慧の目に映る世界

第13話 どじょうとり

僕はその日、先生の言う通りにしたくはなかった。

いつものようにみんなで散歩に出かける気がしなかった。

だからわざと、先生から離れたホールで、かっちゃんのそばにくっついていた。


 かっちゃんは いつも先生のいうことをきかない。

「おいら やだ。」が口癖。


 ホールにしま先生が入ってきた。


「今日の散歩は どじょうとりに行くよ!」と先生が言ったら


案の定かっちゃんは

「足は痛えし、どじょうはぬるぬるでつかまんないし、おら行くのやーだ。」


と言うので、それを聞いて僕も行くのをはっきりやめにした。


つもりだった。 でも…


 「けいー!物置からバケツとざると持ってきて」

と さの先生がホールに入ってきた

「この間けいがしまってくれたでしょ」先生は、もうリュックを手に持ってる。


「ほれっ、かっちゃんもいっしょに行ってとっといで!」


先生はかっちゃんの様子を気にもとめずもう一度「ほれっ」と

かっちゃんのおしりをたたくまねをしながらかけ声をかけた。


「今。たっくんたちがあみをとりにいってっから、早く行って、着替えも用意するんだよ」


僕はかっちゃんがなんて言うかじーっと顔を見ていた。 

なのに、

かっちゃんたら、

ふぇーって言うだけであっさり立ち上がって

そのままなんにも言わずに物置の方に歩き出した。 

ぼくもあわてて付いて行く。


「なんだよお、やっぱり散歩いくんかあ」と後ろから聞いてるのに 

かっちゃんは黙って物置に入っていった。


物置にはたっくんとこうじがいて、あみのとりあいでけんかをしていた。

それなのにかっちゃんが入っていって、ざるをかかえたら、

たっくんがあみもあるよって

自分の手にもっていた一番大きいあみをかっちゃんにあっさり渡した。 


しかたないので僕はざるをもち、

こうじとたっくんは他のあみをひとつずつ持って外に出た。


そこへちょうど先生がやってきて、


「自分のぶんだけじゃなくてみんなの分も!ぜんぶ持ってってやんなきゃあ。

けい!けいは、バケツも持ってくんだよ」。


 「バケツは重いからやだ。」 と僕は言った。

「行きはからっぽでしょ。」

 さの先生はもっとなんか言いたそうにしたけど、

あとはもう何も言わないで黙って僕にバケツを押しつけた。 


前庭に行ったら、まりこやようこがなわとびしてた。

 ずるいぞー。おれらバケツもってきてやったんだぞー。 


それを聞いて、ふたりともなわとびをテラスの道具入れにしまいにいった。


 えみちゃんとせいこが給食のおかだ先生からみんなの分の今日のおやつの袋をもらってるのが見えた。


 きりん組のとも君が走ってきた。 「今日のおさんぽ?どこ行くのー?」

 「今日はらいおんさんだけ行くからね。どじょうとってくるからね。」

さの先生がえみちゃんから手渡されたおやつのふくろをリュックにつめながら言った。


「うん、ぼくどろだんごしよ!」 と とも君は走っていく。

 そうだ。僕もきのう かちんかちんの泥だんご作っって、テラスの下に隠したんだっけ。ちょっと見にいこうとしたら、


「けい!ほれ 行くよ。先頭は今日はけいちゃん!」と

さの先生の大きな声で引き戻された。


「みんな、着替えとビニール袋、入ってるよね、しゅっぱーつ」


ぼくが先頭 その後ろに さの先生が。その横にかっちゃん、その後に大きいらいおんさんたち全員が続く。しま先生が一番後ろ。 


園のすぐ目の前は…畑。 その畝の間を大きいらいおんたちはつっきっていく。

 だだだだだーん すすめー と歌いながら行く。

畑の際からはちょっとした山越えだ。手もつかってよじ登る。

てっぺんまで行くと今まで見えなかった景色が広がる。 

栗やらどんぐりやらたきぎをひろいにくる林の向こうを下りれば

たんぼが広がり、その真中に川が流れている。


川といっても田んぼの用水路といったほうがふさわしい。2メートルぐらいの幅だ。 今歩いてきた保育園側の地域と向こう側の高台の地域に挟まれたこの低湿地帯を村の人はまむし谷と呼んでいた。


