36 地から這い出す者

「……随分と呆気なかったな」

 ズィーガの亡骸なきがらの肩から刀を引き抜くと、一斬は血を拭い、鞘へと仕舞う。

 渓谷を支配していたドラゴンは、指一本動かさず、生気も無ければ息をしている様子もない。完全に事切れたというのに、各々の不安と妙な胸騒ぎが治まる様子は無かった。

「おかしいねぇ……」

 タイタニラはそう言って眉を寄せて、今は動かなくなった統率者の亡骸を見つめては何やら考えている様子だ。

 しかし――そんな思考は背後から聞こえた声により中断された。


「キャッ!?」

「何これ!?」


 唐突に聞こえた悲鳴に、一斬達は声のした方を見た。そこには地面に足が埋まっている――そうとしか言いようがない、ミーシャ、アイラ、マットの三人が焦った様子で必死に足を引き抜こうと藻掻いていた。だが、藻掻もがけば藻掻くほどまるで底なし沼にでも落ちたかのように沈んでいく。

 呆気に取られたのは一瞬で、チェイシーがすぐさま三人の傍まで転移するとまずはミーシャの手を掴もうとして――その手は宙を掴んだ。驚いたチェイシーの眼下には引きずり込むかのように、無数の黒い手がミーシャの肩を引っ張っている。固いはずの地面をまるで水のように掻き分けている体に、再びチェイシーが手を伸ばした瞬間――


「<聖なる導き手イヴァレ・テラン>!」


 そうマットの声がした直後、辺りに閃光が放たれた。チェイシーが、咄嗟とっさに目を閉じる――そして、瞼を開けた時には……既に三人の姿は消えてしまっていた。

「……仕方がないとは言え、嫌なタイミングで使ってくれたわね、マット」

 悪態あくたいのようにそう呟いて、三人の消えてしまった地面見つめ、指でなぞった。急いで一斬達も駆け寄って来る。地面を見つめ、いつになく焦った様子で「どういう事だ」とリーンシアが顔をしかめた。

「何が起こったんだ?」

「一種の転移魔法よ。どこに飛ばされたかは分からないけど……そんなに遠くへは行けないと思うわ」

「なら、今すぐ探しに――」

 リーンシアの言葉が途切れる――獣染みたしゃがれた呻き声が聞こえた。振り返れば、既に命を絶たれたはずのズィーガが……体を起こし始めていたのだ。


「なっ……!?」

 驚愕の色を浮かべながらも一斬は刀身を抜いて見せ、それぞれも困惑しながらも武器を構える。しかし呻き声はズィーガ一匹だけのものではなかった。


「なんなんだこいつら……!?」

 地面から手が這いずり出て来る。ただの手ではない――既に肉は削がれ、白骨化した手が一本、二本……次々と固いはずの地面を割り、かたかたと歯を鳴らしては一斬達の方へと空洞の目を向ける。骨の内側からは内臓や肉の代わりに青く淡い色の炎が揺れている。


 そして巨体を起こしたズィーガの口、そして目からも同じ色の炎が漏れるように光を放っていた。先ほどまであったはずの丸い瞳は見えないが、その双眸は青い炎の向こうから敵意を持って一斬達を睨んでいるようにも思えた。

「ギィイィッ!」

「シャァアッ!」

 さらに空から降って来るのは、昨日一斬達が仕留めたはずのドラゴン達だった。こちらも、ズィーガと同じように青い炎を放ち、中には翼が無いにも関わらず、肉の千切れた場所から炎を迸らせ空を飛んでいた者すら居た。


「こいつら……アンデッドか!」

 魔素に満たされた体から感じる気配に、一斬がそう呟いた。四人はそれぞれが互いの背を守るように立ち、武器を構えている。

「操ってる奴の気配は?」

「しないわ」

 一斬が背を預けているチェイシーに尋ねると短く返事を寄こした。

「ってことは自然に発生したか」

「それにしては速すぎるわね。それほどまで恨みの強い悪霊が多かったのか、もしくは何か作用してるか――」

「めんどくさいし、全員ぶちのめしていいかい?」

 タイタニラが不敵に笑って斧をズィーガへ向ける。その表情は笑みを浮かべているにも関わらず、ズィーガを睨む眼差しには怒りも含まれていた。

「アタシにとっちゃ、死者の体を使って悪さするってのが気に入らないね。さっさと楽にしてやるべきだ」

「……盛り上がってるところ悪いけど」

 若干呆れたような口振りで、チェイシーがタイタニラの腕へと触れた。

「三人を探すのが先よ」

「へ?」

 緊迫した状況にも関わらず、間の抜けた声を上げたタイタニラを無視して、チェイシーは意識を集中させる。魔力が集まっていく――その動きに気が付き、アンデッド達が攻撃を仕掛けようとした時には、四人の姿は忽然こつぜんと消え失せた。


