ひいろのクレープ

大葉よしはる

第一話

1 頭の上に見えるもの

 美堂小学校は下校の時間を迎えていた。大勢の生徒がげた箱から校門に歩いていく。

 有末ひいろも校門に向かっている途中だった。小五にしては背が低くて手足も短いので、早足でも遅いが。

(四月に転校してから一ヶ月たった。いろんな意味で慣れてきたな)

 飼育小屋の横を通ると今日もウサギやニワトリがいて、飼育委員が世話の途中。ひいろはいつも帰りがけにそれとなく眺めている。

 ウサギやニワトリの頭の上に、おかしなものが浮かんでいた。

 蛍光ピンクの葉、太陽のように輝く花、針金のように細くて硬そうな草、など。同じウサギ、同じニワトリでもそれぞれ違う。

 どれも透き通っていて、向こう側が見える。飼育委員がウサギの上に手を動かすと、鳥の羽が生えた花をすり抜けた。飼育委員自身は、そうしたと気づかない。

(どうしてあたしだけはあんなのが見えるんだろう。触れないから、幻なのは間違いない)

 ひいろは物心ついたころからずっとこうだった。

(考えても仕方ないか。どうせ理由なんてわからないんだし)

 黙々と進んで校門を通り抜けたとき、明るい声が追いかけてきた。

「有末さん、今日も一人ですか?」

 ひいろはギクリとした。聞きたくない声だからだ。

 少しだけ目を動かす。横に来た女子は笑顔だが、見ていて安心できる笑い方ではない。余裕をあふれさせつつ空の上から見下ろしている笑い。

 服はかなり派手で、スカートは短い。茶色っぽく長い髪はくるくるしている。地味なシャツとオーバーオールばかり着て髪も首の後ろでまとめるだけのひいろとは大違いだ。

「バ……馬場さん、何か用?」

 ひいろは目を前に戻しながら答えた。

 現れた女子の名前は馬場ネネ。

 男子に付けられたあだ名はバネバネバで、ひいろはそちらを呼びそうになった。いつも髪がバネのようにびょんびょんしていて、誰かが頭に触ったら整髪料でねばっとしていたので、そのあだ名になったらしい。

 バネバネバはひいろの考えに気づいていないよう。余裕にあふれたまま話し続ける。

「友達ができないのも仕方ありませんね。あなたと来たら、ちっとも人に溶け込もうとしないんですから」

 ひいろが何気なく辺りを見ると、クラスメートが何人かいた。初めて同じクラスになってよそよそしかったのに、今は楽しげにふざけ合っている。あの調子では、帰り着くまでにかなりの時間がかかる。

 一方、ひいろは教室を出てからずっと前に進むだけ。

(前の学校にいたころと変わらない。きっとこれからもずっとそう)

 ため息をつく気にもなれなかった。バネバネバは構う様子もない。

「でも大丈夫です。いくらあなたが変な子でも、わたくしが友達になってあげます!」

 ひいろは答えず、足を速めた。背が高くて足も長いバネバネバは、簡単についてくる。

「同じ幼稚園だったわたくしがクラスにいて、ついていましたね!」

(転校した学校のクラスにこいつがいたこと……それがあたしにとって一番ついてないことだよ。席も近いし)

 ムカムカしながら歩いていると、道にとまっている車が見えた。白く、ひいろの親が使っているものより一回り大きい。メガネのおじさんが中にいて、バネバネバに手を振る。

「パパ、ピピ君、お待たせ!」

 バネバネバが駆け寄ると、後部座席の窓から小さな犬が顔を出してキャンキャンいい始めた。白くてモコモコのプードルだが、白さもモコモコさもわかりにくい。

 体中に数えきれないほどのリボンを付けられているからだ。色や模様はちぐはぐすぎる。真っ赤なリボンの隣に青い水玉リボン、その横にピンクの……という具合。

(あたしたちが幼稚園に通ってたころは、こんなリボンまみれじゃなかったんだけど)

 バネバネバは、ピピをなでながらひいろに振り返った。

「有末さんも送ってもらいませんか? 同じ幼稚園だとパパに話したら、なつかしがっていましたし」

「前もいったけど、あたし動物が苦手だから」

 ひいろは車の横を通り抜けながら答えた。頭の中で考えていることは違うが。

(ペットと一緒に帰るなんて楽しそう! ああもうバネバネバってばあんなにリボンを付けるなんて、モコモコをバカにしてる!)

 モコモコしていない犬も好き。猫もハムスターもウサギも何でもだ。部屋のカレンダーも、いろいろな動物の写真が印刷されている。

(上に変なのが浮かんでなければ、かわいさをもっと楽しめるのに)

「まあ、残念ですね」

 バネバネバは驚いた顔になった。かなりわざとらしいが。

「それで、今日もピピ君の上には何か浮かんでいるんですか?」

 背中に問いかけられたひいろは、足を止めてしまった。

「……だったらどうなの」

「ピピ君の上には何もありませんよ!」

 バネバネバは、漫画やアニメのお嬢様キャラのように高笑いした。

「おかしなものが見えるのなら、病院へ行った方がいいですよ! 電気ショックで治したり、頭をパイナップルのような輪切りにして検査したり!」

 ピピまでキャンキャンいうのを大きくする。ひいろはまた足早に進み始めた。

(飼い主が楽しげだから嬉しいんだろうな。よくあんなのに何年もなついてるよ)

