四章 異端の村

37 青い揺らめきの先へ、先へ

 岩壁に、湖から反射した水面が青く輝いて揺れている。光源が失われ壁しかない場所でも、原理は分からないが淡く、青い光が水底から放たれているようだった。洞窟全体が柔らかな水晶で覆われているかのような――そんな幻想的とも、はかないとも言える空間を生んでいる一方で、未知の光が揺れる度に警戒心も湧いてくる。


 そんな警戒も少し広い場所に辿り着いた事で多少は削がれたが、先ほどの道と同じ、明かりは水底から放たれた光しかない。洞窟ではあるが空洞がいくつもある訳でもなく、奥へと続いている道は一本道のようだ。それにどこから流れて来ているのか、天井からは水滴が落ちているせいで小雨が降り続いているようでもあった。

 光があれど日光には当たっていないせいか、植物が根を張っている様子もない。荒野の日射しから逃れたとしても、したたかな菌糸類さえ上から下へと流れる水に流され、この場所で根付く事は許されなかったらしい。


「綺麗だけど、何の光だろうねぇ」

 淡い光が揺れているのを見て、アイラが水を覗き込むと赤毛の青年が覗き返している。水鏡には、アイラの背後で眼鏡の男が顔をしかめていた。

「魔力を感じるな……飲むなよ、どう作用するか分からんからな」

「そうですね、水も綺麗ですけど……何が混ざっているか、分かりませんし」

「まっ、確かにね」

 そうアイラが訝し気な顔をしながらも、屈むと指先で水面に触れる。指を離すと、小さな渦が指先から水面まで巻き起こり、アイラが立ち上がると同時に消えていった。手を振って、水を軽く払う。

「魔力の純度が高いねぇ、長い年月をかけてこうなったのかも」

「……とりあえず、先に魔物が潜んでは無さそうだ」

 眼鏡を弄りながらマットが辺りや先の道へと目を向けてそう言った。だが、すぐにミーシャがこちらをじっと見上げている事に気が付く。

「なんだ?」

「あっ、いえ……便利そうですよね、その眼鏡」

「あぁ……あの魔女から貰ったんだが、結構便利だ」

 ミーシャの視線の先が何かに気が付くと、マットは眼鏡を外して見せる。

「見えすぎると混乱するだろうからと言われてな、そんなに精度は高くないんだが……目視出来る範囲になら人間でない者が居るなら判別が付く」

 思い出すかのようにそこまで言った後、湿気のせいか少々くもってしまった眼鏡を軽く布で拭って、再びかけた。

「いいなぁ、アタシもチェイシーちゃんに作って貰えば良かった……モノクルとかお洒落かも!」

「お前は常に一斬達と一緒だろう? 要らないんじゃないか?」

「えぇ~、なんかずるいよ、マットだけ。ねぇ、ミーシャちゃん?」

「えっ?」

 笑顔でアイラに振られると、自分へ話が振られると思っていなかったのかミーシャが驚いた顔を見せた。マットが呆れたような顔をしては眉を寄せる。

「ミーシャを困らせるな。それに緊張感を持たんか」

「だってぇ、水の中に魔物も居なさそうだし……あんまり警戒し過ぎても疲れるでしょ?」

「……先を急ぐぞ」

 マットは素っ気なく返すと二人へと背を向け、先を歩き始めた。アイラはまだまだ緊張した様子のミーシャに肩をすくめて笑って見せた。

「お堅いんだよねぇ」

「真面目なんですよ」

「あらっ、アタシが不真面目だって言いたいの?」

「そ、そうじゃないです!」

 からかい混じりの言葉にミーシャは慌てて首を振る。そんな焦った様子を見て、アイラは子供のようにからからと明るく笑って「冗談よぉ!」と笑った。

「皆、真面目さんだからねぇ。アタシみたいなのが居ないと、すーぐバテちゃいそうなんだから」

 そう言うとアイラはミーシャの緊張を解すかのように、背中をぽんと軽く押した。

「さっ、行きましょ。あの堅物かたぶつ一人だと、足滑らせて川に落ちちゃいそうだもの!」

「……そう、ですね」

 ウィンクして見せるアイラにミーシャも肩の力が抜けたのか、ほんの少し笑顔を浮かべて返した。


 三人がさらに奥へ進むと今度は青の光と別の……日射しが射し込んでいるのが遠くからでも見えた。思わず足早に近づくと、広い地底湖の天井にだけ大きな穴が開いている。壁が見える事からも日陰である事が分かり、柔らかな日の光もあるせいか、今度は植物が根を下ろしていた。湖の底には苔らしきものも揺れている。

 しかし、先へ続く道はない――


「行き止まりか……」


 その事に気が付いたマットの声は、どこか落胆らくたんしているかのようだった。

「そうとも限らないよ? アタシちょっとあそこ見て来るねー」

「あっ、おい!」

 マットから止めるより先にアイラが湖に足を踏み出し――水に落ちるはずの足は水面で止まっていた。二人が声を掛ける前にアイラはそこに床でもあるかのように水面を歩いて行く。そして中央までくると上を見上げ、湖の中心で立ち止まり……しばらくしてから戻って来た。

