挿話 堕ちる

 これは、一人の男が「もののけ」に堕ちてしまった時のお話。


∗∗∗


 俺は右恭うきょうという名前で、京のあるお大臣の屋敷に奉公している下男だった。


 貴族の考えることなんてわからない。

 主の六条様は、気まぐれに子供を拾ってくる。

 六条様は私設のもののふの様な一団を持っていて、才のある子どもは最終的にはそこへ入って働いていた。


 牡丹もそうやって連れてこられた子供の一人だった。

 際だって霊力が高かったため、六条様も目をかけておられ、下男の中では術に秀でた俺を彼女の世話係とした。


 数年後


 牡丹は優れた呪術士に成長し、俺とは恋仲となっていた。

 しかし、この頃から優しい彼女は、六条様に与えられる仕事に苦痛を覚え始めていた。

 


「私達、もう人じゃないのかもしれないわ。」

「泣かないで、愛しい人。戦場いくさばではよくある事さ。」

「私…こんな事したかった訳じゃない。拾ってくださった六条様のお役に立とうとしただけなの。」

 身重の女性の暗殺。

 妖を用いて行ったものなので、直接手を下したわけでは無いが、あまりに凄惨な現場に彼女は慄いていた。


 その後も、辛い任務が続いた。

 その度に彼女は悲しみ、俺は慰めた。



「私は鬼になってしまったのよ。」

「大丈夫、君は仕事をしただけさ。六条様もこれが終われば我々を解放してくださるという事だ。お役目はこれでしまいとなる。」


 それは、我々の自由に向けての最後の仕事のはずだった。

 そして胸くそ悪い内容だが、仕事自体は難しいものではないはずだった。


 子供を一人呪い殺すだけ。


 これから凶事が起ころうなどと思われない。

 薫風吹き渡る清々しい日。

 流石は城の中、あちこちに術が張られ、妖は使えない。

 彼女は術を練って圧縮させると、石垣の上に立つ少年を狙う。

 気配を周囲に溶け込ませた。鳥も虫も違和感なく飛び回り日常が流れる。


 彼女が呪いを放つ瞬間。

 少年の隣にいた少女が、見えるはずのない彼女を見つけた。

「あの女性ひと…!」

 上ずった彼女の声。

 その動揺を吸いとったまま呪いは空を走っていった。


 石垣の上の少女は繋いでいた手を払い、少年を突き飛ばす。

 少年は尻餅をつき、少女の胸に呪いが刺さった。 

 女の子はよろめいて数歩進んでからグラリを体を傾け、石垣から落下していく。


ザブンッ



「キャァァァ。」

 牡丹が悲鳴をあげる。

 まずい!呪いは失敗した。呪の刃が彼女に向かう。

 城を守る、術者達が異変に気づき我々を捕らえようと、探知の式鬼が動き出す。


逃げろ


 動かぬ牡丹の体を抱え、気配を消してとにかく逃げた。




「六条様、助けてください。お願いします。牡丹が、息をしていない。早く、このままじゃ。助けてください。」

 俺はどこかで見ているであろう主人に懇願した。

「お願いだ…だれか助けて。」


 全てはこれからだというのに、これからが本当の人生と思っていたのに。

 何としてでも、何をしても助けたい。

 悲しみと怒りが俺の全てを支配した時、開けてはいけない扉が開いた。


 溢れんばかりに湧き上がる力。

 俺は迷わずにそれを彼女に注ぎ込む。

 硬く閉じられていた、牡丹に瞼があがり、うっすらと笑みが浮かぶ。

 彼女の髪を撫でようとして手を伸ばした、己の腕を見てゾッとした。


 それは、ゴツゴツした鋼のような真っ黒い腕。

 指先には鋭い爪が光る。

 およそ人のものではないもの。


「これは…何だ?」


 己の体を確かめる。

 細身だった体は、面影も無く、筋肉が隆起する逞しいものにかわっていた。

 纏めていたはずの髪もざんばらとなり、炎の様に赤い。

「牡丹、おいで。」

 そう声をかけると彼女はゆっくりと起き上がり、変わり果てた俺の体にぴったりと寄り添い、背中へひんやりとした腕を回してきた。


ピリッと場が軋む。


「六条様…。」


「おめでとう。これでお前たちは永遠に一緒にいられるよ。」


 くうから現れた主人は、悦に入った様子でニタリと笑った。



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