 ドアの閉まる音がして、白い車はひいろを追い抜いて走り去った。開けた窓から「ごきげんよう」といったバネバネバはピピを抱っこしていて、ピピの上には白いアサガオ。花びらの縁だけが赤く、ぐにゃぐにゃのツルにいくつも咲いている。

 眺めている途中で、電線に一羽のスズメが見えた。その上に浮かんでいるものは、ハサミの形をした葉。少なくとも、ひいろの目にはそれらが映った。



 ひいろは歩道を無言で進んだ。ガードレールの向こうにある車道では、車が乾いた音を立てながら行き交う。バネバネバのせいで重くなった気分は、より重くなっている。

(今日に限って、どうしてこんなにいろいろすれ違うの)

 飼い主と散歩中の犬、雑貨店の入り口に座った看板猫、動物病院へ連れていかれるのかキャリーケースに入れられたウサギ。

 どの動物の上にも、浮かんでいるものがぼうっと見える。白黒しましま模様の花、ウロコのような模様の葉、リボンのようなものをいくつも付けた草、など。

 何もない動物は珍しい。どこかからスズメの鳴き声がいくつか聞こえたが、その上にあるものをいちいち観察する気は起きない。

 幼稚園に通っていたころのひいろはそれがおかしいと知らず、あの犬は花を持ってるとかあの猫は葉っぱを持ってるとか友達に話していた。

 しかし、だんだん自分だけだとわかってきた。黙っていた方がいいともわかってきた。

 誰にも話さないよう親にいわれたり、大きな病院で面倒な検査をいくつもされたりしたからだ。「あの犬の上には何もない」というのは、ひいろが覚えているかぎりで最初の嘘だ。

 引っ越す前の学校では静かに暮らして、同じ幼稚園だった生徒がひいろだけに見えるもののことを早く忘れますようにと願っていた。嫌いな勉強もギリギリ普通といえるくらいはできるように頑張り、よくも悪くも目立たなくした。

 引っ越す話が出て、前からの知り合いがいなくなれば気が楽になると思った。小学校卒業まで待とうかと親にいわれても断わり、春休みのうちにこの町へ来た。

 しかし始業式の日、クラスで自己紹介する前に「あなたは同じ幼稚園だった有末ひいろさん!」とバネバネバが叫び、出鼻をくじかれてしまった。

(ああもう、バネバネバのことを思い出したら余計に腹立ってきた! 見えるものは見えるんだから仕方ないじゃん!)

 その辺りにあった石ころを蹴飛ばしてみた。ちっとも気が晴れない。

(バネバネバがいなくても同じだったかもしれない。どうせみんなあれが見えないから、本当のことを知ったら変な人扱いしてくる)

 幻のことを話す生徒はバネバネバ以外にいない。バネバネバはひいろがどういう幼稚園児だったのか他人に明かしていないようだ。

(誰もあたしが悩んでるってわかってくれない。相談しても変だって思われるだけ。あたしの居場所はどこにもない)

 ひいろはそう思うと、他の人と必要以上に仲よくしたくなれない。

 兄弟もいないので学校の行き帰りは一人だし、春・夏・冬休みも一人で過ごす。学校行事のとき限定で適当にクラスへ混じるのは、その方が普通っぽく見えると考えているからだ。

 誕生日パーティーは家族だけでする。いくらかはれもの扱いでも親が優しくしてくれることは、ひいろにとって不幸中の幸いだった。家でも学校でも人と打ち解けられなかったら、コミュニケーションそのものが苦手になっていただろう。

(早く帰って気分転換に本でも……え?)

 ひいろは奇妙なものを見て立ちすくんでしまった。

 また電線にスズメ。それ自体は普通だが、やけに多い。

 ざっと数えても二十羽はいる。夕方なら増えるが、まだそこまでの時間ではない。

(あんなにいると、何だか変な感じ。みんなこっちを見てるみたいだし)

 隠れ動物好きも状況によりけり。ひいろは駆け足し始めた。自宅のマンションは、もう目の前に見えている。

 一階が喫茶店。真新しい看板には〈ビューティフルスカイ〉の名前。ひいろはその下にあるドアへ飛び込んだ。



〈ビューティフルスカイ〉で働いているのはひいろの両親。引っ越してきたのはここで喫茶店を始めるためだ。

 親はひいろの様子を見て驚いたようだった。しかしひいろは平然とした顔を作り、「おかえり」といった。スズメの話をしても心配させるだけだと思ったからだ。

 すぐ外に出るのは嫌だったので、早めの夕食としてカレーを食べた。それから三階の有末家へ上がって自分の部屋に入ったが、動揺はふくらむばかりだった。

「店から出たときも、スズメが増えてたような」

 嫌な予感がしたひいろは部屋のカーテンを開けて、飛び上がりそうになった。

 ガラス戸の先にベランダがあり、柵の向こうにある電線でスズメがずらっと並んでいた。

 それぞれの上に草花が浮かんで見える。しかしスズメが群れていること自体おかしすぎる。とりあえず、カーテンを厚い方までしっかり閉めた。そうすれば外が見えない。

(いつもなら本を読んだりするけど、こんなんじゃ落ち着けないよ)

 ひいろはランドセルを放り出してベッドにもぐり込んだ。

(夜まで寝ちゃおう。鳥なんだし、暗くなったらいなくなる……よね?)

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