第2話 星標


星が瞬いている。

日も落ちた頃、空に輝き始めた一番星。


「一番星、みーつけた!」


子どもの頃、毎日夕方になるとわたしたち兄妹はこぞって一番星を探した。

やがて辺りは暗くなり、空には星が瞬き出す。


「おとうさんは、いつかあの星まで行くの?」

「お父さんが行くわけじゃあないよ。でも、あの中のひとつの星まで船を飛ばすんだ。」

「その船に乗ったら、あたしもその星まで行けるの?」

「ううん。人間は乗れないけど、星からお土産を持って帰ってきてもらうんだよね?」


幼き日の、わたしたち家族の会話。

わたしたちにとって、おそらく他の家の人たちよりも星空は近く、宇宙とは手を伸ばせばいつかは届く場所にあった。

宇宙よぞらはわたしたちの家であり、星空はわたしたち家族を繋ぐしるべだった。






「小惑星オトヒメの観測ミッションを終え、地球へと戻る日本の小惑星探査機「よだか2」の帰還を1月に控える中、ここ相模原宇宙科学センターでは大気圏への再突入へ向けての準備に追われています―――」


テレビからニュース番組の音声が流れている。

画面に映った、多くの人がせわしなく動くモニターだらけの部屋の様子が目に入って、わたしは


「忙しそう。」


とひとつ、ポツリとそう呟いた。



わたしは配信を終えて、今は晩ご飯の用意をしている。

今日はお母さんの帰りが遅いので、ご飯の用意はわたしの役目だ。

何か手伝いたいと言って始めた料理も、最近は少し板に付いてきた……と思いたい。

もっとも、作れるものはそう多くないのだけれど。





料理をしつつ、先ほどの配信でのことを思い出す。

Vtuber、星隼ひかり。

宙路そあわたしが「お姉ちゃん」と呼ぶ、尊敬すべき大先輩。

わたしがVライバーとなったきっかけであり、目標としている人である。

そあわたしと比べても比較にならないほどのリスナーを抱え、知名度も配信の盛り上がりも段違い。

彼女の配信を思い返してみても、わたしなんかとは次元の異なる、格の違いのようなものを感じてしまう。


「みんな~!おまたせ!!」


配信が始まり、それと同時に流れる大量の来場者の通知。


[来場者スコアが50人を超えました]


そこから、リスナーさん達の入室ログや挨拶のコメントがずらっと並んだ。


[マーティさんが遊びに来ました]

【ひかりちゃんただいま!】

[Alternativeさんが遊びに来ました]

【待ってた!今日もかわいい!】

[C-14さんが遊びに来ました]

【今日もひかりんに会えて、一日の疲れが癒される……】

[宙路そあさんが遊びに来ました]

【お姉ちゃんおかえりなさい!】

「マーティさんおかえり、元気だった?Alternativeオルタさんいらっしゃい、今日もかわいいってありがとう、毎日のことだけど照れちゃうな。14さんおかえり、アオイトリで呟いてたけど、今日もお仕事大変だったの?お疲れ様。あっ、そあちゃんいらっしゃい!今日も来てくれたんだ、嬉しいな。」


流れるような早口で、しかし急いだり忙しない雰囲気を全く感じさせない耳なじみのよい喋り方で、リスナーさん達のコメントを捌いていく。

そして配信開始直後に特有の、山のような挨拶やログへの対応を手早く終わらせてしまうと、まったりのんびりとした居心地の良い空気へとあっという間に変わってしまう。

圧倒的なまでの対応力と、「ここにいたい」と思わせる、配信全体に流れる楽しい空気感。

それがわたしの先輩にして、IMAIRを代表する大人気Vライバー“星隼ひかり”だった。



そんな彼女とのコラボ配信。

あの時は流れで「やる」と言ってしまったが、それがいかに大それたことなのか、どれほどの期待を背負ってしまったのか、今になってその重圧がのしかかってくる。





「ただいまー。」


そうこうしているうちに、家の玄関の方から声が聞こえた。


「おかえり、お母さん。」


キッチンから声を掛ける。

あの声は、パートから帰ってきたお母さんだ。


「今日は遅くなったね。」

「月末だから。処理しなきゃいけない事務仕事がいっぱいなのよ!」

「おつかれさまだなぁ。」


時折、パートの仕事で遅くなるお母さん。

今日は特別遅くなっていたので、忙しかったのだろうと容易に想像がつく。


「ただいま。」


玄関からまた別の声がした。

今度は男の人の声。

この声は兄のノボルだ。


「ノボにぃおかえり!お母さんと同時だったの?」

「ああただいま。駐車場まで戻ってきた時、母さんもちょうど帰ってきてたところだったらしくて。それはそうと、悪いもう一回職場戻ってくる。」

「どうかしたの?」

「今日父さん泊まりになるみたいでさ、着替えとか届けてくるよ。」

「えー!ご飯せっかく作ったのに!」


仕事の関係で、お父さんもノボ兄も泊まりになることはそれなりにある。

でもその場合はあらかじめ分かっている場合がほとんどだから、こんな急に泊まりが決まるなんてことは珍しい。

こうなると、せっかく用意した料理を食べてもらえないわけで、どうしても「先に言ってよ」とは言いたくもなる。


「なら、わたしが届けてくるわよ。ノボルはチヒロと先に食べてて。」

「え、いいよ。今帰ってきたばかりだし、もう一度行って戻るくらい大したことないさ。」

「帰ったとこなのはわたしも同じ。甲斐甲斐しくお父さんに要る物届けて、できる嫁アピールしてくるわ!」


そう言うや否や、有無を言わせる間もなく身支度を整えるお母さん。

わたしの作ったキッシュをひと切れ、タッパーに詰めると「持っていってあげていい?」と尋ねてきたので、わたしは黙ってうなずいた。

他のおかずも手早く弁当箱に詰め込んで、あっという間に夜食を用意するお母さんの姿にはさすがと言うべき貫禄を感じずにはいられない。

お母さんが嵐のようにせわしなく出かけていった後の家には、流れているTVのニュースの音声がやけにやかましく響いて聞こえた。


「がん予防における大きな成果かもしれません。がん細胞の存在を体に負担の少ない簡単な検査で発見することができるとして注目されていた研究の臨床実験が、先日―――」


ノボ兄が鬱陶しそうにTVを消した。


「母さんああ言ってたし、お先に頂いちゃおうか。」

「うん。」


お母さんの分にラップを掛けて、ノボ兄と二人で先に夕食を食べることに。

寂しい気がしないでもないが、それこそ今さらだろう。


「そんなに忙しいの?」

「そりゃあな。よだか2が1月には帰って来るんだし、その準備でバッタバタの大忙しだよ。特に父さん、ただでさえ主任オペレーターなのに帰還後の二次ミッションの計画管理も兼任してるんだからなー。」

