17 追憶:一頁目

 ――カーン……カーン……


 朝を告げる鐘の音で青年の目は覚めた。何度か目を擦って、窓の隙間から漏れる日射しに少しぼんやりとしてから……その鐘が何を指すのか思い出すと急いで窓を開けた。硝子をめ込んだ望遠鏡を覗き込む。水平線の向こう側に一隻の船が悠々とこちらへ向かって来ているのが見えた。


 ――帆に描かれているのは巨大な盾に十字架が刻まれ、熾天使してんしのような六枚羽が生えた絵。


 ――西の巨大交易都市……エルクラット帝国を指す帆印ほじるしだ。


「着た……」


 小さく呟いた青年は急いで窓を閉めて羽織を着ると、階段を慌ただしく降りていく。かまどから煙が立ち上っては米をかす良い香りが居間に漂っている。とっくに起き上がっていたらしい青年の両親は、朝餉あさげの準備を始めているようだった。


「親父! 西術国エルクラットの船だ! 兄貴が乗ってるかも!!」

 朝の静けさとは場違いな声を上げた青年に、両親は目を丸くした。

「気が早すぎんだろ一斬、それよか朝の仕度手伝えっての」

 呆れた様子でそう言ったのは頭もろくに結ってもおらず無精髭ぶしょうひげの男だ。無視するように魚をさばいている背中に、青年……一斬は諦めていないのか父親の服を引っ張る。

「なぁ、港に行っていいだろ」

「もう一斬、どうせ荷下ろしもあるし、断斬たつきが帰って来るのは昼頃よ」

 次いで桃色の着物を着ていた女が起きたばかりで跳ねた頭を優しく撫でた。おかしそうにくすくすと笑った母親に、一斬は「母さん」と子供扱いされるのが嫌なのが頭を振って払う。

「おはよぉ、父様、母様……あれ、一斬兄さんもう起きてたの?」

 階段をゆっくりと降りて来たのは一斬と近い歳の少女だった。少々長めの肩まで伸びている黒髪は寝癖なのか元々なのか跳ねている。まだ眠そうに欠伸をしては、不思議そうに一斬の方を寝ぼけ眼で見つめていた。

「おう、葉佩はばき。おはようさん」

「一斬がね、西術国の船が着たから、早く港に行きたいって言ってるのよ」

「西術国……船!」

 少女――葉佩もぼんやりと話を聞いていたが、すぐに一斬と同じように目を輝かせた。何かを期待するよう駆け寄ってくる葉佩に、父親はめんどくさそうな顔をしたがお構いなしだ。

「断斬兄さんが帰って来たの!?」

「つかさ、余計な事言うんじゃねぇ」

「あらあら……怒られちゃったわ」

 窘めるようにして睨まれると、母親は困ったように笑って見せた。

「ねぇねぇ! 港に行こうよ!」

「だから帰って来てるか分からん上に、来るとしても昼頃だ! 朝飯が先だ手伝え!」


 エルクラットから遥か東に位置する国、日昇国にっしょうこく


 一斬の住んでいる町は近くの山から優良な鋼が取れ、港もある事もあって近くの国や遠くの国と交易を繰り返し発展していった。海に囲まれた島国だったが、幸いな事に攻め入るような国はなく、魔物……日昇国では「妖怪」と呼ばれている存在も数は決して多くはない。

 表に出れば既に人が働きに出かけている最中なのか、子供が手習い所に行くところなのか、少し急ぎ気味に人が往来していた。祭りでもあるかのように人々は何やら紙を持っては絶え間なく明るい声を上げている。

「西術国から来た魔法石はいらんかねー!」

「さぁさぁ、これは幸運の兆しが訪れると云われる西術国で取れた耳長猫みみながねこの足だ! 早いもん勝ちだよ!」


「人が多いねぇ」

「だろうなぁ、西術国の船には変わったもん摘んでるし、それを売りさばく奴も買う奴も多い」

 葉佩が辺りを見渡しているが、その少し後ろを歩いている父親は何やらうんざりした様子だった。すると、道行く人の中に「おぉい!」と手を振って数人の男が駆け寄って来た。

志乃斬しのぎさん、あんたこんな早く起きれたのか」

 からかい混じりにそう声を掛けられた父親……志乃斬は嫌そうな顔を少しも隠そうともしない。

「失敬な奴だなぁ……お前ら、こんな朝っぱらから何の用だ」

「いやな、お前さんとこの息子が帰って来るんじゃねぇかって皆言ってたんだよ」

 その言葉に父親……志乃斬の眉が動いて目は若干吊り上がったものの、周りの盛り上がりもあってか、男たちは志乃斬の表情には気が付かないようで少々興奮した様子で話しを続けた。

