嵐がつないだ五分間
石田空
嵐がつないだ五分間
『今日の正午からは、台風が本土に接近しますので、割れやすいものは屋内に避難させ、できる限り外出は控えてください──……』
チャンネルを切り替えても、どこも台風の上陸ニュースしかやってなくって、結局はテレビを消してしまった。
とっくの昔に警報は出ているけれど、お父さんもお母さんも公務員で、仕事の関係で夕方まで帰ってこられない。出かける前に何度も何度も口酸っぱく「今日は雨戸を閉めて、絶対に外に出ないように」と言っていた。
でもなあ……。私は未だに雨戸を開けっ放しの窓の外を見る。窓の外はあまりにも綺麗な青空で、本当に台風って来るのって感じ。マンションの階下からは、近所の臨時休校になってしまった小学生が遊んでいる声まで聞こえてくる。
スマホでも弄ろうとしたものの、そういえば修理に出していたということを思い出して、手が止まる。時間を潰す手段が見つからないで途方に暮れていたところで、そういえば好きな俳優さんが出る雑誌が、今日発売だったことを思い出した。
もう一度窓の外を見るけれど、まだ雨も風もない。ニュースを見てなかったら、台風なんて信じられないくらい。
今のうちにコンビニに行ってこよう。ついでに昼ご飯になにかを買って。私は本当に軽い気持ちで、財布と鍵を持って出て行った。
家を出たところで、隣の家からガチャンガチャンと音がするのに気付いて、廊下を見る。背が高い上に、前よりも体付きがしっかりとしてきたような気がする。
私がぼーっと見ていたのに気付いたのか、彼はこちらに振り返った。私が覚えているよりも、精悍な顔付きになっていたところに、ドキリとする。
「あれ、ナナも学校休み?」
「そ、そりゃ警報出てるから、休みだよ」
「そりゃそうだよなあ。あれ、家のもんもう家の中に取り込んだん?」
本当に久しぶりに口を聞いたのに、あまりにも当たり前のように声をかけてくるのに拍子抜けする。
実のところ、隣の大和くんのことを見るのも、しゃべるのも、中学卒業して以来だった。
「う、うん……台風でもお父さんもお母さんも仕事休めないから、昨日のうちにやっちゃった。そっちは? おじさんとおばさん……」
「うーん、親父もお袋もインフラ系だから、今日は会社に泊まり込みだってさ。だから頼まれて家ん中に入れてんの。でもナナ、どこに行くん? 台風、正午からだって言ってたけど」
そう言われて、私はあははと笑う。
「台風来ない内にコンビニ。じゃあね」
「おう、気を付けてー」
「ありがとー」
私はペコンと頭を下げると、足早にその場を後にした。心臓がドッドッドッと音を立てている。
久しぶりだったぁ……大和くん、私の記憶よりもどんどん格好よくなっていくから。
元々同じマンションの隣に住んでいたもんだから、保育園から中学までずっと一緒という、幼馴染だった。
でも高校が違った。大和くんは推薦入学を決めて、朝早くから出ないと間に合わない学校に進学した。私は地元の高校に家から近いという理由で受験をしたから、登下校でもまず会うことがなく、休みの日も用事があるのか、全然大和くんを見なくなってしまった。
寂しいと思ったのは最初のひと月くらいで、高校に慣れた頃にはすっかりとそれが当たり前になってしまっていた。
それなのに。久々に顔を合わせたら、やっぱり優しいんだよね。クラスメイトのガサツさに嫌気が差していたから、余計に大和くんの屈託のなさやさり気ない優しさがまぶしい。
でもまあ……。ひとりで勝手に浮かれながらも、歩く速さは鈍くなる。
あれだけ優しかったら、女子からしたら好物件だもの。絶対に誰も放っとかないよ。大和くん、小学校まではそうでもなかったけれど、中学入って以降はなにかと女子に絡まれるようになっていたから、きっと高校でも同じだろう。
隣に住んでいる以外に、私なにもないもんね……はい、この話はもうおしまい。勝手に盛り上がって、勝手に傷ついて、勝手に終わらせる。本当に身勝手だなと思いながら、私はマンションのエントランスを抜けて敷地を出た。
「あれ……」
スカートを強い風が吹き抜けていく。まだ台風の本番が来るまでは時間があるはずなのに、風は明らかにいつもよりも強い。よくよく空を見上げれば、びっくりするくらいに速いスピードで雲が駆け抜けていく。さっきまでは、こんなことなかったのに。
急いでコンビニに行って、急いで帰ろう。
この急ぎが、私を困らせることになるのだけれど。
****
どうにかコンビニで雑誌を買ってきたものの、だんだんと細かい雨粒と風になぶられるようになってきた。
早く家に帰らないと。私は急いでマンションに入ると、スカートのポケットに手を突っ込んだ。鍵を取り出そうとするけど、指はキーホルダーを引っかけない。
「あ、あれ……?」
だんだん廊下に立っているだけでも、外からの風や雨に当たるようになってきていたのに。
嘘、こんな日に、鍵をどこかに落としてきた……?
