第3話
次の町で売る商品をたっぷりと買い込んだ馬車に乗り込んで、あたしはダギルハーズの住む街を旅だった。
朝早くからの出立だったのにダギルハーズは見送りに来てくれた。あたしはもちろん泣いた。笑ってお別れしたかったのに!
ぜったいぜったい会おうね、と約束するあたしたちの横でお父さんも泣いていた。お母さんはあらあらうふふと笑っていた。
「ファウバスィーヤにもう婚約者ができちゃったよう……。お嫁に行くのはまだまだ先だと思ってたのに………」
「あらあら。ダギルハーズ君はお婿さんに来てくれるんだからファウバスィーヤはお嫁にいかないわよ」
「そうだけど、そうじゃない……」
ガタゴト馬車に揺られながらあたしはお父さんとお母さんとあたしとダギルハーズで旅をする夢みたいに幸せな将来を描いていた。
ダギルハーズが商人見習いになったらいつでも一緒! いっしょに寝て、起きて、ご飯を食べて、買い出しに行って、いろんな町や場所に行って、たくさんの知らない景色を見て、笑いあえるんだわ! 素敵! 五年後が楽しみね! 今まで以上に手伝いに精を出しましょ。家事の腕はもちろん、商才も磨いてダギルハーズの隣に立つ奥さんとしてふさわしくならなくちゃ!
未練がましくダギルハーズのいる町の方を眺めながら、あたしは馬車の最後方でちょっぴりおセンチになっていた。けれど規則的にゴトゴト揺れる場所と、穏やかなお父さんとお母さんの話声にだんだん瞼が重くなってきて、あたしはいつの間にやら眠っていた。
それからどれくらい経ったのか分からない。おそらくは夕方に近い時間だったのだろうと思う、詳しくはわからない。なんだかうるさいな、と寝ぼけ眼をこすりながら起きた瞬間に馬車が大きく揺れて、あたしは馬車から投げ出された。
一体何が起きたのかまったく分からなかった。叫び声や唸り声なんかが聞こえてきて、街道の斜面に落ちながら後ろを振り返る。
馬が魔物に襲われている。馬車の幌が魔物に踏みつけられ、噛みつかれている。御者台にいたはずのお父さんとおかあさんは、まるで、人形かなにかのように、魔物たちに。
あたしは叫ぶことすらできずに街道の斜面を滑り落ち、雑木林に転がっていった。ようやく体の回転が止まったあたしは、馬車を目指して一目散に斜面を駆け上った。草をかき分けて、泥や土まみれになって、手足に傷を負いながら、あたしはとにかく走った。
だって、馬車にはお父さんとお母さんが、まだ、まだ、いるんだもの。
斜面を登り切って街道に出た先に、壊れてぼろぼろだったけれど馬車はあった。こけつまろびつ、馬車に近付いた。あんなにいた魔物はすでにいなくなっていた。馬車はひどい有様だった。
幌は破れて折れた骨組みが丸見えになっていて雨も風も防ぎようがない。荷物は荒らされてひっくり返って、中身がぶちまけられているものもある。御者台から赤いものが飛んでいた。夕陽のせいだと言い聞かせて歩みを進める。足元に物みたいに転がる腕や指は見えないことにした。
ぷん、と漂ってきた鉄の臭いに鼻を覆う。おそるおそる覗いた御者台には血がべったりとついていた。血の気が一気に引いた。
あたしは御者台から視線を剥がして荷台にあった荷物をまとめる。あたしの持っていけるもの、換金できそうなもの、お金、水と食料。荷台に落ちていた父さんと母さんの腕輪を拾い上げて自分の腕に通してみた。ぶかぶかで様にならない。この腕輪は二人が夫婦になった記念にお揃いで買ったものだ、形見にはちょうどいい。
「お父さん、お母さん、
両手を組んで短い祈りを捧げてからランプに魔物除けの油を足して、あたしは急いでその場を離れた。夜が間近に迫っている。血の臭いにつられた他の魔物獣が寄ってくるかもしれないのだ。のんびりと両親の死を嘆いている場合ではない。
元いた町までは子どもの足でどれくらいかかるのだろう。あたしはこぼれる涙を拭って必死で足を動かし始めた。
どれくらい走っただろう。辺りはすっかり日が暮れて、慣れない夜道を常にはない荷物を背負って走り続けてきたあたしは疲れ果てていた。