 向こう側にぼくの家がある。かあさんははへびが怖いから、めったにここには来ない。でも、先生達は全然気にしてないみたいだ。


 川につくと、ようこはすぐにくつをぬいでばしゃんと足を中につっこんで

 「ひゃーっこー、きもちいいー。」とこっちを向き

 「けいちゃんもおいで」と言ったけど、ぼくは知らん顔をした。


川といっても とっても幅が狭い所でそう深くもない。


 「らいおんさーん、あっちの橋のとこまでと、さっき、土手を降りてきたあそこのとこ」 と、先生は今来たほうに手を伸ばした。


「あそこまでしか、行ったらだめだよ。佐野先生は橋のそばでどじょう探すっからね。ほら!けい 一緒にいこ」


 僕は靴をぬぎたくなかった。さの先生はそんなぼくに

「じゃ せんせはどじょうすくいしよ。 どじょうをおいつめてくれる子は誰かなあ?」

といってながーいながぐつでじゃばっと川に入っていった。


「おいら やるー」たっくんや、まりこが先生に続いた。

持っていたざるを土手に置いて僕はただ立っていた。土手の草は泥に汚れて倒れていた。


「ざりがにとってこよーな」と

こうじとかっちゃんがたんぼのあぜを走っていった。

かっちゃん来るの嫌がってたのに。ぬるっとした泥がいやだって言ってたのに。


そのうち そばにいたえみちゃんが、川に手をつっこみ石をひろってざるにいれはじめた。

えみちゃんもあんまり好きじゃないんだ、川遊び。

でもそのうち えみちゃんもくつをぬいで川にそろっとはいっていった。


「きれいな石みつけた。」とえみちゃんがほれっと手をさしだした。 

えみちゃんがひろいあげたまんまるい石は

陽射しをあびて一瞬きらっと光った。 


「すごい!」と言ったぼくにえみちゃんは「あげる?」と言い、

思わず靴をぬいで川に入ったぼくの手に

あっさりとその石を乗せてくれた。


まん丸のつるつる。

青に見えたり緑に見えたり光にあてると透き通ってるようだ。 

でも水にいれてみると真っ白になった。


「いた、いた、いた。!」さの先生が叫んだ。みんないっせいに先生のほうを向いた。「でっかいのがいる」先生は自分で大きい声を出したのに、みんなには静かにっていうジェスチャーをした。

 先生はざるを川の中に入れそれを両手にしっかり持って川をにらんでいる。


 僕はえみちゃんにもらった石を持ったまま、先生のほうに行こうと右足をふみだしたら、ずぶっとひざくらいまではまった。

あせって右足をあげようとしたら今度は左足がひざよりも深くしずんでしまった。


えみちゃんが「けいちゃん!」とさけんだので、先生がこっちをふりむいた。


けい!とみんなが寄ってくるのが見えたのが最後。


気がついたら、目の前に何かがちくちくうるさくさわっていた。


どじょうのひげ!

