12 歪な存在

 時間は遡り、聖騎士団本部の会議室。灯りはあれど窓のない部屋は少々薄暗く、どちらかと言えば地下にある部屋を連想させるような室内には、質のよさそうな机と椅子が置いてある。椅子は全部で十ほど、その内の二つにブライバークとミーシャは腰かけた。


「では、結果を聞こうか」


 目の前に座っているリーンシアに、ブライバークは頷いて貼られている小瓶を五つ取り出した。

「そもそも食人後っていうのは人狼から人には中々戻れない状態だから、捕まってた時点で人の状態だったはずがないんだけど」

「しかし、彼らは人の姿だった」

「無理やり戻ったとしてもかなり魔物としての性質が残るはず。だから血を調べてみたんだけど、私が見た限りでは血の濃さそのものは前に調べた時と変わってないようだったよ。カルテも見たけど、特に問題らしい点はない」

「そうか」

 短い返事ではあったがリーンシアの呟きにはどこか安堵したようなものがあった。しかしブライバークの方は「ただまぁ」と頬を搔いては難しい顔を見せる。

「イヒトって人の血だけはやはりというか――特殊でね」

「……聞こうか」

「まず、彼の血は聖水と混ざる。つまり魔物の血ではないという認識になってる。魔素も血からは出てこなかった。どちらかと言えば、君達――いわゆる精霊に近い人の性質に似てる。だから、とても人狼とは思えないんだよね」

「……にわかには受け入れがたい話だな」

 その話を聞いたリーンシアは何か考え込むように小瓶を見つめた。


 亜人の中には精霊に近い立ち位置でありながら、人として生活している存在も居る。エルフ、ドワーフ、ケットシーなど……これらの存在は精霊として特殊な存在であり、人と同じように生きながらも体の構造は人と多少違う。特徴的なのは外見が人と違う事。さらに魔素を体に持たず、代わりに魔力を人よりも多く体内に所有していることだ。


 事前に聞いていた話を思い出しながらも、ミーシャは改めて並んだ小瓶を見つめた。透明だった水――聖水の色が変化しているほど、人狼としての血が濃い証だ。一斬の血が一番濃く、他も色は濃さこそ様々だが染まっているにも関わらず――イヒトの血が入った聖水だけは透明なままだった。


「初めて見た時に、彼の体に魔素が全くないのが気になった。一斬だって他の人狼達だって少しは残ってるのに、彼は空っぽそのものだった。腕輪のせいかとも考えたよ。人狼に成り立てだったら、まだ魔素がない可能性もある。でも話とは矛盾しているし、血を調べてみると『彼は人狼ではない』という結果が出た」

 そこまで話して、ブライバークはお手上げといった様子で両手を上げて困り果てたように笑って見せた。

「分からない事が多いよ。なにせ私も初めての出来事でね」

「……もう一度、あの神父に話を聞いた方が良さそうだ」

「そうだね。もう拘束されて二日目……他の人にも一斬と似たような症状が出てるかもしれないし、魔素を回復させる必要があるかも……反対はしないよね?」

「それが必要な処置なら、私が責任を持とう」

「ありがとう、リーンシア」

「なら、行こうか」

「ミーシャちゃんもそれでいい?」

「あっ、はい!」

 話を聞いているだけだったミーシャはいきなり話しかけられると肩を跳ねさせ、慌てたように答えていた。

「……考え事かい?」

 ブライバークがどこかぼんやりとしているミーシャに尋ねると、彼女は少し間を置いてから頷いて見せた。

「その……全員、イヒトさんみたいだったら、人狼さん達も苦しくないのにって考えてて」

 穏やかな物腰に食人衝動もない。人狼全てがあのような状態だったのなら、そもそも一斬のように苦しむ必要は無くなるはずだ。少し俯いた少女の横顔に、ブライバークもミーシャのそんな考えが伝わったらしかった。だからこそ、慰めるように肩に優しく手を置く。

「私もその謎は解きたいよ、そうじゃないと人狼に噛まれた人も、噛み付いた人も苦しみ続ける事になる」

「そう、ですね」

「まぁ、そのためにもまずは彼らの様子を見に――」


 その時、突然会議室の扉が乱暴に叩かれる音が部屋に響き――ブライバークの言葉が途切れる。


 警戒を解かず急いでリーンシアが扉を開けると、聖騎士団の鎧を纏った若い青年が一人、倒れ込むように部屋へ入って来た。目を見開いたリーンシアが急いで青年の体を起こす。

 足に装甲は無く、無理やり装備を引き千切ったような跡とズボンの上から何かに引き裂かれたような――巨大な獣の爪痕らしきものがあった。しかし痛みに耐えるように荒い呼吸を繰り返しながらも、青年はリーンシアの顔を見て必死に言葉を話し始めた。

