殿下は間違っておられる」ロダンは繰り返す。「これは国を危うくするおこないだぞ。私に不忠者のそしりを受けろと云うのか?」

「ならば将軍、私との約定を破棄し、兵を起こされますか?カイネウスはまっぷたつに割れますぞ」

 ナボコフはわずかに語気を強めた。巌のようなロダンの顔が、深い幽冥の色をたたえた。

「……ナボコフ」長い時間をかけて、ロダンがようやく口を開いた。「公に決して、何があろうと危害は加えぬと……約定いたせ。でなければ、私は殿下に従うことは……できぬ」

 ようやく意を決したロダンの威風は、練兵所の小部屋を満たしてしまうかのようであった。

「アレースの名にかけて、約定は守ります」

 ナボコフは強くうなずき立ち上がると、あらんかぎりの敬意をこめて一礼をした。

 

 ……以上が、カイネウスの禿頭公子ダゴンの謀反――俗に云う「早春宮の乱」の顛末である。

 わずか三十人に満たない手勢で国を簒奪したダゴンであったが、実際その手際は綱渡りのようなものであった。

 後に畏怖とともに、ダゴンの業績が贔屓のひきたおしのむきで語られるような深慮遠謀により成功をおさめたものではなく、王の側の慢心や立場上直裁的に公子の排除に踏みきれなかったこと、公子の暗殺に失敗した風聞など、小さくはあったが彼の側に有利な要素が重なったことも大きい。これらの要素がひとつでも欠けていれば、どのように事態は転んでいたかわからないとみるのが正しかろう。

 また事後についてであるが、露見を恐れてごく少数の者しか引きこんでおらず、周辺への根回しがなされていなかったために、実は直後にその地位が脅かされても、決しておかしくない情勢であったのだ。

 結局もっとも決定的であったのは、ロダンの臣従であった。そのことにより軍の大半をダゴンは掌握することを得た。

 ダゴンは早春宮を制圧すると、その夜のうちにオルニアへとって返した。ロダンへと密書が届いてから半刻ほどしか経ていなかったと云われ、きわめて平穏利に帰還することを得た。同時に十六部族をはじめとする、有力豪族への示威も可能となった。

 しかし当然のことであったが、それでも混乱はつづいた。その後の三年を領内の鎮撫にあてざるをえなかった。最終的にはその三年でダゴンの思惑はほぼ達せられ、北国カイネウスはかつてない強固な基盤を確立することに成功した。無論、それは調略と懐柔と武力による陰惨な抗争であり粛清であり、その陰にはおそるべき数の犠牲者がいたのは事実である。

 ダゴンの意を受け、たち働いたのは、近衛の兵団のような役割を担う立場となったサダナ率いる一軍であり、後に「サダナの戦斧隊」と呼ばれ、ダゴンの首切り隊として恐れられることとなるが……これから語られるいくつかの後日譚は、そこまで時を飛躍せず、乱後の数日のできごとである。


* * *


 手枷のまま入室してきた彼は、上着を剥ぎとられ、肩からくるぶしまでひとつなぎとなった室内着を着せられ、脚元は裸足であった。

 若く端正な顔立ちは、一息に二十も老けたかのようであった。

 室内には着席したダゴンとその背後にナボコフとサダナがいるのみで、ドーレを連行してきた衛兵も、すぐに退室した。

 早春宮の乱からすでに三日が経過しており、この間様々な諸事に追われたダゴンは、ようやくドーレとまみえる時を得た。

「当然、息災とは云えぬようだな」

 ダゴンが無表情に訊ねる。

「すべて、ご存知だったのですね」椅子も与えられないドーレもまた、すべての感情をとりこぼしてしまったかのように訊く。「殿下は……初めから知っておられたのか……?」

「何年の付き合いだと思っている。お前が私に隠し事をしているのは、すぐにわかった」

 ダゴンは脇台の酒盃に手を伸ばしつつ答えた。

「だが知らぬふりをしていた……」

「ああでもせぬと、蛇は巣穴から顔を出してくれぬだろう?」ダゴンはこともなげに「お主のおかげで、父は油断をした。私の行動、すべて察していると思いこみ、私の動員できる手勢をみきわめたと思った上で、安全だと信じたからこそ、私を誘いだすために自分が餌となった。謀略に長けた策士が自らの策におぼれた。お主が父に通じていたおかげだ、感謝するぞ」