それを払いのけようとしたら、

えみちゃんのくれた石がどじょうの頭にあたってしまった。


いたっ! と聞こえた気がした。


「だからこんなとこまでくるのは嫌だったんだ。人間の子どもは大嫌いだ。こんなほうまで流れるわきゃあないんだ。」 

ぶつんぶつぶつぶつ文句をたれながら、そのどじょうはぼくのほうを見た。


どじょうは、そいつはものすごく大きいどじょうで、

なまずみたいに頭でっかちだった。


「いったいぜんたい何してくれるんだ。痛いじゃないか。」

大どじょうがしゃべっている。


ぼくが ごめん、わざとじゃないんだと心で思ったら、

大どじょうは「ごめんですめばけっこうだわい。」と「ふんだりけったりだ、なんて日だ、こんな事故にまであって、こんなことはしてられないんだ」と


ぼくの周りをひとまわりして行ってしまいそうになった。


が「おおっと!それそれ」と大どじょうは僕の手にひげをからませた。

これはこれは、おまえがもっているもの、ご本尊様じゃ。やっと見つけた。

それがなければ困る。さあ返しなさい。みんなが途方にくれてるんだ。」


どじょうの目玉が 僕の目の前で光っている。


「途方にくれるって?」

「みんな 頼みにしているものが消えたんで困っているのだ」


「でもこれ、えみちゃんがみつけて僕にくれたんだ。」

「それはもともと えみちゃんのではない。わしらの大切なご本尊さまじゃ」


「じゃあどうしてちゃんとしまってなかったんだよ。大事だったら、じぶんできちっとしまっておけばよかったじゃないか!かあさんはいつもそういって怒るよ。」

「かあさんはないつも怒ってるもんなんじゃ。それが仕事だからな。」と


大どじょうはけいの目の前で頭をふった。そして続けた。


「おとつい大雨がふったじゃろ。あの日にやんちゃぼうずどもが祭壇の前でおおさわぎしてな。

いやはやぼうずどもはいつもと違うと興奮するのさ。みんなで輪くぐり遊びをしているうちに祭壇につっこんでしまいよった。

祭ってあったご本尊様はころころころと。

強い流れにのってたちまちお姿をお隠しになってしまったのだよ。」


どじょうは、けいの手の石に鼻先をつけひげでなでるようにした。

けいはおもわず、石を後ろにひっこめた。


「こりゃ、ご本尊をかえしておくれ」

どじょうはあわててくるっと一回りした。

その勢いでけいは後ろにしりもちをついた。


「だいじょうぶか? おまえわしらの仲間を…そのなんだな…とったことがあるか?」

大どじょうはものすごく言いにくそうに聞いた。


「ううん。」ぼくはしりもちをついたままかぶりをふった。

「ぼく、たっくんみたいにうまくとれないんだ。」


大どじょうはそれを聞いてさも嫌そうに口をへの字にした。

「あ、ごめん、でも、先生たちはどじょうをたくさん取った子をほめる。」


 大どじょうはものすごく顔をしかめたのであわてて ぼくは


「ごめんごめん。もう言わないよ。とるなんて。」と謝った。

大どじょうはへの字をもっととんがらせた。


「それで おまえは わしらの仲間をその、なんだな、とったことはないと。それはたぶん本当だろうな。はしっこい子ならばすぐにしりもちなんかつかない。

相当はしっこくないとわしらはつかまらない」


ぼくは、ものすごく傷ついた。


ご本尊様だかなんだかしらないが返してやるもんか。そしてたちあがって言った。


「これは僕のもの。かえさない。」

「そうか。おまえ名前は?」


「けい。慧だよ。おまえは」

「おまえ…か。」大どじょうは苦笑した。ように見えた。


「わしはな、どじょうの世界のな、つながりじゃ。」

「つながり。それ名前?いちばんえらいの?」


「いちばんではない。だがわしらの世界を守らならん役目じゃ。」

大どじょうはぼくの体にまきつくように近づいた。

「ご本尊様がなくなると、困るのじゃ。そこにすべてのおさまりがつまっているのだから。」


すぐそばに 『つながり』の目があった。


「おさまり?」

「そうだ。それがないとなみんな自分がわからなくなってしまう。早くにもどさないと。」


「自分がわからなくなる?」

「ご本尊様はな、わしらにとってはよりどころなんじゃ。わしらにはな、人間の社会にある家族というものはないんだよ。

それぞれひとりで生きていく。おさまりの定めの通りな」


「だから、なんでそんな大事なものをなくすんだよ」。

ぼくはしつこくまた聞いた。


「あの日はな、特別の日でな。田植えの前の静かな日々を感謝する日に決まっておった。だが、大雨になって、この川も何年ぶりかの急流になってな。

つかさとわしの意見がくいちがったためにそのことに心を奪われて肝心なことがぬけてしまった。ご本尊様の厨子を固定するのをな。

わしの生涯一度のミスだよなあ。」


大どじょうのくちぶりがえらそうじゃなくなってきた。

「わしもそろそろ年かもしれん。忘れることが多くなってきた。つかさの言うとおりもう潮時かもしれんなあ。」


「潮時って?」

「ちょうどの時っていうやつだな。若いもんにゆずれっていうことじゃ。


ご本尊が逃げ出したのも そのことをわからせるためかもなあ」えらそうな声がすっかり変わって弱弱しかった。


大どじょうはじーっとしたまま動かなくなってしまった。

深い考えに沈んでいるのか、ぼくはたまらなくかわいそうになってきた。

このでっかいどじょうが。


「『つながり』さん!」

ぼくは、石を持たない手で そおっと 大どじょうの体をさわった。


びくっと 体が動いて「ああーっ」とのびをし、(そんなふうに見えたのだ)