「西術国に修行しに行ったんだろ? よくもまぁ、あの大口おおぐち家の堅物かたぶつが行くの許したもんだなって……イッテェッ!?」

 笑い混じり喋っていた男の頭を志乃斬が平手で勢いよく叩いた。

「それ以上余計な口効くなら俺ン火床ほどでその口塞いでやるぞ」

 低く唸るような声に叩かれた男はたじろぎ、他の男達は引きった笑みを浮かべながら走り去って行った。

「ひぇーっ、おっかねぇ!」

「火にぶちこまれない内に行くぞ!」

「どいつもこいつも浮かれやがって、とっととけえれ!!」

「ちょっとあなた、止しなさいなこんな往来で」

 唾でも吐き捨てる勢いの志乃斬をつかさが止めに入った。呆れ混じりに腕を引くつかさに、志乃斬は眉を寄せると鼻を鳴らし、家族を置いて先を大股で歩き始めた。

「……本当に子供っぽいんだから」

「母様、父様怒ってるの?」

 深い溜息を漏らした母親の顔を心配そうに葉佩が見上げる。すると、つかさは困ったように笑って「違うわよ」と言って見せた。

「あの人は素直になれないだけ。さぁ行きましょう、放っておくとどんどん先に行っちゃうんだから」

「うん……ねぇ、母様。断斬兄さん、こっちにずっと居てくれるかな……?」

「手紙に書いてあったでしょう? もう西術国での修業は終わったって」

 つかさは葉佩の髪を撫でるとそのまま手を握って引いて歩き出す。黙っていた一斬も、二人の後を着いて行った。


 先を歩いていたはずの志乃斬は港の近くで足を止めていた。三人が追い付いたにも関わらず、何かをじっと見つめている。

「あっ」

 そこで葉佩が不意に声を上げた。荷下ろしをしている船員に混じって、短い黒髪の男が一人……不意に振り向いた。驚き――しかし葉佩達を見つけるとすぐに笑顔を見せ、早足で四人の方へと駆け寄って来た。

「なんだい親父達、もう来てたのか」

 息を弾ませて来たのは体躯がよく背も志乃斬より少し低いくらいの男だ。葉佩も嬉しそうに笑うと勢いを付けて男――断斬に抱き突いた。

「断斬兄さん!」

「おっと……葉佩! ははっ、久しぶりだなぁ!」

 抱き締め返して断斬はそのまま葉佩を抱き上げた。

「あんまり変わってなくて安心したぞ」

「えぇ? 少しは背が伸びたよ」

「そうか? なら俺もデカくなったのかね。一斬も変わらんなぁ」

「兄貴も全然変わってないな……その適当さ」

「おぉ、おぉ、言うようにはなったか!」

 断斬は豪快に笑った後、両親の目が向いているのに気が付くと葉佩を降ろして二人の方へと歩み寄って行く。そして……少し言葉を選ぶように間を置いてから口を開いた。

「親父もお袋も……久しぶり、元気そうでよかったよ」

「俺の顔なんて見たくなかっただろう、お前は」

「あなた」

「……その減らず口も相変わらずで安心したよ、親父」

 睨んでくる父親とそれを戒める母親を前にして、断斬は大きく溜息を零した後で諦めたように笑った。

「一斬兄さん、断斬兄さんと父様、大丈夫かな?」

 遠目から三人の様子を見ていた葉佩が、隣に居る一斬へと不安そうにそっと耳打ちする。一斬も葉佩へ合わせるように小声で返した。

「大丈夫さ、喧嘩なんてしょっちゅうだっただろ?」

「でも……また断斬兄さん、出て行っちゃわないかな」

「修行も終わったし、大丈夫だって……心配すんなよ、葉佩」

 不安そうにしている妹に一斬は手を伸ばすと頭を少し乱雑に撫でてやった。そうすると、葉佩は「止めてよー!」と言いながらも少し元気を取り戻したのか、おかしそうに笑い出した。

「いざとなったら俺も居るだろ? な?」

「……うん!」

 一斬の手を握り返して、葉佩は漸く安心したように頷いて見せた。

「おーい、二人ともー! 帰るぞー!」

「はぁい! 行こっ、一斬兄さん!」

「おい葉佩、引っ張るなって!」

 ぐっと両手で引っ張られ、一斬は転びそうになりながらも両親たちの元へと妹の手を握り締めながら走って行った。

「あ、そうだ。なぁ、俺の友達も家に呼んでいいだろ?」

「あら、友達が出来たの?」

「おう、アンドリューって言うんだ。世界中を旅して回ってて、強くてさ、剣の腕がたつんだ。ここら辺の宿取ってるんだと」

「……勝手にしろ」

「大丈夫だって親父、いい奴だからさ」

 そんな会話を聞きながら、家路いえじに向かっていく。港の魚でも狙っているのか、町の喧騒けんそうに混じって海鳥の鳴き声が聞こえてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る