サァー……と血の引くのを感じた。どうしよう、お父さんもお母さんも、今日は遅くまで帰ってこられないのに。スマホでも持っていたら、友達の家に台風治まるまで避難させてもらえるか交渉するところだったけれど、スマホは修理に出しているんだから、そもそも持ってこられない。
もう廊下には人は出ていないし、風と雨が強くなりすぎて、この中で友達の家に避難するというのも無理そう。
だからと言って、こんな廊下に立っているのも怖い。
なんとか考えよう考えようとすればするほどに、なにもいいアイディアが出てこない。私の馬鹿、おとなしく家で寝てれば、こんなことには……! そう自分を叱りつけてもどうしようもないんだけれど。
ひとり立ち往生していたところで、隣の家のドアが開いた。
「どうしたん? もうそろそろ台風やばいって言ってたのに、家に入んないの?」
「か、鍵……」
「鍵?」
「コンビニ行く途中で、どこかに鍵、落としたみたいで……家に入れない……」
「あー……そりゃまずいか。あー、台風過ぎるまで、うちにいとくか?」
「えっ?」
「ああ、俺ひとりだもんな。気まずいって言うんだったら、俺は自分の部屋に引っ込んどくから……」
「ま、待たせてくださいっ! 台風過ぎるまで!」
もしこの提案がクラスメイトの男子だったら、いつどこで噂がばら撒かれるかわかったもんじゃないから、断っていたと思うけれど。
相手はお隣さんの大和くんだし、通っている学校も別だし、なによりも。大和くんだったら悪いことはなにもないだろうという安心感があった。
大和くんに「それじゃ早く入って入って」と家に入れてくれた。
外のものを全部家の中に入れたせいだろう。玄関はずいぶんと狭くなっていたし、雨戸も閉められていたから家の中も少し薄暗い。
大和くんは家の電話を指差す。
「おじさんとかおばさんとかに電話しなくっていい? ナナに電話しても取らなかったら心配するだろ」
「お、お父さんはしないと思うけど、お母さんにはしとこうかな。ありがとう」
私はお母さんのスマホのアドレスを思い返しながら、ありがたく電話を使わせてもらい、スマホに留守電を入れておいた。
雨戸を叩くような風が吹き続け、気のせいかマンションがぐわんぐわんと揺れているような気がして、私は「ひいっ……」と呻いた。
「今日の台風すごいってニュースでやってたじゃん」
その中でも大和くんは涼しい顔だ。
「台風来るとは聞いてたけど、強さとかって聞いてなかったから……」
そう返して肩を竦めた途端。
外からバリバリバリッて轟音が響いたと思ったら、ブツンッと電気が切れてしまった。雨戸の向こうからは、相変わらず雨風の音が続いている。
「え、嘘……!」
「あー……これは近くに雷が落ちたなあ。もうちょっとしたらつくと思うから待ってろって」
大和くんは自分のスマホを取り出すと、それを適当に付けて私に差し出してくれた。
「ちょっと懐中電灯取ってくるから、これ明かり替わりにしてろって」
「あ、ありが……」
お礼を言う前に、またも雷が落ちた。今度も耳をつんざくような音が轟いた。思わず、大和くんの手首を掴んでいた。
……正直、腰を抜かしてしまって、立つことすらできなくなっている。
「ご、めん……無理……」
「ええ、無理って」
「ひとりでこんなの待つの無理ぃ……お願いだから、一緒にいて」