それからハッと体を固くした。「まずい、また眠ってしまったようだ。」とうろたえてひげをちぢこませた。

「なんだ、考えてたんじゃないの?!」


ぼくは拍子抜けしてちょっと腹がたった。

でもなんだかこの『つながり』さんには優しくしなければと


「ねえ、つながりさん、きっと とても疲れてるんだと思うよ。とうさんだっていつもしんどいって言ってる。

つながりさんはひゃくさいは超えてるんだよね。ずーっとみんなのこと守ってきたんでしょ。」


そして しっかりにぎっていた丸い玉を 大どじょうの顔の前にさしだした。

「ほら、返すから おうちに帰ってもう他の人に守ってもらって、つながりさんはゆっくりお昼寝しなね」


大どじょうの目がゆっくり閉じて 今度はすぐに開き目からぽろっとまんまるい涙がこぼれ、水の中で虹色に光って ぼくの手の中に落ちた。


「ご本尊はな先祖代々の涙のかたまりなんだ。太古からのな。相手を心から大切に思えたときにこぼれおちる」

そう言ってぼくの手に顔を寄せ 

大きく口をあけて 真ん丸い大きい玉をぱくっとくわえてのみこんだ。

  

ぼくの手には まるでビー玉のようなちいさい玉だけがが残った。


「飲みこんでしまうの?だいじょうぶなの?」

「容易には飲みこめん。受け入れることは難しいからな。

だがまずはな、いったん飲み込むんだ。最初はつっかえるが、そうじゃな、わしも最初は痛くて、涙が出て 何度も何度もはきだしたものじゃよ。」


つながりさんは 顔をしかめて頭を左右に振った。

「だがそのうちにするっと飲み込めるようになる。ふしぎな感覚じゃ。

そして飲み込むたびに大きくなるんじゃ、体が。」

「でもそれをまたはきだすんでしょ。」とぼくは聞いた。


「そうだ。いったん飲み込めたものは 出てくる時は案外簡単なんじゃ。

お祭りや、村に何か事が起こった時にはそうやって いったんわしが、

良いことも災いもぜんぶつまったご本尊をこの体に受け入れるのじゃ。

そしてな、また 厨子にもどしておまつりしておく」


少し目をつぶってから つながりさんは 大きくため息をついた。 


「のみこむことも大儀だったが、与えることはもっと難しいかもしれんなあ」と独り言のように言った。


 だがすぐにつながりさんは ばしゃんと尾びれをたたくように横にふり、出会った時のようにまた大きなえらそう声で

「そうだ、早く帰って みんなにご本尊の無事を知らせねばならん。


そして一刻も早くつかさに与えることにしよう。与えることは受け入れることよりまたいちだんと難しい儀式があるのじゃ。

つかさは受け入れることができるじゃろうか‥」


大どじょうは またぼくが目の前にいることを忘れてしまっているように、ぶつぶつひとりごとを言い始めた。


「つながりさん、つながり大明神さん!」なぜだかぼくはそう呼んでいた。

大どじょうはぼくの呼びかけにようやくぼくのことを思い出したようだった。


「おお、けい、おまえのおかげで決心がついたよ。あとはつかさにすべてをたくそう。」


「けいの身におきることはすべてその手の中の玉に吸い込まれる。それがおまえの命玉だ。悲しいことはそこに全部吸い取ってもらえ。」


おそるおそるぼくは聞いた「これのみこまなくっちゃ だめ?」


大どじょうは少し笑って のように見えた。


「いーや、のみこむには まだまだ早い。今はそのポケットにでもいれておけばよい。やがて見えなくなるがな。

だが目に見えなくてもいつも慧のそばにあるのだから」

よくわかんなかったけど言うとおりに、ぼくは 玉をズボンのポケットに入れた。

「ありがとう。」とぼくが言うと、


「いや、わしのほうこそな。」と言って大どじょうはぼくに体をくるっと巻きつけ、そしてすぐに離れて後ろ向きになった。

「かえらなくちゃなあ、

ほれ、あの迫力あるおなごにつかまってしまったらもともこもない。」


さの先生のことだ。


「こっちに来るぞ。慧を呼んでいる。行け!じゃあな」


「けい!けい!けいっ!」


上からのぞいているさの先生の顔が、ぼくのすぐそばにあった。


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