18 追憶:二頁目
「親父、これ……向こうで、俺が打ったやつなんだ」
黙って志乃斬は目の前に置かれた刀を手に取った。
西術国から採れたという特殊な鋼とこの国で採れた鋼は上手く混ざり合ったらしく、光を当てると表面が微かではあるが青く光って見えた。刃先は鋭く、
志乃斬の目が細められる。しばらく家族全員が黙り、
「……良い刀だ」
志乃斬がその刀をひっくり返しては上から下へ、何度も見た後で戻し、ポツリと呟くようにそう言った。その呟きに断斬は驚いた表情を見せ――すぐさま心底嬉しそうな顔で笑い出すと、近くに居た一斬と葉佩を思わず抱き締めていた。
「だが色々と爪が甘い、まだまだこれからだぞ」
「分かってる。でも……ほら一斬、これはお前にやるよ」
「俺に?」
まさか自分が貰えると思っておらず一斬は目を丸くした。
「そのつもりで打ったんだよこれ。お前の名前も銘のとこに入ってるんだ。少し早いが……十六になる祝いだ、受け取ってくれ」
鞘に納まった刀は重いが、あの頑固な父親が褒めたほどの刀を兄が打ったこと、そしてそれが自分の手にある事に高揚が隠せなかった。思わず、両手が強く鞘を握り締める。
「ありがとう、兄貴……大事にする」
「おう、後生大事にしてくれ」
照れ臭いのか誤魔化すように笑っている断斬と、一斬を交互に見て、葉佩が不貞腐れたように俯いた。
「いいなぁ、一斬兄さんだけ……」
「おいおい、葉佩の分も用意したぞ?」
そう言って取り出したのは一斬の持っている刀をそのまま短くしたような短刀だった。刃が青い光沢を放つのも一斬の刀と同じだ。
それを見た瞬間、パッと灯りをともしたように葉佩が笑った。
「ありがとう、断斬兄さん!」
「毬でもないのに……そんなに嬉しいもんか?」
「うん!」
葉佩が嬉しそうに頷いて胸に抱くようにして両手で短刀を抱える。不思議そうに妹を見ながらも、断斬も誇らしげに、微笑ましそうにそれを眺めていた。父親は複雑そうな顔をしていたが、母親はそんな父の顔に口元に手を当てては笑みを零す。
一斬にとっては、何よりも幸せな時間だった。
――その全てが壊れてしまったのは、たった一晩の事だった。
初めは外がおかしい事に気が付いた父親が外の様子を見に行った。
次に帰らぬ父を心配した兄が、刀を片手に外へと出て行った。
しばらくして雪崩れ込むようにやって来た化け物に、母が食われた。
母が自分の身を食わせる事で自分達を逃がし、妹の手を引いて必死に逃げた。
「兄さん、母様が、母様が……!!」
「分かってる葉佩、分かってるから……今は逃げるんだ!」
泣きじゃくっている妹の顔にまで血が飛び散っていた。鉄に似た、嫌な臭いがする。草鞋も履かずに飛び出したせいで、二人の足の皮膚が石や木の枝で裂けて酷く痛んだ。
「港近くまで行けば、人が居る場所にさえ行けば――!」
少し開けた場所に出た瞬間――何かが飛び出した。
「がぁっ――!」
「兄さん!」
葉佩が悲鳴を上げる。口を血だらけにした、人の骨格を残した巨大な狼が一斬の背を爪で切り裂き、目の前へと躍り出て来た。
――日昇国では動物の悪霊に憑かれ、姿形が変わる怪異が伝承として残っている。
(狼憑き……!)
似たような話は西術国に広く伝わる伝承で聞いた事があった。夜に人を喰らい続ける化け物だと……しかし、痛みと恐怖で震える手で一斬は握りしめていた刀を抜いた。
動けずただ泣きじゃくる妹の前で、もはや逃げる事は出来ないと悟った。口元にへばり付いた血は母のものなら――先に付いていた体や爪の血が誰のものかも考え付いてしまう。後に引けぬ覚悟によって一斬の身を包んだのは、恐怖と憎悪だった。
複雑な感情が絡み合い、その目から涙が
「うわぁあぁあ――ッ!!!」
当時、一斬はまだ少年から青年になったばかりだった。剣の腕も拙く、腕の力だって大人よりかは弱い。貰いたての刀は重く、振るにはあまりにも戦いに不慣れ過ぎた。だから、振った剣を狼はあっさり躱した。そして――無防備になった一斬に対し、爪を振り上げる。
その爪先が、顔を上げた一斬の頭を叩き割ろうとした。
「一斬――ッ!」
だが、振り下ろした爪先は地面を抉る。一斬の体を誰かが抱き締め、半ば転がるようにして狼の爪を避けていた。体を離すと、血だらけになりながらも見慣れた存在に、一斬の気が僅かに緩んだ。
「あに、き」
「無茶するなよ、一斬」
だが己を抱き締め、力無く笑った兄の姿を見て……一斬は言葉を失った。
――兄の左腕は、肘から先が無くなっていた。
「いいか、葉佩を連れて逃げろ」
持っていた刀を杖にするよう力を籠め、断斬が立ち上がる。無理やり止血した左腕から地面へと血が垂れ続けていくのを見て、一斬は思わず自分の持っていた刀を捨てて兄の足を掴んでいた。
「嫌、嫌だ兄貴……!」
「言う事を聞け!!」
いつも快活に笑っていた兄は鋭い声と怖ろしくも見える剣幕で一斬を怒鳴りつけた。そのまま狼へ向き直ると、残った右腕で堅く刀の柄を握り締める。
「だって、だって兄貴……これからだろ、これからが兄貴の……!」
「俺はもういい! お前らだけでも――」
獣の唸り声が聞こえた。血を滴らせる獲物を化け物が逃がすはずもない。一斬は
「がぁぁあぁ――ッ!!」
左肩へと化け物の牙が食い込んで激痛が走り、一斬は悲鳴を上げた。兄の顔が見えた。目を見開いて見る顔は、しかし次の瞬間にぼやけていた。視界が歪む。痛みからではない。何かが噛み付かれた傷から己に入り込んでいる――体が凍っていくような悪寒が走り、体をひねっては
「離せぇぇぇっ!!」
断斬が
『オ前、ジャな、い』
血だらけの口がそう呟いたのが、なぜか
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