魔術で身体能力を強化できてもあたしの魔力はそう多くない。
あの場で朝を迎えて、助けを待ったほうがよかったのかもしれない。どこかで安全を確保して火を焚いて、休んだほうがいいのかもしれない。このまま走っていても町に辿り着けなかったらどうしよう。
いくつものもしかしてが浮かんでは消えていく。どうしようもなく怖かった。涙でただでさえよくない視界が歪んで
ランプは死守したので無事だったけれど、背負った荷物が肩に食い込むのとは違う痛みで襲ってくる。このまま地べたに寝転んで泣きわめいていたいくらいだったけれど、あたしは歯を食いしばって起き上がった。
痛みがなんだ、生きている証拠だ。立って走れ、ぜったいに町に着くんだ。ダギルハーズに会えずに死んでたまるかコンチクショウ。
あたしは走った。とにかく走った。体力回復薬と魔力回復薬を乱用しながら走った。走って走って、走って走って――夜が明けると見たことのある道を走っているのがわかって、時々咳きこみながらも走った。
町に着くころには太陽が山裾からすっかり顔を出していた。あたしを見つけた門番たちが大騒ぎしている声を聞き流しながら、乱れた息の合間に両親と乗っていた馬車が魔物に襲われたことを伝えたあたしはそこで気を失った。
軽度の脱水症状と、同じく軽度の回復薬中毒だったそうだ。ケガはかすり傷がせいぜいで、それ以外はいたって健康体だった。それを聞かされたのは目が覚めたあとだ。
気がつくとあたしは診療所のベッドに寝かされていた。丸一日眠っていたというあたしは夢現に辺りを見回した。それに気づいた診療所の先生に問われるまま答えて、大人たちが慌ただしく出入りするのを眺めていた。あたしが疲れたと言えば医者たちはあたしを一人にしてくれた。
用意してくれた麦粥を食べて、水を飲んでひと心地つくと、血塗れになった御者台の光景が浮かんできて、あたしはとっさに口を押さえてせりあがってきたものを飲み下す。ぶるぶると今さら恐怖を感じ始めた体を抱きしめてベッドに丸まった。
あんなのが現実だと理解したくなかった。夢か幻であったらどれだけよかったか。けれど両親の死は間違いなく現実で、あたしは一人だけ置いてかれてしまったのだ。
どんな能力を持っていても使えなければなんの意味もないと思い知った。
どうしてあたしはあの時馬車から落ちてしまったんだろう。どうしてもっと早く斜面を駆け上れなかったんだろう。どうしてお父さんとお母さんを守れなかったんだろう。どうして――
「……ファウバスィーヤ?」
名前を呼ばれてのそりと掛布から顔を出した。
「ダギルハーズ……」
ダギルハーズが心配そうにあたしを見ていた。
「ケガはないって聞いたけど、痛む場所はない?
そう言いながらダギルハーズは壊れ物を扱うかのごとき手つきであたしの手に触れた。
ダギルハーズの手はいつもあたしより体温が低くてひんやりとしていた。今のあたしは熱でも出しているのか、ダギルハーズの体温がずっと冷たく感じる。その冷たさとあたしの体温が混ざって違いが分からなくなったころ、あたしの目からはぼたぼたと水が落ちていた。
「ファウバスィーヤ……、やっぱりどこか痛むの?」
あたしはゆるく首を振る。そのうち涙といっしょに鼻水も出てきて、あたしは呼吸もままならなくなって、しゃくり上げながらダギルハーズの服を掴んだ。
「だぎる……はーず……っ、お、とうさんと、おか、あさんっ、が……っ」
「うん」
「まっまも……まものに……っ」
「うん」
ダギルハーズがあたしを抱きしめた。背中にダギルハーズの腕が回されて、強く強く抱き寄せられた。肩口にダギルハーズが顔を埋める。
「ファウバスィーヤが生きていてくれて、よかった。よかった……!」
あたしが声を上げて泣き出したのが先か、あたしの肩口が濡れたのが先か、わからないけれど、その日あたしは声が嗄れるまで泣いた。
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