返還
『全くッ! 話になんねえぜ!!!』
グリステルが遣いに出した大柄の豚男は、帰って来て馬を降りるなりカンカンに怒った様子で水桶を蹴飛ばした。
「ザジ。何があった。デック・アールブとは。ドワーフの頭領とは会えたのか?」
『いいや。会えてねえ』
「どうしたと言うんだ?」
『どうもこうもねえよ』
グリステルは乗馬用の革のズボンにエルフたちから貰った織物のシャツという姿で、愛馬ダークネスにブラシを掛けている所だった。
エルフの隠れ里、リョーサルムヘイムの入り口、「隠された門」のすぐ側に小屋を借りて、ザジとグリステルは共同生活をしていた。
彼女は革の水袋をザジに手渡し、ザジは豚の覆面を着けたまま器用にその口を咥え込んで水をごくごくと飲んだ。
三ヵ月ほど前、グリステルとザジは影の民の追っ手から逃げる途中、廃坑の通気穴を踏み抜き、魔窟と呼ばれる邪竜の住処に滑落したのだった。洞窟の中でエルフの少女と出会った二人は彼女を助けたが、彼女こそリョーサルムヘイムに吹き荒れた謀反の嵐から逃げ延びたエルフの姫君で、色々あって今は彼女たちエルフの、乱れた国の平定を手伝う用心棒兼相談役のような立場に収まっていた。
『デック・アールブは留守だった』
「留守?」
『鉱脈を探しに出ているそうだ。居たのは留守番。気難しい穴蔵の髭付き樽だけ』
「行き先は?」
『それは教えられないとさ。芋ばかりの暮らしで食べ飽きた、何か美味いものでも手土産に寄越せと来たもんだ』
グリステルとザジ、ティタが迷い込んだ「魔窟」は、かつてはドワーフたちの住まい兼採掘場である大坑道だったのだ。そこに数十年前から邪竜と呼ばれる巨大な蛇が住み着き、また温泉を利用した仕掛けによって年中通して温暖な環境からか沢山の蛇が湧いて住めなくなっていたのだが、グリステルは仲間と協力して邪竜を倒し、魔窟の新たな主人となった。
『もういいんじゃねえかグリシー。折角の金の鉱脈だぜ。他人嫌いのモグラたちに返してやるこたねえよ』
「…………」
『時間は掛かるかもしれねえが、坑道の仕掛けは順に調べて、金の採掘と精錬は人を雇おうぜ』
そう。坑道の奥底は金の鉱脈のようで、更に調べれば調べるだけ様々な施設が入り組んだ洞窟のあちこちに眠っていて、この坑道全体が息を吹き返せば、グリステルたちにもエルフたちにも多くの恩恵を生み出しそうではあった。
大坑道の新たな主人であるグリステルは、それをそっくりドワーフたちに返したい、とその方法を模索しているのだ。
東の岩山にかつてドワーフの十二氏族の評議員であったというデック・アールブという老人が居るとのことで、ザジを遣いに出して交渉の場を持とうとした彼女の計画はしかしいきなり頓挫の兆しを見せていた。
「確かにその手もある」
『そうすりゃ、金は丸々俺たちのもんだ。それでいいんじゃねえのか?』
「しかし、あの坑道はそれだけじゃない。ザジにも分かるだろう。商店や床屋。温泉に教会。それに墓地。あの坑道は、彼らドワーフの城であり、街であり、歴史そのものだ。なんとか彼らに返したいのだ」
『…………』
「それに、仕掛けの分からない坑道を使い続けるのは危険なようにも思う。例えば、侵略者を一気に殲滅するための最後の手段のような罠が、動く状態のまま眠っているかも知れない」
『そりゃ、そうだけどよ』
「種族としてはザジの方が近いからと思って行って貰ったが、とりあえずモグラ殿たちの頭目の居場所くらいは知っておきたいものだな」
グリステルは少し考えるそぶりをしてから言った。
「次は、私が行こう」
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