#9 何もいらないよきっと
「ねぇ
「えっ、またぁ?!……う、うーん…………」
彼女は私の顔を覗き込み、途端にニヤニヤし始めた。
「あっ! なんかいつもと反応が違う! 何悩んでんのよ〜私に言ってみなさいよぉ、言ったら楽になるよ〜」
「や、やめてよ夕菜、刑事みたいな真似」
「へへっ。だって環とついに恋バナできるってなったらさ、やっぱ気になるじゃん〜! 何組の子? 名前は?」
「何よもう、矢継ぎ早に……」
何組? って言われても、この高校にいないし。多分。
名前は? って言われても、知る由もないし。絶対。
高校生になってから、幼馴染の夕菜は恋バナばかりしようとする。
夕菜は入学してからというもの、ずっと同級生の
……あんな思いやりのない奴、やめときゃいいのに。可愛い夕菜が付き合えても、不幸になるだけ。麗央の女子への言動を見ていれば、すぐに分かるのに。私は夕菜が泣くのを見たくない。
でも、頑固な彼女は言ったって聞きやしない。もう10年以上の付き合いになれば、そんなことはすぐに分かる。良く言えば一途、悪く言えば強情。
イケメン! ほんと好き! と私に言ってる割には麗央にアタックする気配がなく、いわゆる「ファン心理」しか働いてなさそうである。
そんな彼女は自分ばかり麗央の話をして申し訳ないと思っているのか、私にもしきりに恋バナを振ってくる。けれど、入学して3ヶ月で色恋に走るほど、私はアクティブではない。恋愛なんて概念は太陽と海王星の距離くらい、私にとっては遠いものなのだから。
好きな人、ねぇ……。
性格とか価値観が割と異なりながらも何だかんだで気が合う私たちだけど、恋愛に関しては真逆。思いっきり逆。清々しいくらいに逆。
人の良い面を見てもときめいたことなんてないし、一目惚れだってない。
……と、思ってた。先週の土曜日までは。
「名前……わかんないの」
「え?」
「近所でぶつかった金髪の、30代くらいの人に、多分、一目惚れ、した……かも」
「え?! ちょ、ちょっと待って環、あんたチャラ男が好きなの?!」
「いやチャラくないってば」
必死で否定してるのに、夕菜はしたり顔でいる。
「はぁーん、環ちゃんは年上男子が好みなのねぇ。ねね、今週も同じ場所に行ってみなよ。また会えるかもよ?」
「あ、会えるわけな」
「会えるってきっと! ね、会えたら声かけてみなよ。名前知らないなんてもったいないよ。チャンスは逃しちゃダメだよ」
「あのねぇ夕菜。あんたその割には全っ然告る気ないじゃん麗央くんに」
精一杯の皮肉を込めてみたが、彼女には届かなかったようだ。空を見上げて悟ったように私に言った。
「私はいいの。新しい恋愛を見つけたのよ……。眺めてるだけで満足、それ以上は望まないってスタイルを。てか一緒に恋バナしようよいい加減! もう私待ちきれないんだけど!」
「いや待ってなくていいから! タイミングってのあるし!」
もーう、何よタイミングって! と頬を膨らませ、夕菜は私と違う教室に戻っていった。
次の土曜日、私は先週と同じ道を歩いていた。
半信半疑で私は親友の言葉に従ってみることにした。……たまには頑固な彼女の意見も聞いてみるもんだ。
金髪だから、よく目立つ。なぜ惹かれるのか分からないけど、とにかく目は彼を追い続けていた。
軽く尾行して、けど、追いつきそうになっても声なんてかけられるはずがなかった。私も夕菜みたいに眺めてるだけで満足、なのかもしれない。
そう思っていたら、クラクションの音がした。
目の前にいたはずの初恋の人は、いなかった。
私はなぜか前に進むことができなくなって、思わず踵を返してしまった。
翌日、何か手がかりがあるかもしれないと思って地方版の新聞を見た。
私がいた場所で、事故が起こっていた。彼は突然道に飛び出した、見知らぬ子どもを助けようとしたらしかった。
「環、結局会えたの? 彼とは」
所持品がなく、身元不明。
「ねーえ。声、かけられた? どうだった? 昨日LINEしたのに返信くれないんだもん! 気になるんだけど!」
なおも黙る私を見て、夕菜は心配そうな顔になった。
「環……? どうした、何かあった?」
名前も何も分からない人。
たった1つ分かったのは、勇敢な人だということ。それだけ。
でも、それだけで良いのかもしれない。
名もなき彼が命をかけて子どもを守ったことは、私がちゃんと覚えている。
彼をちゃんと見れたのはほんの一瞬だったけど、素晴らしい人を好きになったんじゃないかと思う。
「夕菜。新しい恋愛、いいかもね」
「え?」
「恋愛にさ、名前とか、所属とか、何もいらない気がする。眺めてるだけで良いっての、ちょっと分かるかも」
夕菜以外の人間を好きだと思えたことは、今までなかった気がする。
人を人として好きになることが、なぜかずっとずっと難しかった。恋愛対象として意識することは、もっともっと難しかった。
でも自由でいいんだと思う。私は初めて、ときめきのある感情を抱いた。
名前を知らなくったって、まともに声を聞いたことがなくったって、相手の視界に自分が入ってなくったって、いいんだと思う。
きっと、相手がこの世にいなくても、いいんだと思う。
「でも、初恋にしてはちょっとハードル高かったかもな」
あなたの話を、親友にしてもいいですか。
かっこ良くて、勇気あるあなたの話を。
よく晴れた空を見上げて心の中で尋ねたら、わずかな風が髪を揺らした。
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