「り、リーンシア隊長……!」

「バスク、一体何があった!?」

 助けを求め、縋るようにバスクと呼ばれた青年がリーンシアの腕を掴んだ。

「い、遺体安置室にあった遺体が一斉に動き出して……!」

「なんだと……!?」

「他の隊も応戦しています……! ま、マットさんが残っていて……!」

「とにかく止血をしよう。君、足を見せて貰うよ」

 ブライバークが落ち着いた様子で青年に駆け寄り、ズボンの上から傷痕を確かめる。ズボンに付いた爪痕は五本、位置からして、走りながら後ろから足を狙われたらしい。

「相手は?」

 回復魔法をかけ傷を塞ぎながらも鋭い声でブライバークが尋ねる。すると、バスクは唇を震わせ始めた。

「じ、人狼でした……白い――全員、あの客間に居るはずなのになぜ……!」

 傷を負わされたせいか、恐怖からか痛みからか、バスクは体を震わせる。キツく閉じられる目尻には涙が溜まり始めていた。その様子を見て、リーンシアの表情は険しくなり、二人へと顔を上げた。

「私は遺体安置室に向かう。ブライバークはミーシャを連れてバスクと一緒に避難を。人狼達も連れて逃げてくれ」

「た、隊長……!」

 リーンシアの言葉を聞いた瞬間、バスクは驚いた様子で目を見開いた。

「彼らの中に犯人が居るかもしれないんですよ……!」

 呻きに近く、顔を歪ませながら告げられた言葉にリーンシアは首を横に振る。その表情に引く様子は見えなかった。

「その事について議論している暇はない。彼らだって人狼という点以外は一般人だ。しかも、今は変身できる状態じゃない……脅威がこの場を襲っている以上は放ってはおけない。頼めるか、ブライバーク」

「うん、任せて。さっ、バスク君……だっけ? 治療は終わってるよ」

 バスクは自分の足を見下ろすと傷はすっかり塞がっていた。納得がいかない様子で立ち上がりながらも「ありがとうございます」とブライバークに礼を述べる。

「それとミーシャちゃん、これを」

「これは……」


 渡されたのは筒上の付き出た突起があり、奇妙な形状をしている黒い金属の塊だった。バスクの方は何か分からないのか不思議そうに眺めているものの、ミーシャは手渡された瞬間に何か分かったようで、慌ててブライバークへと顔を上げる。向けられた戸惑う視線に対し、ブライバークは穏やかにも見える微笑みを浮かべていた。


「それは拳銃か……? ブライバーク、古代兵器の持ち込みなんて許可していないが?」


 対してリーンシアはそれを見た瞬間に眉を寄せて黒い金属の塊を睨んでいるが、そんな様子にも関わらずブライバークは笑っている。

「緊急事態って事で許してくれないかな、リーンシア。弾は六発しかないしね」

「先生……」

「使い方は覚えてるね、ミーシャちゃん?」

「……はい」

「待て、ミーシャに使わせるのか?」

「いざって時の武器は持っておいた方が良いよ」

 咎めるようなリーンシアの言葉にブライバークは至って軽い調子でそれを制した。その言葉にリーンシアは黙り、次にミーシャの方へと視線を向けた。

「君は……大丈夫なのか?」

 表情は余り出ていないながらも気にかけている様子が見て取れ、ミーシャは不安げな表情を無理矢理押し込むように笑って見せた。

「大丈夫です。使い方は……教わってますから」

「そうか……」

「さぁ、行こう。時間がもったいないよ。バスク君もそれでいいかい?」

「……了解しました。隊長の命に従い、あなた方に同行いたします」

 言葉は不満げであったものの、これ以上時間を取るのも惜しいと判断したのだろう。リーンシアもそれ以上の追及はせず、自分から率先して扉を開け、様子を確認すると部屋の外へと出た。

「では、各自無事で」

「隊長、お気を付けて!」

「あぁ」

 バスクの言葉に頷いてリーンシアは遺体安置室のある方へと走り出して行った。

「じゃ、私達も客間の方へ行こう」

「はい!」

 そして走り出した三人が会議室から庭の方へと向かっている最中――


 ――ウォオオォ、オォオォン。


 と、狼の遠吠えらしき声が聖騎士団本部へ響き渡るように聞こえてきた。廊下に反響する声に混ざって、困惑するような悲鳴に近い声も聞こえる。一気にバスクとミーシャは不安げな表情を見せ、ブライバークは眉を寄せた。

「な、なんでしょう、この声……」

「嫌な予感がするよ……急ごう」

 ブライバークの迫るような声に二人も戸惑いながらも後ろを付いていく逸る気持ちを抑えながらも走っていくと、中庭へと出た。まだ遠吠えが響いていたが、やがて突然にそれは切れる。だが切れる前に、声のした方向が客間の方である事は確認が出来た。

