はしりがき
Garm
絶望の味は
後悔先に立たずとは、なんていい言葉なのだろう。
遅れてやってきて現実を突きつける。時間が経てばまた手元から去っていく。人間は忘れる生き物だ、とは誰かが言っていたがまさかこれほどとは。
もう帰っても誰も出迎えてはくれない。娘はもう笑いかけてはくれないし、妻も口を聞いてくれない。残っているのは生活の残滓だけ。壁に投げつけられた時計が、カチカチと心地良いリズムを刻む。時間とはこれほどまでに無残なものなのか。だから一瞬はあれほどまでに美しいのか。
ただ呆然と立ち尽くした。何も持っていなかったはずの自分に笑いかけてくれた彼女の笑顔。ふわっと優しく微笑んでくれる彼女はもう……ああ……ああ……。
動悸がする。呼吸が荒くなる。許せない、許せない、許せない。感情が胸の中でぐるぐると渦巻く。
秒針が力尽き、その場で足を止める。気持ち悪いほどの静寂が、かえって俺を現実に引き戻した。土砂降りは21時には止むらしいと先程……。ああ……先程までの気分が嘘のようだ……。はは。笑ってしまう。もうダメだ。雨粒も零れる。相当時間が経ったのだろう、水滴が滴り落ち、足元のフローリングには水溜まりができていた。
瞬間、ドアが静寂を蹴飛ばす。
心臓が跳ねる。息が荒くなる。歩いてきた男がこちらを見る。点いたままの電球に引き寄せられたのだろう。男は比較的小柄だが、困惑と怒りの入り交じった表情をしている。男が掴みかかってきた。何を言っているかは分からない。僕は観念する。僕の目はきっと虚ろなのだろう。
ぐさり。刃が人体を貫く。
「……ごめんな、俺、耐えられない、んだ。な。許してくれるだろ。」
涙が頬を滑り落ちる。くすんでいた掌の色が、また鮮やかな色に染まった。今の僕の顔は、さぞ醜いことだろう。雨はまだ止まない。俺は玄関から飛び出した。雨は爪痕を流していくだろう。
狂っているのは重々承知している。他人の絶望に味をしめたなんて狂言、許される筈はない。でも、まあ、
「死人に口無し、とも言うしな」
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