彼女に振られるといじらしくてかわいい少女を養う事になるらしい

ネコクロ

第1話「彼女に振られた後に待っていたものは」

「――別れましょう」


 久しぶりに迎えたデート当日の朝、付き合って五年目になる彼女から最初に発せられた言葉はとても衝撃的な物だった。

 本当ならこれから楽しく遊園地デートのはずだったのに、今この場を支配しているのは和気藹々とした雰囲気ではなくピリピリとした重たい雰囲気。

 彼女が冗談ではなく、本気で言ってるのがわかった。


「なん、で……?」

「なんで? 決まってるでしょ。いつもいつも口を開けば仕事仕事仕事! 今日のデートだって二ヵ月ぶりよ!? そんなに仕事が好きなら仕事と付き合えばいいじゃない!」


 社会人の男女がする別れ話では定番な台詞を吐く彼女。

 仕事の忙しさにかまけ、今までずっと我慢させてしまっていた事が今更ながらにわかる。


「ごめん……今度からはもっと――」

「――もういいの」

「えっ……?」

「私を好きだって言ってくれる人が現れたから、その人と付き合う事にした。だからあなたとはもうおしまい」

「えっ、あっ……」


 あまりにも唐突な展開に言葉が出てこなかった。

 四年も付き合っていたのだから、俺たちはこのまま結婚するものだと思っていた。

 少なくとも破局する場面など想像した事がない。

 だけど今、現実で、彼女に新しい彼氏が出来たから別れようと言われている。


 今まで辛い仕事を頑張れたのも彼女がいたからだ。

 俺が頑張って出世する事で将来彼女を楽に出来ると思ってきた。


 俺、今までなんのために頑張っていたんだ……?


 この時、俺の中で何かが壊れた感覚があった。


「ばいばい」


 彼女はそれだけ言い残すと、もう俺など存在しないかのように気にせず立ち去ってしまった。

 呆気ない終わり。

 俺の中に残ったのはただの喪失感だけだった。


 周りに視線を向けてみれば、駅に入る人たちが俺をチラッと見て罰が悪そうな表情を浮かべると視線を逸らして中に入っている。 

 駅前で振るとは彼女も中々酷い事をしてくれたものだ。

 おかげで変に視線を集めてしまっている。


 とりあえずこのままだと悪目立ちをしたままになるため、俺は重たい足を無理矢理動かす事にした。

 その際に、一人の少女が俺の事をジッと見つめている事に気が付く。

 長く伸ばされたクリーム色の髪に、日本人とは思えないほどの白く綺麗な肌。

 スラリとした手足をしているにもかかわらず、出るところは出るという多くの女性が望んでいるであろう体型。

 何より、パッチリとした目や筋が通った鼻、顔を形どるパーツが綺麗に整った顔は、美少女と呼ばれる要素を全て秘めていた。


 普段なら見惚れてしまうほどの美少女かもしれない。

 だけど、今の沈んだ気分では彼女でさえ景色の一つでしかなかった。


 俺は視線を外し、ブラブラと街中を歩き始める。

 家に帰る気にはなれない。


 きっと今家に帰っても無気力に座り込むだけになるし、彼女の顔がチラついて苦い気持ちが沸きあがってくる。

 だから外の空気を吸って気分を変えたかった。


 ――しかし、目的もなくうろついていても気が晴れる事はない。

 むしろ時間が経つたびに彼女の顔が頭をチラつき、余計に酷い気分になってしまった。


「あれ、あの子は……?」


 お店を出ると、先程見かけた人目を惹く美少女がまた立っていた。

 そしてさっきと同じように俺の事をジッと見つめている。


 偶然?

 たまたま行くところが同じだったのだろうか?


 俺を見つめているのは、さっき振られた光景が印象付いているのかもしれない。

 嫌なところを見られた事を負い目に感じた俺は、少女から視線を外して逃げ去るようにその場を後にした。


 ――だが、行くところ行くところでなぜか少女と鉢合わせしてしまう。

 その度にジッと俺の事を見つめてきているのだが、近寄ってくる気配は一切ない。

 偶然にしてはおかしい気がする。

 しかし、見ず知らずの俺に用事があるとも思えない。


 本当にたまたま鉢合わせしただけなのだろうか……?