「私が先導するから、バスク君はミーシャちゃんをお願い」

「はっ、了解しました」

「ミーシャちゃん、念のため構えておいて」

「……はい!」

 黒い鉄の重さを確かめながら、ミーシャは構える。冷たい鉄と感触と、張り詰めた空気に思わず生唾を飲み込んでしまった。僅かにだが震えは止まらない。だが大きく深呼吸をする――覚悟を決めるしかない。

「行こうか」

 中庭を通り抜け、廊下の角まで来たところでブライバークが覗き込むように廊下を窺う。そこには――死んだはずのナーシャ・ヒュイが立っていた。驚きながらも観察すると見張りの居たはずの場所には血痕もある。ナーシャ・ヒュイでありながら、その姿は生前のナーシャとは思えないほどの異質さを醸し出している。

「どうされましたか?」

「ナーシャ・ヒュイが居る」

「えっ!?」

「声が大きいよ。でも様子がおかしいし、客間のドアが開いてるし……血も見えるね。状態はもしかしたら最悪かもしれない」


「ぐあっ!?」

「何をしてるんですか! 止めてください!」


 そんな中、苦し気な一斬の声とブライバークの悲鳴に近い声が聞こえた。その声を聞いた途端、目を開くとミーシャはブライバークの服の袖を強く掴んだ。

「先生……!」

 不安そうな、縋るような視線をミーシャから向けられる。そんなミーシャを落ち着かせるようにブライバークは彼女の肩を掴んだ。

「大丈夫。今から私が攻撃を仕掛けてみよう」

「お一人でですか?」

 バスクが驚いた声を上げたが、ブライバークは片目を瞑ってみせた。

「こう見えて私強いんだよ。さぁ、二人は状況を見てから人狼達を避難させるか決めて欲しい。もしも、誰かが命を落としていても……覚悟はしておくように、ね」

 今まで余裕を持っているように笑っていたブライバークは、真剣な表情に変わって念を押すようにそう言った。二人が数秒間を空けてから頷くと、ブライバークは微笑んで「よろしい」と満足気に言った。

「じゃあ、後はよろしくね」

 そう言って返事も聞かず、ブライバークは廊下の角から飛び出すように走り出して行った。二人が慌てて覗き込むと、確かに様子のおかしいナーシャ・ヒュイが居て、こちらに視線を向ける。その目が、どう見ても虚ろなものであることは遠目からも分かった。


「はぁっ――!!」


 掛け声と共にブライバークの手には炎を宿り、拳を叩きつけるようにナーシャの顔面へと振り下ろす――


 しかし、それは透明の壁のようなものを殴りつけただけで終わった。堅い感触が拳に当たり、手にまとった炎も壁がそこにあるかのように形を変える。

「先生……!」

 その声に一瞬室内へ視線をやったブライバークの視界には、まず倒れている見張りらしき兵士が二人――そして一斬がローレライに取り押さえられ、後ろではバンガジャとペルモがイヒトに牙を剥いて襲い掛かっている様子が見えた。イヒトの方も応戦するように掴み合っているが、二対一では対応し切れないようだ。

 しかし目の前のナーシャの様子は、ブライバークからすればまるで知能のない魔物のように視線はおぼつかないようにも見えた――だが恐怖心を煽るような、見ていると背筋を這う悪寒が付き纏う。

「二人とも!」

 状況を確認した後、弾かれるように後ろへと引いたブライバークは声を張り上げる。しかし視線だけはまっすぐナーシャの方を見据え、構えを解こうとはしない。ナーシャの方も後ろの二人が居るのには気づいたようだったが、すぐに興味が無さそうに視線をブライバークへと戻した。

「一斬とイヒトさん以外は様子がおかしい! 気を付けて!」

 そこまで叫ぶように言った後で次の攻撃へと移るように、拳を振り上げた。ナーシャの方は何がおかしいのか、尖った歯を見せて笑ったまま、真似するように自分も手を振り上げる。


 ――その手が途端に毛が生え揃い、鋭い爪を生やした。


 それに気が付いた瞬間に足を踏ん張らせスピードを落とすが、振り下ろされた爪はブライバークの衣服を裂く。腹部に爪痕が残り、皮膚を裂いたのか薄く横に赤い線が出来上がって血が流れた。

「まったく、ここ数日はとことん変わった人ばかり目にするね……面白いよ――」

 笑って見せたブライバークにナーシャも面白いと言わんばかりに笑い返し――そして地面に手を付いた。何をするのかと身構えたブライバークに対し、笑みを浮かべたままのナーシャの体は一気に膨れ上がり、その体は見る見る内に人から遠ざかっていく。骨が折れるような音、少女の体を内側から押し上げるように膨張し、ナーシャの髪色に合わない赤黒い毛並みが生えそろった。


「フシュルルル――グワオォォォオッ!!」


 ナーシャの体は――少女の面影を残していた姿とは真逆の、巨大な人狼の姿へと変貌へんぼうした。

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