第1章 角姫 2
角姫達が退出し、ようやく静かになった一室で一息ついた高衡がふと気が付いたように前庭を見やった。
「雪が降り出しそうな空じゃな」
曇天の冬空は鉛色に厚く、俄かに気温も下がってきたようである。
「簾を下ろしましょうか?」
主に問いかける雪丸に、「いや、このままでよい」と高衡が答え、戸口の方に歩み寄る。
「この冬は、まだ雪を見ておらぬ」
外を覗くと、裸木にそよぐ風も穏やかな冬の夕間暮れである。
冬空を見上げ暫し物思いに耽る主の背中をじっと見つめていた雪丸が、フと端正な顔に冗談めかした色を浮かべ口を開く。
「殿が礼装にその太刀を佩かれ式典に参られるのを見て、いよいよ我らの宿願を果たしてくださるのかと胸を躍らせておりましたのに」
「はは。角殿にも言うたが今日は特別な日じゃ。だからこそこの太刀を佩いて佐殿へ最後の御目通りに参ったのじゃ」
寂しそうに笑いながら、先程まで角がベタベタに羨ましがった太刀を取り、金打を示すように半ば刀身を冬の空に透かして見る。
「……身共も、今以て信じられぬよ」
冬の空と同じ色の刃を見つめながら、冷たい刃身に映る己の顔に向けて呟いた。
「――あれほど心底憎んでいた頼朝の下に、十年も居座ることになろうとは」
刀身の鏡の中に、在りし日の自身の面影を探してみるが、重なり浮かぶのは先に逝った親しい者達の姿ばかり。
「雪丸よ」
「は」
「段々と下の兄に似てきておるような気がせぬか?」
「そっくりでございますよ。時折眉を顰めているところなど、御館様を思い出しまする」
にっこりと笑いながら雪丸が答える。
「こうして殿の御背中を見ていると、忠衡様や紘子様の御伴に柳之御所へ参上した在りし日々が目に浮かぶようでございます……」
語るうちに声を詰まらせ、雪丸が顔を伏せた。
「同じ母上から生まれた国衡兄よりも、別腹の泰衡兄に面影が拠るとは。……皆死んでしまい、身共とお前だけが残ってしまった」
ぱちり、と音を立てて刀を鞘に戻し、奥州藤原氏泰衡兄弟最後の生き残りとなった藤原四郎高衡は、もう一度寒々しい冬の夕空を見上げる。
「……今宵初雪が降れば、涙雪になるかのう」
この数日前、建久一〇年(一一九九)一月十三日、征夷大将軍源頼朝が急逝した。享年五十三歳とされる。この日は、その葬儀が執り行われていた。
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