第19話 さっちゃんのママの入院

 今にも降ってきそうな空だ。砂場公園で綾さんと一緒にこどもたちを遊ばせていた。


 「あれ、さっちゃんじゃない?」と綾さんの視線をたどると、

さっちゃんがひとりで砂場に座って遊んでいた。近くにおかあさの姿はない。

「あれ、いつのまに美和さん来たのかな?」美和さんは綾さんちのお隣さんだ。

 

「ここに来るのに誘ったのにお留守だったのよ。」そう言って、あやさんは

「さっちゃーん!」よびながら 手招きした。

さっちゃんは顔をあげて私たちをみとめたが、また下を向いてしまった。

「あれ? 変だねえ」

私たちは、 さっちゃんのいるほうへ移動した。

あさが砂場の道具をひきずっていき、さっちゃんのそばで遊び始めた。

 

「おかあさん、生協に買物?」とさっちゃんにたずねると、

「ママね、病院でおねんね。」という答えに驚いた。

「おかあさん どうしたの?」と聞いても、さっちゃんの答えはよくわからない。

「そういえば ここのところずっと しょうの耳鼻科に通ったりしてて美和さんに会ってなかったわ。どうしたんだろ?」

そうしているうちに新田さんが生協の袋をさげて「さっちゃん、おまちどー。」と砂場を横切ってきた。


「美和さんここんとこ村立病院によくいってたのよ。なんか調子悪そうで。」

新田さんは、さっちゃんをよく預かっていたらしい。


新田さんは、近所のまだ小さいこどもを持つ母親たちから頼りにされている存在だった。ふたりめのお子さんの理沙ちゃんが、小学校にあがってから、週の半分くらい図書館のパートをしていた。


「昨日ね、自分からどうしても入院させてくれって頼んだっていうの」

 「どういうこと?」

「このまんまじゃだめになるからって」「?」

「ほら、村立病院の矢田先生て知ってる? 国立病院からきた若い男の先生。」

「あー、内科のいつもにこにこしてる」

「矢田先生には、M市の国立病院で診てもらいなさいと言われたらしいんだけど。」

「国立?」

「心療内科ってあるんだって」私と綾さんは、思わず顔を見合わせた。

「行ったの?美和さん?」

「それが 矢田先生じゃなくちゃいやだって、矢田先生のそばなら落ち着けるって無理言ってそこの病院に入れてもらったらしい。入院しないとこのまま落ちていってしまうって。」

「落ちちゃう?」思わず聞き返す。

「暗い穴に落ちていくなーっていう前兆があって、そのときが耐えられないって。ものすごく苦しいんだって。昨日がそんな症状だったらしい。車で病院に連れていったのよ。 二、三日でがくってやせちゃって、目がくぼんで。」

 「鬱とかそんなんなのかな」

「自分でもそんなこと言ってた。いずれは国立に変わるんじゃないかな。今頃ご主人と先生で話し合ってるみたいよ」

「さっちゃんがかわいそうね」砂場のまんなかで、あさとしゃがんでままごとをしているさっちゃん、どんなに不安だろう。

新田さんが声をひそめて、

「でもかえっていいかも。だって、綾さん、聞こえなかった?美和さんの叱る声、夫婦喧嘩の声とか」

「あー、そういえば」他人のことをほとんど話題にしない綾さんは、口ごもった。

「お隣より、向かいのうちのほうがよく聞こえるかも。ここのところ 胸がいたくなるほど、こどもたち怒られててね。」と新田さん。

「それでね、状況によってはさっちゃん保育所に入れること考えてるみたいよ」

「入院したのなら、すぐに預かってもらえるんじゃないの?」

 「そうだと思うのよ。今日中に美和さんのおかあさんが来られるので、それからだわね。 あら、降ってきちゃった。 さっちゃん 大急ぎで帰ろうか」


「新田さん、図書館ある日は 私たちでさっちゃんお預かりしますから」私はりょうを抱き上げ、砂場に広がったあさとりょうのあそび道具を拾い集めながら、新田さんの背中に声をかけた。