「上は出てすぐ崖っぽいよー、アレを登るのは無理そう」

「お前なぁ……」

「何さ、魔物は居なかったでしょ?」

 マットに睨み付けられても、アイラは悪びれもなく言って見せた。

「というか……ミーシャちゃんは何してんの?」

「むっ?」

 言われて気が付いたのかマットが振り返ると、ミーシャは何やら足元をじっと見つめ、前のめりになりつつ植物を観察しているだった。


「ミーシャ、何かあったのか?」

 二人が近寄ると、ミーシャはそこで自分が夢中になっている事に気が付いたのか顔を上げた。

「あっ、その……ログナの葉が多いのが気になって」

「ログナの葉……あの、服にやたらと貼り付くやつか?」

「そうです。煎じて飲むとお腹の薬になるんですけど……」

 そう言ってミーシャが指した先には、小さな棘の生えた種をいくつも付けた植物が群生している。

「種は潰した時に粘着性の糸と汁が出て、この汁は皮膚に触れるとかゆみを呼ぶんです」

「それがどうかしたのか?」

「……なーるほど〝道に迷ったらログナの道へ行け〟だね?」

「はい」

 ミーシャが頷いて見せる。話を聞いていたアイラは納得した様子だが、マットはまだ呑み込めていないようだった。

「どういう意味だ?」

「聞いた事ない? 旅人の常套句じょうとうくなんだけど」

「……聞いた事はあるんだが……聖騎士は普段、野営などはしないからな」

 知らない事が悔しいのか、眉を寄せながらもマットはログナの葉を半ば睨むように見つめた。二人の話が一度途切れたところで、ミーシャは話を続ける。


「えっと、このログナの葉は風で運ばれるような植物ではなく、人の足や動物の毛にくっついて行きながら遠くへ運んで貰います。痒みは、毛を搔いたりして貰って地面へ落として貰うためです。だから……そもそも、生き物が居ない場所には生えないんです」

「これが生えてるってことは、生き物がここを通ってるってことなのよ。しかも布を着た人や、毛のある動物がね。そしてログナの葉の道を行けば、旅人は大きな道や、町へ続く道へ行けるっていうこと」


 二人の話を聞いたマットは「成程なるほど」と納得したように呟いて、しかし何か考えているような仕草をして見せ……段々とその表情は険しくなった。

「……スピリットを操っている者が居るかもしれないのか?」

「そう、ですね……ログナの葉は、あっちに続いてます」

「んー? でもどう見ても壁じゃない?」

 不安げにミーシャがログナの葉で出来上がった道を指すと、そこには他と同様、柔らかな日射しと水の光で照らされた岩壁があるだけだ。しかし、マットが草を踏み締めながら用心深く歩いていき、緩慢かんまんな動作で壁に触れる。そして、視線を下げると――不意に盾を構えた。


「<聖杯の一滴イヴァレ・ルハラ>」


 盾へと集まった光が十字の形になり、そのまま壁へと放たれる。十字の光に触れ、照らされ続けた壁は――徐々に薄れいき、まるで最初から壁など無かったかのように、そこには空洞が出来上がっていた。

 後ろからマットに追いついたアイラとミーシャの二人が新しく出来上がった穴を覗き込む。奥に光はなく、様子は分からないが――壁に掛けられている火の消えた松明が、人の手が入っていた事を教えていた。

「……幻覚?」

「だな……しかも触れても分からない類のものだ。魔力の気も、水の魔力に混ぜれば感知もされ難いだろう」

「なんで分かったの?」

「この壁の下にだけ、草が生えていなかった」

 そう言われてアイラとミーシャが辺りを見れば、確かに他の壁には植物が蔦を伸ばしている。だが三人が立って居る場所には、そのように壁へと根を張ろうとしている草はなかった。

 先を見ていたマットは屈むと荷物からランプと、硝子の中に炎が揺らめいているかのような石を二つ取り出した。不思議な輝きを放つ石はミーシャも見覚えがある――炎の魔法石だ。マットが二つの魔法石を軽くぶつけると、火花が小さく散り蝋燭に火を灯す。

 ランプに火が付いた事を確認すると、二人へと振り返った。

「とにかく、進んでみよう。ここで待っていたとしても戻ったとしても、救援は期待できるかも分からんからな……明かりになるようなものは?」

「アタシちっちゃいけど、光の魔法石なら」

「私、ランプがあります」

 ミーシャが取り出したのは一斬に貰ったランプ、アイラが取り出したのは掌ほどしかない、淡い光を放つ魔法石だ。アイラの魔法石は光源にするにしては若干乏しい光ではあるが……マットは「まぁいい」と言ってミーシャの方を見る。

「念のためだ、ここからはそれぞれ明かりを持っておこう」

「分かりました」

 傍に置かれたミーシャのランプにも火を付けると、マットは立ち上がって魔法石を仕舞う。右手の剣の代わりにランプを持ち、左手には盾を構えておく。


「さぁ、行くぞ」

 僅かな明かりを持って三人は、暗く、湿った洞窟の奥へさらに進んで行った。

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