「ゴオォオォ……!」

 夕暮れに染まり始めた渓谷に、憎しみに満ちた支配者の声が響き渡った。


       *


 ――落ちている。


 ミーシャ達三人の体はどこかへと落ちていた。赤土に包まれた荒野、砂利と木々に囲まれた渓谷、その二つとは違う。辺りは暗闇に包まれているが、ミーシャからはマットやアイラの姿が見えている。手も足も何も触れていないというのに、落ちていても肌には風すら感じない。

 いつまで落ちていくのか――そんな不安がミーシャの心を蝕んでいくと、不意に視界が開けた。


 天井の割れ目から光が射し、さらに水が反射しているのか、水面の揺らぎを鏡のように映した白い岩壁、そして天井からは同じ色をした氷柱つららのように削られた岩がぶら下がっており、その壁を這うのは僅かな日の光を浴びて伸びている植物や、キノコ。眼下に広がるのは乳白色の美しい湖。空気は冷えており、暑さを感じていたミーシャの体から熱が消えていく。


 落ちているというのにそれを忘れ、目を奪われる光景――だが不意に視界は捻じ曲がり、歪んでいった。それもそのはず、大量の水がいつの間にかミーシャの体を包んでいた。


 ――息が出来ない。


 口から大量の泡が出て行ったが、それも束の間――地面にミーシャを包んだ水が触れたかと思えば、辺りに水を撒き散らし弾けた。おかげで地面へ体を強打する事なく、体がずぶ濡れになるだけで済んだようだった。

「けほっ、けほっ……!」

 水を少量飲み込んでしまい、むせせたミーシャに慌てた様子で同じように水に濡れたアイラが駆け寄って来た。ミーシャの近くに居たマットも同じような状態で、水を滴らせながら噎せている。

「二人とも大丈夫!?」

「けほ、アイラさ……」

「ごめんねぇ、ミーシャちゃん! 地面に激突するって思ったら言う暇なくて……」

 申し訳なさそうに謝るアイラに、ミーシャは咳を抑えながらも緩慢かんまんな動きで首を横へ振った。

「いえ……ありがとうございます、おかげで助かりました。でも……ここどこなんでしょう?」

 深呼吸し、息を整えたミーシャが顔を上げる。見上げてみれば日は射してるものの、人が通れるほどの隙間ではないようだった。

「おそらくだが……渓谷内にある洞窟だろう」

 マットが辺りを見渡しながらも二人の傍まで歩いて来る。軽く水を拭った後で眼鏡を再び掛け直した。そんなマットの言葉にアイラが首を傾げる。

「なんで分かんの?」

「アレはおそらくだがスピリットだ。そんなに強い念は感じなかったが、奴らに人間を遠い場所へ運ぶほどの力はない。先ほど、俺の魔法で消滅はしたようだしな」

「……アタシちらっと見えたけど、チェイシーちゃんが助けようとしてくれたタイミングで魔法使わなかった?」

 少々睨むように凝視ぎょうししてくるアイラに、マットはバツが悪そうな顔を見せた。

「むぅ……あのままでは間に合う気がしなかったからな。せめて追い払おうと思ったのだ」

「あの、ありがとうございます。マットさん、私たぶん間に合ってませんでしたから……」

「むっ……うむ、大事が無くて良かったな」

「……うーん。ま、いっか、皆無事だったしね」

 ミーシャが頭を下げ、マットが悪気もなく答えると、アイラは毒気どくけを抜かれたのか、苦笑しながらも不思議そうに辺りを見渡した。

「それにしても、なんでアタシ達だけ連れて来られたんだろ?」

「亜人ではなく、人間だけを狙った可能性があるが……俺達は固まっていたから、目的は分からんな」

「まぁ……気が付いたら岩の中に居る! って事にならくて良かったね、ほんと」

「それは……さっき真っ暗な中に居る時、ちょっと思いました。ここって壁の中なのかなって……スピリットって、こんな事をするんですか?」

「いや、奴らは物に取り憑いて操るくらいしか出来ん。こんな魔法が関わるような真似は――操っている者が居なければ難しいだろうな」

 最後に低くそう言ったマットは途端に顔を険しくさせて、地底湖、壁と視線を忙しなく動かす。すると、水の流れに沿って奥へと続いている細い道を見つめた。視線を止め、じっと観察するかのように目を細めた。

「とにかく何者かが潜んでいるかもしれない以上は、一刻も早く脱出せねばな……アイラ、先は任せていいか?」

「オッケー、その代わり殿しんがりは任せるよ」

「ミーシャはそれでいいか?」

「は、はい。構いません」

「では、行くぞ」

 三人は顔を見合わせた後、一列に並び、水で滑り易くなっているだろう川沿いの道を注意深く歩き始めた。奥へ奥へと続いて行く、青白く光り輝く道は美しいが――その反面、悪寒が体を這う気がした。

 天井から滴った水が落ち跳ねる音と、奥へ進む三人分の足音が静かに洞窟へ響いていった。

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