 さすがに何度も鉢合わせをした事で、俺の中には疑問が浮かんでいた。

 だけど心当たりもなく、きっと偶然が重なっているだけだろうと思い直し、俺は別の店に足を向けて歩み始める。


 結局俺は意味もなくいろんなお店をぶらつき、無意味に時間だけを浪費させた。

 折角の休日に何をしているんだろう、と一人悲しくなってくる。

 最悪だったのは全国にチェーン店がある有名なカフェを訪れた時だ。

 休日というのもあってか、和気藹々とするカップルがたくさんいた。

 普段なら仲睦まじい光景に温かみを感じるのに、今日だけはとても胸が痛んでしまう。

 今は仲のいいカップルを見ると毒でしかない。


 何処に行っても気分が悪くなる一方だった俺は、気分転換も兼ねて真っ昼間から開いている居酒屋に行く事にした。

 居酒屋なんて行くのは久しぶりだ。

 俺はあまり酒を飲まないため、人付き合いがなければまず訪れない。

 自棄やけになって酒に溺れようとするのなんて初めてだった。


 もう今日は一日飲んで終わらせよう。

 全てが嫌になっていた俺は、居酒屋のメニューを眺めながらカクテルと手当たり次第に食べ物を注文するのだった。



          ◆



「――ちゃん、兄ちゃん。そろそろ店じまいだよ。お会計を済ませてくれや」


 野太い声と共に体を揺すられた俺は、重たい目蓋をゆっくりと開ける。

 声がしたほうに視線を向ければ、ガタイのいいおじさんが迷惑そうな表情で俺の顔を見下ろしていた。


 どうやら俺は知らない間に寝てしまっていたようだ。


「すみません……お会計を……」

「おいおい、足取りがフラフラじゃねぇか。大丈夫かよ」

「だ、大丈夫です……」


 俺はふらつく足取りでなんとかレジに向かい、財布を取り出してお金を払おうとする。

 よほど飲んでいたようで額に驚いたけど、酔いが酷いのかすぐに気にならなくなった。

 お金を払い、心配そうにこちらを見るおじさん――店長の視線を背に受けながら外に出る。

 今の季節は夏だというのに、外に出ると夜風がとても気持ちよかった。

 このまま風に当たりながら寝てしまいたい。

 そんな思いが込み上げてくるけど、さすがにこんなところで寝てしまうと通報されかねないため、渋々家に帰る事にする。


 今日は朝から本当に最悪だった。

 まさか四年も付き合っていた彼女に振られるだなんて思いもしないじゃないか。

 仕事を優先していたのは認めるけど、それも彼女のためだったと理解してほしかった。

 それに、不満があるなら言ってくれればよかったのに。

 そしたら破局する前に俺も気付けて、どうにか出来たかもしれない。

 俺は普通の人間なんだから言ってもらわないと彼女がどう思ってたかなんかわからないんだよ。


 酒が入っているせいか、俺は元カノになってしまった女に対して文句がたくさん出てきた。

 もうここで、ふざけるなと叫びたいくらいだ。

 どうして俺がこんな思いをしないといけないのか、と怒りがフツフツと込み上げてくる。


 ――そんな時だった。

 彼女が、俺に話しかけてきたのは。


「彼女に振られて傷心中のお兄さん、ちょっといいですか?」


 いきなり俺の前に回り込んできて、悪気のない笑顔で少女が声をかけてきた。


 なんだ、こいつ?

 と一瞬疑問が浮かんだが、ボヤける視界に映る少女の顔に見覚えがある事に気が付く。

 先程まで事ある毎に鉢合わせをしていた美少女だ。

 まさか声をかけられるとは思わなかった。


「いきなり……凄く失礼な……奴だな……」

「わぁ、めっちゃ酔ってますね。大丈夫ですか?」


 どうやら俺は、平気で失恋について触れる無神経な子に心配されるほどやばいらしい。

 というか、目が回って気持ち悪かった。

 慣れない酒を飲みすぎたせいだろう。


「大丈……夫……」

「いえ、全然大丈夫に見えませんけどね」

「気の……せい……」

「なんで強がるんですか。あぁ、もう、仕方ないですねぇ――ほら、掴まってください」


 おぼつかない足取りでフラフラしていると、何を思ったのか急に美少女が肩を貸してくれた。

 初対面――ではないのか。

 だけど話した事もなかった子に急に支えられた事で頭がパニックになった。


「えっ、いや、何してる……の……?」

「倒れられても困るので、とりあえず支えてみました。お兄さん、見た目の割に重いですね」


 ほとんどの体重をかけてしまっているせいか、美少女はからかうように重たいと言ってきた。

 随分と馴れ馴れしい子だ。

 所謂、陽キャという奴なのだろう。

 なぜ俺はこんな子に現在進行形で絡まれているのだろうか?

 とても不思議な状況にやはり頭が混乱してしまう。


「こんなに酔うなんて、そんなに振られた彼女さんの事が好きだったんですか?」

「君……なぁ……もうちょっとこう……言葉を考えてくれ……。振られたんだから……ショックを受けて……当然じゃないか……」

「ふ~ん」


 人の傷口に平気で塩を塗る少女に文句を言うと、興味なさそうな表情をされた。

 自分から聞いておいてこの反応は酷くないだろうか。

 酔っぱらいをからかって遊んでいるのかもしれないけど、酔っている今でも心が痛いぞ。


「――ねぇ、お兄さん」


 心の中で美少女に文句を言っていると、美少女がかわいらしい笑みを浮かべて俺の事を呼んできた。

 何かと思って視線を向けると、美少女は楽しそうに笑顔で口を開く。

 ――そして、とんでもない事を言ってきた。


「慰めてあげますから、私の事養ってください」


 唐突に発せられた言葉。

 普通なら悪ふざけだと捉えるような内容だ。

 だけど笑みを浮かべて俺の顔を見つめる彼女の瞳には、確かな強い意思が秘められていた。

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