「バルドールはすでに懐柔しておられたのですな」

「奴の息子をさらって脅した」淡々と説明をするダゴン。「汚れ仕事はすべてサダナの兵が担った。お主にも知られぬようにな」

「そのようなまねを、されたのですか……」

「卑怯な手だが、他に手段はなかった。やつは自死した。家名はのこす。ドーレ、お主にもせめてそれぐらいはしてやる」

「ナボコフ殿がロダン将軍の抑えをまかされたことも、私には秘されていたわけですな」

「ロダンと真っ向から話せるのは、やつしかいない。父には、あくまで単純な襲撃による簒奪を計画していると、考えてもらいたかったからな」

「私は……私は、利用されただけだったのか……」

 しぼり出すようなドーレの言葉であった。しかし返ってきた言葉は酷薄なものだった。

「そうだ。ドーレ、お主は私と父との確執にもてあそばれたのだ」

「なぜ!どうしてお父君に従ってくださらなかったのですか?」不意に爆発をした。「いかに厭われようと、次の領主はあなたのものであったはずだ。我慢をして、耐えぬけばよかったではございませぬか、それをどうして……どうして、叛意など持たれたのですか……あなたのその身勝手な野望が、私まで巻きこんだ……身勝手だ、あまりに身勝手だ、公もあなたも……私のような地位も力もない者に、一体どうしろと……」

 ダゴンの背後で、ナボコフとサダナがひそかに顔を曇らせるほど、それは激しい怨嗟の声であったが、やがて端正な顔が怒りと屈辱に醜くゆがみ、苦しげに言葉につまってしまう。手枷をはめた両掌が顔をおおい、指の間から嗚咽がもれる。

 ダゴンが目くばせをする。ナボコフがおとなうと、衛兵が入室し、嗚咽するドーレの両脇に腕を差し入れる。

 ドーレが顔をあげた。そして長い嗚咽のはてに顔色は蒼白であったものの、もはや取り乱してはいなかった。抱きあげられるようにして連れ去られる彼の口から、引きつった獣のようにしゃがれた、狂おしい呪いの言葉がほとばしった。

「……どうせ、お父君も弑するのであろう……この……醜い、禿げ頭の、親殺しが……」

 ナボコフですら顔色を変えた一言であった。しかし思わず仰ぎみたダゴンの表情は、やはり冷酷なままであった。すでに王者の孤独がそこにはあった。

 ドーレが連れ去られた室内には、まだ呪いの残滓がただよっているようであった。ナボコフもサダナも言葉が見つからず、座したままのダゴンの後姿を凝視するしかなかった。

 ナボコフ配下の兵が、うろたえた様子で飛びこんできた。ダゴンへの礼もそこそこに、ナボコフへと駆けより耳打ちをする。

「何だと!」怒気をあらわにすると、声を荒げた。「貴様ら一体何をしていた!」

 顔色を失くし、低頭する騎士。

「どうした?」

「……申し訳ございません」狼狽を隠そうともせずに「……公が、逐電いたしました……」

「何――?」

 思わずサダナが叫ぶ。

「どういうことだ……」むしろ平静にダゴンが訊ねる。「どこへ逃げた?誰かがついているのか?」

「逃走の経路はたどれます。国外をめざしているようでございます。ドラン殿下や公妃様はつれておられません。ほとんど身ひとつのはずですが、その……」報告する兵士が言葉をにごす。「どうやら、司法官のコルネリウス殿が同行されているようです」

「何だと?」ナボコフが愕然とつぶやいた。「あの御仁が?一体、どういうことだ……」

「私が追います」

 サダナが剣を取りあげる。

「お、恐れながら……」兵士が慌ててつづける。「手引きした者がいる模様でございます」

「誰だ?」

「それが、その……おそらく……ロダン将軍ではないかと……」

 額に汗をしつつ、躊躇しつながらその名を口にした。

「ばかな……」

 サダナがうめき声をあげた。次の瞬間、ダゴンがすさまじい勢いで立ちあがると、風を巻いて部屋を飛びだしていた。


(つづく)

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