「それ、たぶんかなり凄いことなんじゃないの?」

「凄いってか、よくやるよってくらい仕事抱えてる。」


話の内容は多くは分からないけど、ノボ兄たちがとても大変なことだけは分かる。

遥か遠く、小惑星を調査してその欠片を取って戻ってくる国産の探査機。

その一大プロジェクトに携わっている父と兄は、わたしにとってもやはり誇らしくもある。

こんな家族に囲まれてきたからこそ、わたしも星や宇宙について詳しくなれたし、「星の子」を名乗って活動しているのだから。




「で、の方はどうなんだ?」


ふと、ノボ兄がそう切り出した。


「Vtuber、そっちだって大変なはずだものね。」

「ん、楽しいよ。さっきも配信してたの。」

「してたね。通知が来てた。」

「配信通知、入れてるんだ……」


あたしのVライバーとしての活動の一番の理解者がノボ兄だ。

始めるにあたって相談にも乗ってもらったし、配信にも密かに覗きに来てたりもする。

デビューする前には、配信でちゃんと話せるか不安だったから、トークの練習相手にもなってもらったし。

配信通知を入れられているのは流石に恥ずかしいけど……



そんなこともあって、二人になると話題は自然とあたし宙路そあのことになる。

リスナーの誰が誕生日だったとか。

配信で歌を披露してみて恥ずかしかったとか。

最近伸び悩みを感じているとか。

配信を始めて1ヶ月、緊張したし悩んだこともあったが、そういう時に相談相手になってくれたのもノボ兄だった。


「毎日配信ってのも大変だろう?」

「でも、楽しいよ?みんなが話を聞いてくれるし、可愛いって言ってくれるのは恥ずかしいけど……でもやっぱ嬉しいし。」


Vライバーとしての、宙路そあの姿。

プロの絵師さんがデザインし、モデリングしてくれた大切な身体だ。

それを褒められるのは嬉しいし、それが自分の「もうひとつの姿」になっていることに喜びとくすぐったさを覚えている。


「そうだね。可愛いのは間違いない。中身を知ってる身としては不思議な気持ちだけど。」

「何よそれー。それは、わたしチヒロは可愛くないってこと?」

「さあ、どうかな。」


ニマッと笑ってみせるノボ兄。

昔からわりとからかわれてきたから慣れっこではあるけど、こう言われるとやっぱりつい手が出てしまいそうだったり。


「まったく。そのご飯は誰が作ったのか、よく考えて答えること!」

「くっ、こいつめ……ごめんなさい可愛い妹です。」

「よろしい。……ってことにしといてあげる。」


実際のところ私自身、自分に自信があるわけではないのだけれど。

しかしだからこそ、そあの姿でお話しできることが楽しいし、嬉しいのだ。




「いいもん、あたしは宙路そあだから!“お姉ちゃん”にも可愛いって言ってもらったもんね!」

「“お姉ちゃん”。あの子か。」

「そう、ひかり先輩。」


ノボ兄たち実の家族ともまた違う、バーチャル世界で得た新たな家族。

彼女は今や、ノボ兄たちと同じかそれ以上くらいに大切な存在だ。


「たしか、Vになるきっかけになった子だったって言ってたっけ。」

「うん。ひかり先輩みたいになりたいって思ったの。それでね、さっきの配信に来てくれて、今度コラボしようって!」

「へえ、チヒロが誘ったの?」

「ううん、お姉ちゃんから誘ってくれて!正直お姉ちゃんのコラボ相手なんて荷が重い気もするけど、あんな風に誘われたらやるっきゃないっていうか。」

「ああ、何事もチャレンジだ。挑戦してみるのはいいことなんじゃないか?」


ノボ兄も微笑んで頷いてくれる。

迷ったり、困ったりしているときにいつも背中を押してくれるのはノボ兄だった。


「うん。頑張ってみる。」

「頑張りな。応援してるからさ。たまには見てるし。」

「ん、ノボ兄に応援されたら頑張るしかない……!」


見ていると言われ、真っ直ぐ応援されるとさすがに気恥ずかしくなって目を逸らした。

やっぱりノボ兄がいてこその活動でもあるなと、恥ずかしいんだか嬉しいんだかで心が温かくなる気がした。



だからだろうか。

ノボ兄の目に、少しだけ悲しそうな、寂しそうな色が映っていたことに、このときのわたしは気づかなかった。


「でも“お姉ちゃん”か……。まるで本物の“お姉ちゃん”みたいだなぁ。」

「うん、なんだかそんな感じもしちゃってる。不思議な感じだけど。」

「そうか……“ヒスイ”の代わり、みたいな?」


“ヒスイ”……その名前にハッと息を呑む。


「ううん……、代わりになんてならないけど……」

「いや……悪い。深い意味があるわけじゃないんだ。」




天野ヒスイ。

かつてわたしが「お姉ちゃん」と呼んだ人。

わたしの姉であり、ノボ兄にとっては妹だった人。

彼女は、4年前に亡くなった。


「ひかり“お姉ちゃん”。……お姉ちゃんが聞いたら、怒るかな?」

「いや……そんな奴じゃないさ、あの子は。むしろ、「わたしの分もチヒロをよろしく」って言いそうだ。」

「うん……」


わたしは、ひかり先輩に“代わり”を求めていたのか?

否、それは違う。

わたしはわたしで目指すべき姿があって、なりたいものがあってVライバーになったのだ。

わたしの辿り着きたい場所に、ひかり先輩がいた。

だから、彼女はVライバーとしてのわたしの“お姉ちゃん”。

宙路そあのお姉ちゃんなのだ。

彼女は、わたしのみちを照らす星標ほししるべ




「今度、ひかり先輩にもお姉ちゃんのことを話そうと思うの。」

「ああ……それがいいよ。兄貴おれからもよろしくと言ってたって伝えてくれ。はは、できるならいずれ話してみたいもんだな。」

「うん。」


ノボ兄はそうやって、わたしの頭を撫でる。

お兄ちゃんに、お姉ちゃんに……

わたしはこうも、大切な人たちに囲まれているのだと、今更ながらに思った。


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