リナとエマリー
今日は珍しく雨が降り続いていた。
政府の要人が使うことができる喫茶店兼バーのカウンターでリナ諜報長官がカフェ・ラテを静かに飲んでいる。
この政府機関というもの、極めて裕福な設備が整われており、一時期予算の無駄遣いだと議会で批判を浴びた。
しかしながら、当然議員ならば恩恵を受けているため、野党の追求はあまり強くはなく、結局うやむやにされてしまった。
普通ならば庶民の2、3食分の価格に匹敵するコーヒーや酒類が、無料か格安で飲むことができ、政府関係者の待遇の良さを表している。
「こんにちは」
彼女の隣に座ったのはリナにとって珍しい人物だった。
「あら、エマリー軍代理。あなたからお声かけ下さるなんて、明日は雪ですかね」
「隣、よろしいですか?」
「構いませんよ」
というとエマリーはブラックコーヒーを注文した。
「お仕事、お忙しいようですね」
エマリーが聞く。
「ええ、諜報部も戦争が近づいているのですから、仕事には困りませんね。
軍の方こそ、いっぱいいっぱいなのではありませんか?」
「いえ、事前にフューザック帝国との戦争は事前に想定されていましたから。
逆に事前準備無しでは一週間後に戦争だなんて不可能でしょう」
「へえ、軍は色々考えておられるようですね」
リナは疑うような視線を向ける。
「そのための軍です。
何も考えてないなら、一体参謀本部が何のためにあるのか」
エマリーは運ばれたコーヒーを静かに眺めていた。
参謀本部とは軍代理直轄の作戦立案及び助言組織で、参謀本部長は軍代理がつとめる。
メンバーはエマリー軍代理、ミュー・フラワー陸軍中将、ザワエル・ボーン海軍大将、タルト・ジュニアル陸軍大将の4人である。
「参謀本部…」
リナはミュー中将のような軍人達が、非現実的で過激な発言ばかりしている会議を思い浮かべ、げんなりとした顔をする。
「一度見てみますか?」
「いえ、結構。
それに、YESと答えてもどうせあなたは私を入れないでしょう」
エマリーはリナの言葉に微笑みを返す。
「そういえば、リナ諜報長官とウォール議長は仲がよろしいですよね?
いつからのお付き合いなのですか?」
「ウォール議長とは幼馴染です。
そうですね、陸軍小学校前からでしょうか」
「あ、リナ長官、軍学校出身だったのですね」
エマリーが少し驚いた。
「ええ、私たちは貧乏でしたから、軍学校以外選択肢が無かった。
公立の学費でさえ厳しいものでしたから」
「陸軍中学、卒業後は軍へ?」
「いえ、ウォールは軍に入りませんでした。
私は予備役を数年したのち除隊しています」
“入らなかった”という言葉にエマリーは引っかかった。
というのも、軍学校出身者は卒業後、原則、軍学校に進学するか軍に入隊するかの二択しかないからだ。
「身体検査で引っかかったのですか」
「いいえ、その頃にはしっかりとした体格になっていました。
しかし、彼は優しすぎ、内気な人間でした。
仮に入隊しても、きっと上手くやれなかったでしょうね」
「内気で優しいから入隊できないなんて初耳です」
エマリーが小ばかにするように言った。
リナにしては珍しい、寂しく、悲しそうな表情を浮かべていた。語りたくないと物語っている。
きっと、その記憶は彼女にとって大きなものなのだろうとエマリーは察した。
「でも、あの、小さい頃のウォールも可愛かった」
「へえ」
エマリーが興味深そうに続きを促す。
仕事上というより、エマリーは個人的に続きが気になったのである。
「小学校くらいまで、ウォールはとても小柄で、いつも私の後ろにひょこひょことついてきた。
虫も殺さない、気づいたら一人でお人形遊びをしだすような子」
嬉しそうに昔を語るリナとは対照的に、エマリーは少し衝撃を受けていた。
というのも、今やユマイルの最高指導者として国をまとめ上げているウォール議長にそのような過去があった、そのことがいささか信じられないのである。
「それは意外です」
「でしょう。
しかも美少年だったから、女装させて恥ずかしがるウォールを見るのは最高だったわ」
うっとりと愉悦に浸るリナに対して、エマリーは若干引いていた。
「昔のウォール議長にそんなことがあったなんて、今では考えられませんね」
「…」
エマリーがそういうと、リナは少し寂しそうに俯いてしまった。
「リナ長官…?」
「ウォールは何も変わってない。
ただ強く見えるだけ」
そう、呟いた。
「あの子に一国を背負うなんてできない」
その言葉は、リナの言葉とは思えないほど年相応の幼さと、覚悟に満ち溢れた力強いものだった。
「私が守ってあげなくちゃね」
その後、リナはエマリーに冗談めかして微笑みかける。
エマリーはその束縛的な重い愛に嫌悪感と警戒感を覚えた。
「私たちはウォール議長の部下ですし、それが仕事ですから」
エマリーは苦笑いしてそう返すが、リナも微妙な沈黙で答えるだけだった。
主語を“私”にしたリナと”私たち”にしたエマリー。
その対比の意味をのちに知ることになる。
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