 夕方になって、ますます雨が強くなってきたので、綾さんがうちに来てくれて、子供たちをかわりばんにみて、慧としょうくんを迎えにいくことにする。

「ものすごい雨!」たたきでみほちゃんのレインコートを脱がせ、ちょっとの距離なのにずぶぬれ状態になっているのを、パンパンとはらいながら、

「美和さんのおかあさんが、山形からいらしたわ。うちにもご挨拶に来られた。明日、さっちゃんあずかることになった。新田さん図書館だし。だから明日ゆきさんもうちに来てね。」

「それはいいけど、どんな具合なんだろ、池田さん」

「おかあさんは、あんまりはっきりしたことおっしゃってなかったわ。わけがわからないという風だった。」

「それはそうよねえ、ご主人も大変だねえ」

「池田さんは、いつも帰りが遅いわ。来週からアメリカ出張も控えてるんですって。」

「わたしたちもおんなじじゃない。こどもたちがぐずって悲惨な状況の時には絶対にいなくて、ようやく平和になったとたんに帰ってくるじゃない、夫って。」

「そうそう、家で気楽にこどもたちと遊んでるっていうふうにしか思ってないしね」

「あ、でもうちなんかは3人ちっこいのがいるから、 職場行ってるほうが楽やって口すべらしたよ。」

「そう思ってくれてたら まだましだわね。」



 あくる日も雨。雨でも洗濯は休めない。この家に越してきた時に父がつくってくれた屋根つきのベランダに干しておく。昨日ひなぎくから慧が持ち帰った服はものすごかった。

一晩つけておいたが、絵の具をこすりつけたのには降参。元通りにきれいにはならない。

けいの服はそんなのばかり。泥だらけになったら どんなに力強くもんだって、とにかく物理的にせよ科学的にせよ絶対に白くはならない。でもこれが慧の勲章か。

 

あさのうちの家事を済ませて、綾さんの家に行く。さっちゃんとみほちゃんが玄関に飛び出してくる。あさこたちも家にあげてもらって、私はそのままひとりで買い物に出かけた。綾さんの必要なものもついでに買ってくる。こどもを連れない買い物は実に効率がいいが、何か忘れ物をしてきたような不思議な感覚だ。こどもがまとわりついていることが、普通になってしまっていることに改めて気づく。

一緒にお昼をするので やきそばの材料も買う。いったん家により、身軽なうちにささっと夕食の下ごしらえをしてしまう。


綾さん宅に戻ると、女の子四人はあやさんに絵本を読んでもらっていた。

明石の昔話は関西弁のあやさんが読むとピッタリ。私も聞きほれる。

 女の子たちは 静かに平和に遊んでいる。でもさっちゃんはしょっちゅう私たちのところに来て何かを訴える。

「のどがかわいた」「おしっこ」「これなあに?」

やはり おかあさんの病気で不安で落ち着かないのだろう。


一人でひなぎくに慧を迎えに行く


雨足が弱くなり、まとわりつくような雨。かさをさしながら足早に歩いていると薄手のレインコートなのに、べとっと汗をかいてきた。ぬかるんでいる園庭をつっきりテラスに向かうと保母さんたちが「おかえりなさーい」と声をかけてくれる。

珍しく白石園長が寄ってきた。

「鈴木さん、池田さんてご存知?同じ住宅ですよね」

「さちよちゃんのことですか?」

 福祉課から話が回ってきたらしい。

 

「それで 入れるんですか?」

「おとうさんがずいぶん強く至急入れてくれと主張したらしくて、月曜から連れてくるそうよ。」

「よく許可おりましたね。こんな時に。」と言うと、

「病気といっても長期間の入院にはならないだろうということらしくてね、福祉課もそれでまあいいかなと思ったみたいよ。」

 そんな簡単なことなんだろうか。美和さんの病気は。




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