独りで生きる

ヨータ

つまらない生き方について

 あまり仕事というものが好きではない。今の仕事がというわけではなく、労働そのものについて、僕はあまりむいていないのだなと思うことがよくある。

 けれども働かなければ生きてはいけない。運悪く、あるいは運が良く、事故や病気に遭遇しなければあと三十年は生きるだろうし、生きるということは金がかかるものなのだ。それが嫌なら野垂れ死ぬか、親切で裕福な何者かに養ってもらうしかない。僕にはそんな奇特な人物を探し当てる才覚はないし、野垂れ死ぬのも嫌なので、仕方なく怒りや不満を飲み込んで働き続けている。

 数少ない救いは、様々な苦痛が年をとるとともに少しずつ薄らいでいるということだ。年をとるというのはおそらくは鈍感になるということなのだろう。目が悪くなり、耳が悪くなり、そして何より感受性が衰える。映画や小説に、高校生の頃ほど感動することがなくなったように、痛みや苦しみ、怒りや憎しみといった感情に対しても鈍感になる。

 それでもときおり、耐えがたいほど嫌なことは起きる。誰かの裏切りや、心無い仕打ちや言葉。そんなとき僕は、目の前の嫌な出来事が去るまで、心を閉ざし、口を噤んでじっと待った。終わらない冬がないように、そういう悪意や不運もいつかは去るものだ。そんな経験をするたびに僕の心はますます潤いを失い、鈍感さを増していった。

 僕の人生は現在進行形で色彩を失っていく。けれどもそのこと自体あまりに気にかけなくなる。モノクロ写真を遠くから見れば、違いがわからなくなるように、僕自身の生き方と、他人の人生にどれほどの違いがあるかわからなくなっていく。

二十代後半の頃から、僕はそのように心の弾力を失っていく自分を自覚していた。人から理不尽な扱いをうけようとも、以前ほど腹を立てることが少なくなり、友達や恋人がいなくとも一人の時間を潰す方法はたくさん身に着けた。様々な人に会い、多くの出来事を経験しても、良くも悪くも心を動かされることが少なくなり、何一つとして僕の中に残らなくなった。ただ無為に時間が流れ、何もかもが僕の目の前を過ぎ去っていく。苦痛が少なく、同時に喜びもなく、何も残らない。そのようにして僕は間もなく二十代を終えようとしていた。

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