第25話 もう鳴らない


ヘッドフォンがある日壊れた。片方のスピーカーしか歌わない。

もう片方は完全に沈黙。歌わなくなってしまった。

コードを引っ張り、たまにつながっては離れていく音に苛立った。


死んだスピーカーを耳に当てると、さあさあと耳鳴りにも似た風の音。

ああ、気持ち悪い。僕は雑にヘッドフォンを放り投げる。

カシャンと軽い音を立てて床に転がったものにもう興味はなかった。



常に耳を塞いでいたい。いつからそう思っていたのか。

周囲の声は邪魔だ、不快だ。誰の声も聴きたくない。

音楽だけは別だった。歌声だけは僕の邪魔をしなかった。

人の声は嫌い。静寂はもっと嫌い。自分の声がうるさくなるから、大嫌い。

心臓の音も血液が流れる音も、呼吸の音も聞きたくない。


「ああうるさいな、黙っててくれ」

自分が立てるどんな音でもこの耳でじかに聞きたくないんだ。

さあさあと、死んだスピーカーが息を吐いた。

機械のくせに人のような音を立てて、今までの仕返しだとばかりに息をする。


「やめてくれよ、やめてくれ!」

となりに人がいるかのような、気持ちの悪い呼吸音。

まるでそれに合わせて呼吸しろと脅されているような圧迫感。

耳を塞ぐと、今度は自分の中の音がする。

心臓の鼓動、血液の移動音、しゅうしゅうと蛇のような息をする自分。

自覚なんてしたくない。どんな音さえ聞くのはごめんだ。

仕方なく、生きている方のスピーカーを耳に押し当て息を吐く。

いつものようにがちゃがちゃと何を言っているのかわからない、

性別さえも判別がつかない歌声は僕の息苦しさを消し去って、

少し安心して目を閉じた。


しかし変だ、やはり駄目だ。


耳が片方あいている。空気の音が漏れている。


「気持ちが悪い、気持ちが悪い」

鳴かないスピーカーはさあさあと笑っているようだ。

臆病な僕のことを、嘲笑している!


「そんなに音が嫌いなら、不要な耳なんて潰してしまえよ」


スピーカーがひときわ高い声で鳴く。僕の脳がそれに同調して甲高い音が僕を包む。

もう何も聞こえないんだ、周囲の声も自分の音も。

スピーカーは今度こそ死んで、今や沈黙を守っている。


僕の耳も潰れてしまって、世界は口をつぐんでいる。


僕の身体は、もう鳴らない。静かに僕は眠りについた。

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