もし今日、コンビニに出ることなく、家の中にいたら。ひとりで布団の中に潜ってガタガタ震えていたんだろうけど。本当に久々に入った大和くん家にひとりで置いて行かれるのは、たとえ数分でも怖過ぎて耐えられそうになかった。
大和くんは困ったように、唇を尖がらせると、諦めたように私の隣に座り込んだ。
「大丈夫だって。多分この感じだったら、電信柱とかに落ちた訳でもないだろうから、すぐに電気もつくって」
「う、うん……」
「まあ、雷が落ちたら、カウントダウンでも取るか?」
「カウントダウンって?」
「数字を数えてたら、案外怖くなくなったりするから。どっかの漫画で読んだ」
私がまだ雷の音でビクビクしていても、大和くんは屈託なく笑う。そこで、またも雷が地面を震わせて落ちた。
「1、2、3、4……ほら」
「うん……1、2、3……」
ふたりで雷が落ちるたびに、一緒に数字を数えていたら、だんだん怖くなくなってきて、気持ちも不思議と落ち着いてきた。
しばらくふたりで座っていたところで、ようやく電気が点滅してついた。
私は「はぁ……」とひと息ついた。
「ほら、ついたじゃん」
大和くんはあっさりと言う。
「うん……ありがとう。なにからなにまで」
「えー。俺ナナが家の前で立ち往生していたから、声かけただけじゃん」
「そうだけど。もし声をかけてくれなかったら、ひとりであんな雷見て震えてるのなんて無理だから」
「大袈裟だなあ」
からからと笑いつつ、「でも」と大和くんは目を細めた。
「変わんないなあ、ナナも」
「……そりゃ、一年で変わることはないと思いますけど」
「いや、でもなんかこう、ナナも変わっただろ。久々に見たら、なんか可愛くなってるし……」
「へ、へっ!?」
さっきまでカラカラと笑っていた大和くんは、ぷいっとそっぽを向いてしまった。耳の裏から首筋まで真っ赤にして。途端にこちらもその熱が伝染したかのように、顔が火照ってくる。
友達の付き合いで化粧し合いっこしたり、プチプラコスメをお小遣いで少しずつ買い集めているだけで、そんな風に言われるとは思ってもいなかった。
「あー……自爆した。忘れて」
「わ、すれられないよ!? だってさ、そもそも大和くんだって格好いいのに……絶対に女子にモテるでしょ?」
「いや。全然。そんなの今初めて言われたんだけど」
「なんで!?」
そもそも。こんなに優しかったら、誰だって放っておかないと思うのに、こんな人を見つけないなんて、大和くんの学校の女子見る目がないんじゃないか。
大和くんは私の声に「いや、なんでと言われても……」と答える。
「でもそんなんだったら、ナナは未だに彼氏とかは……」
「いない。いません。いないです」
「そっかあ……そっか」
なんだかくすぐったい。まるで噛み締めるように言ってくるんだから。
「あのさ、ナナ……俺、実は」
「待って。えっと、せーので言おう!」
「えっ? なんで」
「た、多分……言いたいことは一緒だと思うから!」
私は「せーの!」と声を上げた。
もしも、今日が台風で休校にならなかったら。
もしも、コンビニに行って鍵を失くさなかったら。
もしも、雷が何度も連続で落ちて停電しなかったら。
おそらく今日はただの臨時休校のままだったと思う。でも、ここから先は、きっと特別な時間のはずだ。
嵐がつないだ五分間 石田空 @soraisida
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