間章
戊辰の夢 2
城下町に早鐘が鳴り響いている。
あちこちから昇る煙に、紺碧の空は塗りつぶされた。
遠くから続けて何発もの射撃音が聞こえる。
二本松を落とした、新政府軍はわずか3日で攻め上り、主力部隊が不在だった会津城下へなだれ込んだ。
「火だ、もっと火をかけろ。」
敵将の怒号が飛ぶ。城下の家々には火が放たれ、美しかった町が燃えていく。
見つからないよう、上手く道を選び彼女の屋敷へと向かわなければ。
まだ焼けていない屋敷からは、高価な品々を運び出す敵兵がぞろぞろと出てくる。
「いやぁぁあぁ。」
まだ子供にも見える若い娘が、引きずられるように拉致されていく。
― すまない。
私の力ではあの娘を救うことはできない。
奇跡をと願うことしかできず、涙を堪えて先を急いだ。
ここまで来るのに、見たくないものをたくさん見た。
幼いころから見知ったご隠居達が、全身に銃弾を受け絶命していた。
元服したての若武者の腹からは、臓物が飛び出て苦悶の表情のままこと切れていた。
焼け跡で丸裸にされた婦人は、舌を噛み切って死んでいた。
なんで、なんでこんなことになっているのだ。
これが戦ということなのだろうか?
これが御旗を掲げる者がすることか?
財を奪い、殺し、女を犯していく。
これは、只の賊ではないのか?
ああ、頼む。
愛しい人よ、逃げて、城に入っていてくれ。
最も城に近いあそこはまだ火の気は届いていないはずだ。
息を切らして辿り着いた、上屋敷周辺は不気味な静けさがあった。
すすけた匂いの中に、ねっとりとした生臭さが漂う。
静まり返った屋敷の中に入る。
良かった。無事に逃げてくれたか。
ほっとして広間に足を踏み入れると…
そこは、血塗れの床。
血の海の中、親しかった者たちが倒れ伏している。
地獄だ、地獄だ、地獄だ。
彼女は…いた…
ゆい。
ああ、まだ温かい。
そっと抱きしめる。
傷口に手を当てても止め処なく流れ続ける血。
頬に、額に、唇に、口づけを落とす。
ここにもやがて、敵兵が来るだろう。
視界を遮る涙を着物の袖で拭い、刀を抜く。
誰にも渡すわけにはいかない。
脈も、鼓動も無くなった、ゆいの身体をもう一度抱きしめる。
「愛している。」
もう届かないかもしれないけれど、耳元で想いを告げた。
覚悟を決めた。
細い首に刃をかけ、力を込める。
胴から離れた愛しい人の首を、そっと横たえ、上衣を脱いで優しく包んだ。
広間を見渡し手を合わせ、深く首を垂れてから、彼女を抱えて立ち上がった。
どこか静かな場所へ。
彼女を安らかに弔える場所へ。
結局私は、生家である会津随一の聖域、磐梯山の麓、
藩祖が祭神として祀られ、会津盆地の鬼門を守る。神域。
のはずが……
境内に入ったのち、異変は起こった。
火が放たれる。
何故?
油も撒かれたのか火の回りが早い。
逃げ場がない。
背負っていたゆいの首を腕に抱く。
迫る炎。
これまでか。
200余年をかけて築かれた、社が次々と焼け落ちていく。
どんなに人々が想いをかけて築き上げてきたものでも…一度戦が起れば壊れるなど一瞬。
そして、人の命の儚ないこと……。
惨い。
ゆい。
もし来世というものがあるならば、その時は決して離さない。
何があってもあなたを幸せにすると誓うよ。
衣に火が付く。
体が烈火にまかれていく。
― ああ、これは「夢」。
あの時から、見るようになった「夢」。
そうだ、熱くなんてない。
もうすぐ目が覚める……。
「ふぅ。」
また、寝ながら泣いてしまった。
何度見ても辛い。
これは、只の夢ではなく、僕の「記憶」だ。
土蜘蛛に心を貫かれた時、魂の奥底から甦った記憶がこれだった。
あまりにも、ユイ様が「昔見た怖い夢」として話してくれたものと符合するものだから、ひどく驚いた。
これは、記憶の断片。
ユイ様の元いた世界の、滅亡する会津の記憶。
おそらくユイ様の魂が持つ遠い記憶と繋がるもの。
「運命」というものを否定するつもりはない。
そして、僕の魂は無意識にも彼女を求めているのかもしれない。
でも僕は、「ゆい」だから彼女を好きになった訳ではない。
「ユイ様」だから、恋に落ち、一緒に過ごした日々がこの思いを強めてきている。
この夢の話をユイ様にすれば、ひょっとして運命を感じて、意識してくれるかもしれないけれど、それはしない。
僕が、ユイ様だから、こんなにも好きになったように、ただ僕を見て好きになってほしい。そんな叶わない我儘を夢想しているから。
ほのぼのと、夜が明けてきた。
「春眠暁を覚えず」というけれど、僕の愛しい人は一年中暁には気づかない
さてと、今朝も寝坊助なユイ様を起こしに行かなくてはいけないな。
早起きな小鳥のさえずりを聴きながら、僕は朝支度を始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます